2017年03月14日

【動画】じっくり学ぼう!世界近代史 第17回 17世紀の世界 三十年戦争③ ~傭兵たちの死闘!と略奪


チャンネルくららから「じっくり学ぼう!世界近代史」。


動画概要:
2015/06/08 に公開
伝説の傭兵隊ヴァレンシュタイン、三兵戦術を駆使したヨーロッパ随一の名将スウェーデン王グスタフ・アドルフの名勝負!

当ブログでは何度も言っていますが、日本が国民国家の理念を宣言したのは皇紀元年、神武天皇
国民国家を制度的に完成させたのは天智・天武天皇
愛国」の最初の用例は持統天皇の御代です。

そのときに建設した国民国家が亡びることなくずっと続いているというのですから、日本というのは、30年戦争の欧州に比べればとてつもない超先進国とも言えるかもしれません。

もちろん、そうして構築された律令国家は、平安時代も末期になると公地公民制の崩壊とともに、事実上は破綻しましたし、そのまま、完全に破綻するに任せていれば、あるいはわが国の武士団も、欧州の傭兵に近い性格を獲得することになりかねなかったのかもしれませんが……
こちらで見たような頼朝の天才によって、天皇中心の国家秩序は理念的・形式的にはなおも延命しつづけました(征夷大将軍は律令国家の役職)。
制度的に見ても、幕府の成立には、守護地頭の制による徴税権(動画で言う合法的略奪)の解決が大きな役割を果たしているようで……30年戦争の欧州に比べれば、ずいぶんとエレガントな解法を見つけたものだというべきかもしれません。

その後は室町幕府や戦国時代の紆余曲折はありましたが、時代が遷って、30年戦争の同時代にあっても、日本はやはり頼朝の発明を踏襲した幕藩体制をとっていたわけですから、幕府というものが、内政機構として優れたシステムであったことは、間違いないように思いますし、征夷大将軍が律令国家の役職である以上、その安定性を根底において支えていたのは、究極的には、やはり、天皇を戴く国民国家の理念だったのではないでしょうか。
(天皇・皇室をその根底において蔑ろにした室町幕府が終始不安定な政権だったことも、かえって、皇室の重要性の逆説的な傍証かもしれません)

もちろん、こちらで考察したように、内政に特化したシステムが、対外戦争・国防に適したシステムであるとはかぎらず、幕末の動乱期には、体制刷新のために大変な生みの苦しみを経なければなりませんでしたが……
そうして流血の惨事を伴いながら、それでもなお、アジア諸国の中でただ日本のみは、自力で維新を断行し、近代国民国家への脱皮を成功させることが可能だったわけです。
その成功の根底には、日本がすでにとっくの昔に「国民国家」を形成し終わっていたこと、それが決して完全に未知の概念ではなかったことが寄与していたのではないでしょうか。

国学や尊皇思想は、国民国家を「発明」したわけでもなければ、「輸入」したわけでもない。
日本自身の歴史の中から「発見」しただけだった(するだけでよかった)、と、言い換えてもよいかもしれません。

前回も触れた榎本武揚は、「万国公法」を「国の宝」と表現したそうですが、ここでいう「国」とは要するに藩閥を越えた日本国全体のことを指していたはずであり、その意味ではその行為はすでに国民国家における「愛国心」の発露と言ってよいものだったように思えます。
それは何も榎本一人に限ったことではない。官軍だろうと賊軍だろうと国事に奔走したサムライたちの(すべてとまでは言いませんが)多くに共通した心事だったのだ、と、想像することは現代の私たちにとっては難しいことではありません。逆に自然すぎて凄さがわかりにくいくらいかもしれませんが……
西洋における国民国家や愛国心の「発明」と比較すれば、やはり、驚くべき現象だったのでしょうか?