2017年05月08日

【動画】江崎道朗のネットブリーフィング「こども保険?自民党よ財務省に騙されるな~聖徳太子復活の功労者は野党議員!?」


チャンネルくららから「江崎道朗のネットブリーフィング」5月6日号。



財務省がどうこうという話は難しくてよくわからない。
頭の良い人におまかせしたい。


動画の本筋と違うことは百も承知だが、聖徳太子については思うところがさまざま。
ある意味ではこれもまた「難しくてよくわからない」のだが。
だからこそ、単純化すべきでないとは思う。


宗教的寛容がどうこうというが。
その同時代にたちまち起きたのが蘇我氏問題。
最終的にたどり着いたのが道鏡事件。だったとも言えるわけで……

「教科書問題」としての「聖徳太子」防衛はめでたいかぎりで異論はないが。
「教育」と別の「歴史」の問題としては、別の見方にも目配りは必要な気はする。

何となれば、近代日本の礎を築いたのは明治維新だが、ネットの愛国者が大好きな幕末の尊皇の志士の思想というのがナンボのものだったのか。贔屓の引き倒しやルサンチマンを排除して見ておくことも必要な気がするから。

幕末の志士の愛読書のひとつは頼山陽の「日本外史」だったとか言われているが、同じ山陽の「日本政記」は、
我が邦は君臣の義、万国に度越す。而るに西竺の説、これを壊り、これを土灰沙塵に帰して止む。而してその端を開く者は、厩戸・馬子なり。
と、思いっきり聖徳太子を非難していたりもする。
こちらで触れた水戸光圀の場合もそうだが、江戸時代の尊皇思想は意外と「反仏教」の思想的系譜を受け継いでいる。
ネットの愛国者が志士と太子の両方を称賛するのは脊髄反射であって実は理屈に合わない可能性もなくはない、と、いったんは疑ってみたほうがよいのではないか?

光圀の場合は吉田神道だから、まだしも仏教を完全排除もすまい。しかしそもそも、尊皇でありながら徳川御三家、「体制派」の吉田神道という立場では、いわゆる西南雄藩・維新の志士とは相いれない。水戸学を樹立しながら、桜田門外ノ変のテロリストまで輩出しながら、最終的には幕末動乱での水戸藩の「活躍」というのが今ひとつ目立たないのも、そういう意味では興味深い。
激動の時代、どちらの極端にもつけなかったということは、悪く言えば優柔不断、よく言えば中庸だったのかもしれない。

そうした中庸のぬるさに飽き足らない過激派が結集していったのが、儒家神道だったことは、こちらをはじめ、くりかえし考察してきたところ。
ところで、江戸期の思想的事件として、ネットの保守派はいわゆる国学の隆盛。古事記の再発見≒「やまとごころ」の復興と「からごころ」の批判をあげてスバラシイということが多いような気がするのだが……
その国学が批判した「からごころ」こそ、こうした儒者の過激思想ではなかったのか?
「やまとごころ」万歳を叫ぶ自称愛国者が、同時に、儒学の「からごころ」に彩られた幕末テロリズムを称賛してやまないのだとすれば、そこには何か奇妙なねじれ・倒錯・二重基準が潜んではいないだろうか。

奈良時代以降の「神仏習合」から、吉田神道の「神仏儒習合」を経て、儒家神道が目指したのが「神儒習合」だというのなら、なんのことはない、神道を奪いあって仏教と儒学が対立抗争しているだけではないか。
ちなみに上で引用した「日本政記」の一節も、「西竺の説(仏教)」が「君臣の義」を破壊したと主張しているわけであって、八百万の神々が被害を蒙ったと言っているわけではない。そして江戸時代の文人が言う「君臣の義」とは、要するに儒教的な価値観ではなかったか。
しかして、聖徳太子の十七条憲法が、仏教導入よりなにより、「君臣の義」こそ主眼にしていることは、こちらで見た通り。ならば頼山陽の非難も実はわりといかがわしい。

頼山陽の「史観」など講談レベルとはよく指摘されるところ。真面目に論じる必要もないのかもしれない。
しかしながら、その「講談レベル」の史書が実際に維新の志士の愛読書だったことは事実だろう。
志士は暇ではない、お勉強のためのお勉強をやっていられたわけではなく、わりと簡便なすぐに読める、今で言う「よくわかる日本の歴史」的なものを付け焼刃的に学んで済ませていたのではないかと、先だって物故された渡部昇一氏などは書いていた。
実際に歴史を大きく動かし変えていくのが、単純化されたわかりやすい「歴史認識」であることは、今も昔も変わらないのかもしれない。「ヒストリー」の本質は結局のところ「ストーリー」なのだろう。

「単純化」に弊害はつきもの。

延喜天暦の治を理想化した建武中興、神武肇国に帰れと叫んだ幕末維新、そしてその幕末維新をもじって「大正維新」「昭和維新」「オオサカ維新」とキャッチフレーズ化する、今もなお絶えることのないポピュリズム。
そうした政治史的な単純化の背後には、宗教的・思想的単純化の誘惑が横たわっているのかもしれないし、政治的かつ思想的かつ宗教的な単純化の果てには、行動の短絡化がもたらされる危険も大きいようには思う。

最近はスピリチュアルだのパワースポットだのおかしなものが流行るようだが、中には「古神道」を名乗る者もあるようで。偉そうに「古」などと名乗るから何かと思えば、詳しく見れば何のことはない、その系譜はそれこそまさに江戸時代の儒家神道、どこまで遡っても吉田神道がよいところ。場合によっては明治以降に聖典が「発見」されたり、昭和になってお告げがあったりの類まで一絡げ。のようにも見える。
(ちなみにその筋で有名な白川伯王家なども、実は事務方のトップであって、祭祀にかかわるようになったのは江戸時代、吉田神道への対抗馬としてだった、という話が本当なら、それもまた「古神道」という名の「新興宗教」にすぎないとも言えるのだろうか)。

「からごころ」を排して「やまとごころ」に回帰せよと主張する「大人」様の「からごころ」には、今も昔も、要注意なのかもしれない。
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posted by 蘇芳 at 16:12|  L 「江崎道朗の備忘録」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする