2017年03月29日

天皇陛下の玉手箱


昔々浦島は、と歌えば日本人なら知らない者はありません。
と同時に、その結末の意味不明さに、幼い頭を悩ませた経験のない日本人というのも、あまりいないのではないでしょうか。
玉手箱とは何だったのか? 乙姫様はどういうつもりだったのか?
その答えは、「風土記」を読むと、意外なほどに明快です。
wiki:
・丹後国風土記 ≫ 浦島伝説
・浦島太郎 ≫ 『丹後国風土記』にある話
水の江の 浦島の子が 玉匣 開けずありせば 又も會はましを
乙姫様は、里心のついた太郎に一時帰国を認めただけで、太郎は必ずまた竜宮に帰る約束だった。しかし、太郎は玉手箱を開け(不老長寿の呪術を解き)、神仙であることを放棄してただの人間に戻ってしまった。
その結果、破綻したのは単に太郎一人の人生ではなく、再会の可能性・男女の関係そのものだった、という……

要するに、玉手箱(玉匣)とは、不老長寿の呪術であり、それは再会の約束でもあったのではないでしょうか。
何となれば、開ければ年をとる、ということは、裏を返せば、開けなければ年をとらない、ということでしょうから。

稲田智宏「三種の神器―謎めく天皇家の秘宝 (学研新書)」からの孫引きで恐縮ですが、フレイザーの金枝篇には、「未開民族」の霊魂観について、次のような一節があるそうです。
(生命または霊魂は)明確な質量をもった形而下的物質的存在であって視ることもできれば触ることもでき、箱や壺に入れて置くこともできる
そしてその目的は、
霊魂が彼の選んでおいた場所に健在で留まっている限り、その人自身が不死となることである。彼の霊魂はその身体の中にはいないので、何者も彼の身体を殺すことはできないのである
玉手箱とは何か?
それは「魂手箱」であり、「霊手箱」でもあるようです。

竜宮城というのが、類似する数々の伝承の中で、元は「常世」や「蓬莱」といった不老長寿伝承を思わせる地名で語られていることも、この文脈でなら納得がいきます。
また、見るなと言われたものを見ることによって、男女の関係が終わる。それはつまるところ、「見るなのタブー」の一変種であるとも言えそうですが……この文脈の中で見る限り、その「タブー」の意味(なぜ見てはならないか)は、伊弉諾・伊弉冉、山幸彦・豊玉姫、鶴女房などなどの類話に比べて、かえって明快で論理的でさえあるのではないでしょうか。

ところで……

先述の稲田智宏「三種の神器―謎めく天皇家の秘宝 (学研新書)」によれば、この種の「玉手箱」は、浦島伝説のそれとは別に、もう一つ、今もこの日本に厳として存在している(かもしれない)のだそうです。

以下はあくまで一つの「解釈」であり「説」であり、軽々に断定するものではありませんが……

三種の神器に八尺瓊勾玉があることは誰でも知っているでしょう。
その勾玉が「神璽」とも呼ばれていることを知っている人もいるでしょう。
ここでハタと困ってしまいます。
八尺瓊勾玉とは、いったい、どのようなカタチをしているのでしょう?
「勾玉」というのですから、普通は、丸に尻尾がついたような装身具を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、「神璽」の「璽」といえば、これは要するにハンコのことです。
「御名御璽」といえば、言わずと知れた天皇陛下の「署名捺印」。
陛下の「御璽」とは別に、国家の印鑑である「国璽」もあります。
宮内庁:御璽・国璽
「神璽」もこれらと同じハンコであって、「八尺瓊勾玉」というのは、つまり、そのハンコが何らかの宝石でできているという素材のことを指しているだけなのでしょうか? それなら「勾」である必要はないのでは? それとも、印鑑の持ち手の部分なり何なりにそうした彫刻でも施してあるのでしょうか?
答えは誰も知りません。畏れながら天皇陛下ご自身でさえご存じあそばされないはずです。
何となれば、それは箱の中に納められ、厳重に封が施され、決して誰も(天皇陛下でさえも)開けて見てはならないとされているからです。
そして、太郎の場合とは違って、神代から現代に至るまで、(何度か危機はあったらしいですが)、その約束は破られることなく守られつづけているからです。
要するに誰も見たことがなく、八尺瓊勾玉がどのようなカタチをしているのか、誰も知らない。わかっているのは、そして見ることができるのは、その「玉」が「箱」に入っているということであり、その「玉」を納めたという「箱」だけです。

