2017年04月17日

吾田神社


こちらで「敗者を徹底的に追い詰めることをしないのも日本文化の一面」と書きましたが……
海幸彦どころか、日向には、こちらこちらに登場した多芸志美美命(手研耳命)を祀る神社も、きちんと実在するようです。

動画を探したのですが、すぐには見当たらなかったので、画像が見られそうなサイトをいくつか。
宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~:吾田神社(あがたじんじゃ)
日南市の情緒的町づくりを支援するサイト:吾田神社 あがた(旧村社)
Photo Miyazaki 宮崎観光写真:吾田神社(あがた神社)
みやざきの神話・伝説・伝承 (神話のふるさとみやざき):吾田神社(あがた神社)
サイトによっては御祭神の情報が微妙にテキトーなところもあるかもしれませんが。
吾平津媛と手研耳命、さらには出雲系の天穂日命までが(なぜか)祀られているようですね。

敗者を神に祀る神社というのは、天満宮のように、その怨念を鎮めるためという場合もあります。その場合、その神を祀るのは、その神を殺害した側でしょう。
手研耳命がいわゆる怨霊・御霊と化していたのなら、むしろ朝廷によって大和の地にこそ神社が創建されていたかもしれません。
(吾田神社の創建は43代元明天皇の和銅元年(708)とのことですから、いわゆる奈良時代初期。同じ奈良時代の末期には日本最大級の怨霊・早良親王も登場。後世のいわゆる御霊信仰というほど整備された形ではなかったにせよ、死者の怨念を恐れ、鎮めようとする思想や心性自体は当時すでにあったのではないでしょうか)。

しかし、畿内に手研耳命を主祭神とする神社があるなどという話は、あまり聞いたことがありません。
(秀真伝系?のサイトには、こちらのように奈良県の皇子神命神社の御祭神「皇子神命」が手研耳命のことであるとの話もなくはないようですが、出典がホツマでは怪しすぎますね……社伝等でハッキリ認められているのでしょうか?)

いずれにせよ、阿多隼人の地元、日向・日南市に祀られている吾田神社には、(おかわいそうな御祭神をお慰めするくらいのニュアンスはあるかもしれませんが)、怨霊への恐怖というニュアンスは希薄そうです。
吾平津姫は(こちらで見たように)阿多隼人の「乙姫様」ですから、その御子である手研耳命も、地元日向にとっては祖霊の一族。御祭神を殺した勝者ではなく、殺された御祭神の「身内」によって祀られているのが、吾田神社でしょう。
奈良時代に創建された神社は、いつしか荒廃していたのか、やがて天正十七年(1589)に飫肥藩初代藩主伊東祐兵によって「再興」され、「飫肥藩十一社」に数えられるようになったとのことですから、それ以後はなおさらかもしれません。
記紀の「脇役」である吾平津姫や海幸彦が、地元では篤く崇敬されているのと同じように、長子として父帝の東征に従ったばかりに、大和の政争に巻き込まれ、悲運に斃れざるをえなかった手研耳命もまた、愛すべき「地元」の皇子様として、素直に哀惜され追悼され、崇敬されているのでしょうか。
だとしたら、そうした信仰のあり方には、やはり何というかこちらで書いたのと同じ「ホッとする」ものが感じられるようにも思います。

もっとも、それならそれで、弟の岐須美美命が祀られていないことは不思議かもしれませんが……
古事記にのみ一度だけ名が登場するにすぎない岐須美美命、あまりに情報が少なすぎて、専門家でもない身には、想像どころか妄想の手がかりさえなさそうです。

ただ……

岐須美美命をさしおいて、吾田神社になぜか合祀されているらしい天穂日命は、朝廷と出雲ではかなり異なった扱いを受けている神様です。何なら、汚名を着せられているといってもよいかもしれません。

記紀における天穂日命は、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた男神の一柱で、つまるところ天忍穂耳命の兄弟であるとも、天孫瓊瓊杵尊の伯父or叔父にあたるとも言えることになります。
しかし、記紀の記述においては、出雲の国譲りに先立って、高天原の使者として出雲に遣わされたにもかかわらず、大国主命におもねって復命しなかった、ある種の「裏切り者」とされてしまっています。
そのわりには、同様な「裏切り者」である天若日子(天稚彦)のようには、報いを受けていないのが不思議といえば不思議ですが……
そもそも、この天穂日命の裏切りの挿話自体、記紀にしか記述がなく、出雲側の伝承ではその役回りも記紀とはまったく異なるものになっているそうです。
wiki:アメノホヒ
任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神にきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。
現時点でのwikiの言うように出雲側の伝承が身びいきなのか、むしろ出雲の土着伝承を記紀に吸収する際に朝廷側で改作が行われたのか、わかりませんが……
いずれにせよ、中央の公式見解においては一種の「汚名」を負わされた、肩身の狭い神様や人物、という意味では、天穂日命も、手研耳命と、少し、似ているとは言えるのかもかもしれません。

岐須美美命ではなく、出雲系の天穂日命が、なぜ日向の吾田神社に合祀されているのか、軽く検索した程度ではハッキリしませんでしたが……あるいは、そのあたりの連想や親近感のようなものも作用しているのでしょうか? 理屈としては弱い気がしますが、情緒的・感覚的には、そんなこともあってよいような気はしないでもありません。
神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて
宮崎の神話伝承―その舞台55ガイド (みやざき文庫 44)
出雲神話 (講談社現代新書)
ラベル:古事記 出雲 日向
posted by 蘇芳 at 15:59|  L 「古事記」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする