2017年04月09日

【動画】潮嶽神楽


宮崎県庁チャンネルから。


潮獄神社
ひむか神話街道:
こぼれ話 孤独な最後海幸彦のその後
潮獄神社【日南市北郷町】

昔話にはいわゆる「隣の爺」型と呼ばれる物語類型がありますが。
兄弟の明暗が極端にわかれる海幸山幸の物語も、その類縁だろうと柳田国男などは書いています(「海神宮考」)

かててくわえて、末子相続の事例が目につく古代日本。
神武天皇綏靖天皇垂仁天皇日本武尊顕宗天皇などなど、「弟」の優越を語る伝承には事欠きません。
海幸山幸の物語は、そのはしりとでも言うべきでしょうか。

しかしながら、敗者を徹底的に追い詰めることをしないのも日本文化の一面。
国を譲った大国主命が、その代わりに、日本最大の社殿を誇る出雲大社に祀られることになった記紀の伝承はあまりにも有名ですが、その御子神である建御名方神も、建御雷神に敗北したにもかかわらず、許されて、諏訪大社の御祭神として篤く崇敬されています。
日本武尊の兄・大碓命は古事記で最も有名な「悪い兄」として、二次創作の世界などではさんざんな扱いを受けていますが、日本書紀においては美濃に封じられて開拓に尽くしたことになっており、愛知県豊田市の猿投神社では、こちらで追記した通り、主祭神として祀られています。
そういえばこちらで触れた磐長姫(石長比売)も、妹に容姿で負けた(?)姉と言えなくもありませんが、その姫もやはり、米良神社、銀鏡神社など、いくつかの神社で御祭神として祀られているそうで……

やはり日本人、敗者に優しいというか、判官贔屓の傾向は、何も鎌倉時代に始まったことではないのかもしれません。
海幸彦を祀った神社もちゃんとある、と聞くと、それだけでどこかホッとするのは、私たちがそうした敗者・脇役への目線を共有しているから……という面もあるのでしょうか?

わけても皇室の故地であり旧都である日向には、記紀の「主役」たちだけでなく、「脇役」の伝承も豊富であるようです。
海幸彦や磐長姫のほかにも、神武天皇の最初の妃・吾平津媛は東征には同行されず日向にお残りになったことになっていますし、神武天皇のすぐ上の兄・御毛沼命(三毛入野命)なども地元の伝承では東征の途中で故郷が心配になって引き返され、日向の民を苦しめていた鬼を退治されたとか(鬼八伝説)……記紀の「脇役」も、地元の伝承では立派に「主役」を演じています。

神代や古代にかぎらず、物語上の敵役が地元で崇敬されている例は、(今川義元や吉良上野介、明智光秀は名君だった、など)、後々まで枚挙に暇がないでしょう。
動画でも言われている通り、神武東征後、残された日向の人々に尽くしたのは、大和へ旅立たれた記紀の主役ではなく、日向に残られた脇役のほうだったのだとすれば、地元ではそれら「脇役」の神徳こそが慕われるのも当然というべきかもしれません。

あるいは、後に景行天皇が征西され、日向に行宮を置かれた背景にも、東征後の日向に残った「脇役」とその子孫たちの、語られざる活躍の歴史が隠されているのだ、と、想像してみることもできるのでしょうか。
神楽三十三番―高千穂夜神楽の世界 (みやざき文庫 56)
宮崎の神話伝承―その舞台55ガイド (みやざき文庫 44)
海幸彦 山幸彦 (日本の物語絵本)
ラベル:古事記 日向
posted by 蘇芳 at 22:08|  L 「古事記」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする