2017年03月18日

【動画】じっくり学ぼう!世界近代史 第19回「17世紀の世界  三十年戦争⑤~クリスチーナ女王と宗教的寛容」


チャンネルくららから「じっくり学ぼう!世界近代史」。


動画概要:
2015/06/22 に公開
国際法はここから始まった!ウエストファリア条約を知らずに国際法は語れません!

ウエストファリア条約それ自体はもちろん、政教分離の正しい意味(政府と教会の分離)はしっかり理解して反日勢力に対抗する必要がありますね。
また、人殺しの野蛮人からいかに距離を置くかというのも重要で。そのためにまず何よりも必要なのは武力。つまるところ「平和ボケ」の弊害もしっかり押さえておく必要がありそうです。

もっとも、家綱の時代が文治政治への転換の起点ではあったとしても、それはつまりついこの間までは武断政治だったということ。その記憶も新しい家綱自身の時代には、幕府もまだそれほど「平和ボケ」していたわけではないのではないでしょうか。
実際、鄭氏政権や、リターン号など、外国からの要求を、当時の幕府はしばしば突っぱねていたようで。それも武力の裏付けあってのこと、とも思えます。

前回、「武装中立」の単語が登場しましたが……
外国の要求を突っぱねて追い返すこと≒攘夷することが、家綱の時代にはまだ可能だったことは、押さえておく必要がありそうです。

問題はそれがその後どう変化していったかということで。
それが文治政治の「平和ボケ」とか、「鎖国」のために世界の進運に取り残されたとかということのためだけだったのかどうなのか。
あらためてじっくり考えてみるのもよいのかもしれません。

個人的にはこちらで書いた通り、日本の歴史上、外国の侵略から国を護るために作りあげられた国家体制というのはむしろ律令国家であって、幕府というのは内戦の終了後に競争者の出現を防止するために作られた内向きのシステムだったようにも思えますから……いずれ幕藩体制による国防には限界があったのではないか、という気もしないではありません。

こちらで、
国学や尊皇思想は、国民国家を「発明」したわけでもなければ、「輸入」したわけでもない。
日本自身の歴史の中から「発見」しただけだった(するだけでよかった)、と、言い換えてもよいかもしれません。
と書きましたが……
しかしまた、「発見」する必要があったということ、思いだす必要があったということは、一時はすっかり見失い、忘れていたということでもあるかもしれません。
「平和ボケ」の本当の恐ろしさは、尚武の気風や能力の有無以上に、この「国家観」の忘却にこそあるのではないでしょうか。
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