「玉」を納めた、決して開けてはならない「箱」……

それは一種の「玉手箱」であり、すなわち「たま(魂・霊)手箱」ではないでしょうか。
乙姫様ならぬ天照大神様から手渡され、三大神勅≒宝祚の永遠という約束と共に手渡され……というのですから、物語類型としても十分な符合でしょう。

しかし、玉手箱がフレイザーの説くような不老不死の呪術であり、八尺瓊勾玉がその玉手箱だったとして、一方で、こちらの磐長姫の物語に見るように、天孫といえど「寿命」から逃れることはできません。
これはどう解釈すべきでしょうか?
磐長姫のタタリは玉手箱の呪術を無効化してしまったのでしょうか?

後藤宮司の解釈や、「常若」の思想を知る私たちは、そんなふうに短絡する必要はないように思います。

確かに個々人としての天皇のお命は、私たち一般庶民と変わることもなく、儚いものでしょう。
しかしまた、その一方で、個々の天皇の「寿命」を超越して、天照大神から授けられた「たま(魂・霊)」は御歴代の天皇に継承されつづけています。
天孫降臨から途絶えることなく受け継がれつづけてきた「たま(魂・霊)」。
皇位の継承とはこの「天孫の霊・魂」の継承そのものであり、それは個々の天皇が個人としての人格を超越して「天孫」と霊的に一体化されるということであり、この継承がくりかえされつづけるかぎり、天孫・天皇の「たま(魂・霊)」はやはり天壌と窮り無く永遠に生きつづけている、のではないでしょうか。

スタティックな石の永遠ではなく、親から子へ、脈々と受け継がれていく「魂」「霊」、その生命のリレーの中にこそ「永遠」を見る。
そのような生命観・霊魂観・世界観の中にこそ、日本を日本たらしめる「こころ」があり、而して、天皇こそはその「こころ」を体現され継承あそばされる、まさしく日本国の 象 徴 であらせられる、と、いうべきなのかもしれません。
三種の神器―謎めく天皇家の秘宝 (学研新書)
風土記 (平凡社ライブラリー)
日本は天皇の祈りに守られている

追記:
つけたりですが、「風土記」のお話を知ったときには、積年の浦島伝説の謎が解けてスッキリしました。
乙姫様はやはり良い人でしたね(少なくとも原話では)。
何となれば、玉手箱の正体がそういうことなら、何も太郎に渡すこともない、誰にも決して開けられないように金庫にでもしまっておけばよさそうなもの。
しかし、それは太郎の生命・霊魂≒生殺与奪の権を乙姫様が握るということでもあり、そんな恐ろしい話はありません。
乙姫様はそんなことはせず、太郎の生命・霊魂は太郎自身の手に委ねてくれたわけで。しかもそれは、(太郎が玉手箱の意味を正確に理解しているかぎりにおいて)、再会の可能性自体を太郎の選択に委ねることだともいえるわけですから、太郎を信じていたとも言えるように思います。
まあ、乙姫様が説明不足で太郎がよくわかっていなかったのか、必ず帰ってくるなどという男の約束を信じるものではないということなのかはさておいて、お土産に罠を仕掛けておいたというようなヒドイ話でなくて一安心というところです。
ラベル:風土記 天皇
posted by 蘇芳 at 16:25|  L 「古事記」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする