2017年04月12日

【動画】吾平津神社 乙姫さま秋祭(宮崎県日南市)


日南テレビ!チャンネルから。
(※動画埋め込み不可につき視聴はリンク先↓で)


動画概要:
2012/11/06 に公開
神武天皇最初の妃・吾平津姫を祀るとしている吾平津神社で、11月3日と4日に乙姫さま秋祭がありました。この日の夜祭りには地元住民らおよそ50人が集まり、神事が執り行われました。

 檜扇(ひおうぎ)を持った舞姫たちが浦安の舞を披露され、舞姫は油津小学校の児童7人が務め、夜祭では2回舞われました。浦安の舞は「天地(あめつち)の 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」が神楽の歌詞となっています。

 そして地区の有志10人と小中学生8人が勇壮な獅子舞を舞って、参拝者を魅了しました。

 翌日は御神幸祭が行われ、地区代表のお姫様や神輿などが登場。御神幸祭のパレードでは、油津の町を約4時間練り歩きます。地域発展のために乙姫様が御神幸され、祭は賑わいを見せていました。
ひむか神話街道:吾平津神社
wiki:吾平津姫

こちらでも軽く名前だけあげておいたとおり、御即位以前、日向においでになったころの神武天皇の妃は吾平津姫(阿比良比売)。古事記には、
かれ、日向に坐しし時、阿多の小椅君の妹、名は阿比良比売を娶して生みし子、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱坐しき。
と記されています。
というか、記されている「だけ」ですが。
こちらでも触れた通り、地元・日向には記紀からこぼれ落ちた(または派生した)伝承もさまざま残されているのでしょう。

吾平津姫の別名を「乙姫」という由来は、軽く検索した程度ではよくわかりませんでしたが、海との縁が深い日向神話。山幸彦の海神宮訪問譚を思いだすまでもなく、日本人なら誰しも「竜宮城」を連想するのではないでしょうか。
吾平津姫が古事記では「阿多の小椅君の妹」とされていることは上の引用に見るとおりですが、神武天皇の大伯父にあたる海幸彦が日本書紀においてはまさにその「吾田君小橋」等の遠祖とされていることは、こちらでも触れた通りです。
其れ火闌降命は、即ち吾田君小橋等が本祖なり。
「阿多の小椅君」「吾田君小橋」がいわゆる阿多隼人(薩摩隼人)であり、インドネシアとの関連も取り沙汰されるような南方系の海洋民族だったとすれば、(吾平津神社の伝承はさておいて)、豊玉姫や玉依姫とともに、吾平津姫もまた「竜宮の乙姫様」の一人であることに間違いはないのかもしれません。

有力な豪族が系図を作為して、皇室・王家に神話的なルーツを求めることは、日本に限った話ではありませんし、
どこの馬の骨とも知れない戦国武将が源氏を名乗るべく系図をでっちあげたことや、秀吉などは落胤説を意図的に流布しようとしたらしいことなどを思えば、上代に限った話ですらないでしょう。
こちらで見た潮獄神社には、神武天皇が東征に発つ前に海幸彦に挨拶においでになったという伝承もあるようで……
南九州の隼人族にとっては、吾平津姫や海幸彦もまた、皇室とのゆかりを担保してくれる、ありがたい存在だったのかもしれません。

しかしながら、神武東征によって都が大和に遷り、日向とそこに生きる人々は、やがて政権中枢から遠ざかってしまいます。

海幸彦は記紀においては「敗者」であり「脇役」にすぎませんし、東征に同行せず、日向にお残りになった吾平津姫も、記紀においては上の一節にしか登場しない「脇役」ですし、あくまで「妃」であって「后」でもありません。
さらにいうなら、その皇子・多芸志美美命(日本書紀では手研耳命)は、神武天皇の長子として、東征に同行し、数々の苦難を父帝と共にされたにもかかわらず、こちらで見た通り、記紀においてはキッパリ悪役扱い。東征の苦労も知らない弟たちに寝込みを襲われ抵抗もできないままに殺害される、報われない敗者です。

手研耳命を倒して即位された神渟名川耳尊(綏靖天皇)と神八井耳命の御生母は言わずと知れた媛蹈鞴五十鈴媛命。こちらで書いた通り三輪山の大物主神の娘とされていますし、こちらで見たように製鉄技術との関連も指摘されているようです。
日向を遠く離れ、隼人族の後ろ盾を失った手研耳命が、大和の有力豪族を後ろ盾とする弟たちに、勝てるはずもなかった、ということでしょうか。
綏靖天皇以降、第九代開化天皇まで、初期御歴代天皇には記紀に目立った御治績の記述がなく、ただ諸豪族との姻戚関係を通じて平和裏に勢力を拡大されていった様子が垣間見えるだけですが……
「諸豪族との姻戚関係」ということは、想像をたくましくすれば、平安時代よろしく、後宮をめぐる勢力争い、閨房政治の類がくりひろげられた時代でもあった……のかもしれません?

そうした勢力争いから身を引いて、日向のために尽くされた吾平津姫は、現代的な価値観から見れば、余計な政争に巻き込まれることを回避したという意味で、聡明でもあり、決して「敗者」でもなかった、とも、言えなくはないようにも思えます。
神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて
宮崎の神話伝承―その舞台55ガイド (みやざき文庫 44)
宮崎県の歴史散歩

追記:
こちら↓の4:27あたりから登場するのが吾平津神社のようです。
動画概要:
2014/05/04 に公開
宮崎県東海岸の旅・20140502(37)・しゃべり場(横店)・赤レンガ通り・堀川橋・堀川運河・吾平津神社
posted by 蘇芳 at 15:56|  L 「古事記」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする