2017年04月26日

【動画】宇佐市を日本書紀でたどる 神武天皇と一柱騰宮


宇佐市インターネット放送局から。


動画概要:
2016/03/26 に公開
宇佐市を日本書紀でたどる 
神武天皇と一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)

日本書紀(*1)の中に宇佐にまつわる内容が記されています。このことから、大変歴史が古い
ということがわかります。宇佐には、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)といわれる場所があ
り、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)については、日本書紀に「日向(ひゅうが)から奈良
の橿原(かしはら)に向かう神武天皇の船団が宇佐に立ち寄った時に、菟狭津彦(うさつひこ)
菟狭津媛(うさつひめ)が宇佐の川上に一柱騰宮を造ってもてなした。」といったことが記され
ています。この一柱騰宮(あしひとつあがりのみ宇佐市内に伝承(比定)として三ヶ所あります。
一ヶ所目は宇佐神宮の呉橋の南の高台(この一帯を騰隈(とうのくま)と呼ぶ)、二ヶ所目は和
尚山(かしょう)花立池の側、三ヶ所目は宇佐市安心院町の妻垣神社にあるといわれています。
今回のつつうらうらは、日本書紀をたどりながらそのゆかりの地をご紹介します。
*1 日本書紀・・養老4(720)年に出来上がった、日本初(日本最古)の正史。
宇佐とは・・現在宇佐は地名だが、実は古代に氾濫する川を意味する言葉だった。その川は宇佐
市を流れ、周防灘に注ぐ駅館川のこと。駅館川は古くは菟狭川(うさ)と記され、のちに宇佐川
となり、鎌倉時代以降に駅館川と呼ばれるようになった。

一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)
①宇佐神宮の呉橋の南の高台   
②和尚山(かしょう)花立池の側
③妻垣神社(宇佐神宮・摂社)~宇佐市安心院町~
共鑰山(ともかぎ)
妻垣神社奥宮
*磐座(いわくら)信仰
 妻垣神社は上社・下社の2社からなっている。下社とは、現在の社殿を備えた社で、上社とは、
社殿東南の共鑰山(ともかぎ)の山頂近くに残る磐座を信仰対象の聖地とするもので、これが当
社本来の原姿と思われる。この上社・下社は山宮・里宮とも呼ばれ、古く、山中にある磐座など
を神の依代として奉祀していた山宮(社殿を持たないのが普通)を、時代が下り麓の村里が成長す
るにつれて、身近な山麓に勧請して建てた社殿が里宮で、神社の古い形態とされる。
神武天皇聖蹟跡菟狭顕彰碑  ~宇佐神宮境内の寄藻川近く~
神武天皇東征の聖蹟を顕彰するために建てられた顕彰碑は、大分・福岡・広島・岡山・大阪・和
歌山・奈良の府県に点在します。この碑は皇紀2600年の奉祝事業として、昭和15年に19箇
所に建てられました。

こちらで聴いた「海道東征」第五章でも歌われていた足一騰宮(一柱騰宮)。
例によって伝承地はいくつもあるようで、それぞれに大切にすれば良いわけですが。

とりあえず日本書紀には、
時に菟狭国造の祖有り。号けて菟狭津彦・菟狭津媛と曰ふ。乃ち菟狭の川上にして、一柱騰宮を造りて饗奉る。是の時に、勅をもて、菟狭津媛を以て、侍臣天種子命に賜妻せたまふ。天種子命は、是中臣氏の遠祖なり。
と記されているようです。

宇沙都比古・宇沙都比売のように古い伝承にしばしばワンセットで登場する男女の一対は、どのような関係性のペアだったのか謎な部分も大きそうですが、とりあえず、
wiki:ヒメヒコ制
などと呼称されたりはしているようです。

男女に限らず、こちらで書いた通り、東征譚には兄弟のペアも数々登場し、それらが文字通りの意味での兄弟・人名だったのか、豪族・氏族の擬人化だったのかはよくわかりませんが。
菟狭津媛と天種子命(天児屋根命の孫)の結婚が、宇佐の地元豪族と中臣≒藤原氏、ひいては朝廷との強い結びつきを語る物語であることに違いはないでしょう。
実際、宇佐市内には九州最古とも言われる三世紀後半の前方後円墳なども存在し、副葬品には大和からもたらされた鏡や装身具が多数出土しているとか。
wiki:川部・高森古墳群
宇佐市:指定文化財(史跡)

宇佐といえば、記紀が完成した奈良時代には、宇佐八幡宮が存在し、東大寺大仏建立にも関係すれば、道鏡事件の舞台にもなっています。
後者については、こちらで確認したように、和気清麻呂を主体的なヒーローと見なす史観は、江戸時代の「大日本史」が嚆矢。それ以前の史書・伝承では清麻呂はわりと脇役で、道鏡排除の黒幕であり功績者は藤原永手や藤原百川とされていました。
真相の究明はさておくとして、宇佐の土着豪族と藤原氏が姻戚で結びついていたとすれば、なるほど、藤原氏が九州とりわけ宇佐でそのような工作を行うことも、比較的容易ではあったのかもしれない、とは想像しやすくなるかもしれません。

一方で、その宇佐に鎮座する八幡宮は神仏習合色の強いお宮でもあり、また、九州一円を統括する福岡の大宰府には、道鏡の弟が長官に就任してもいたわけで……
当時の九州は、仏教vs神道、簒奪vs尊皇、の抗争の舞台でもあったのでしょうか?
古代史最大級の皇統の危機に際して、尊皇・護国のために起ち上がった忠臣が、ひとり和気清麻呂だけというわけではない。藤原氏はもちろん、名も知れぬ宇佐の地元豪族の何某かの貢献も、あるいはあったのかもしれない、と、想像すること(≒尊皇愛国皇統護持の「こころ」が清麻呂以外にも広く共有されていたと想定すること)は、愛国者にとっては、むしろ心強い・好ましいことかもしれません。
神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて
教科書が教えない神武天皇
信時潔:交聲曲「海道東征」/我国と音楽との関係を思ひて/絃楽四部合奏 - 弦楽オーケストラ版 -[SACD-Hybrid]
posted by 蘇芳 at 16:45| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする