2017年02月25日

【動画】札幌護国神社


狙ったわけではありませんが、春・夏・冬、の動画が見つかりました。








動画概要:
1)2013/05/17 に公開
札幌護國神社は、明治十年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊をお慰め致すために、明治十二年に御祭祀申し上げて 今年で134年に相成りました。多賀殿 (延命長寿)(縁結びの神)札幌の真ん中「中島公園」に隣接するも、閑静なたたずまいの中、今年はおそい桜が開花しました。 http://www3.ocn.ne.jp/~gokoku30/

2)2016/08/15 に公開
札幌護国神社近くの鴨々川で行われる「灯籠流し」。灯籠流しは、お盆の行事である「送り火」の一種で、戦没者や先祖などの死者の魂を弔うために、灯籠を海や川などに流す行事のことです。当日は約800個の灯籠が用意され、あたりが暗くなり始める18時半頃に、明かりを灯された灯籠が鴨々川に流されます。闇を照らしながら流れてゆく灯籠は幻想的な雰囲気を醸し出し、見送る人々はその姿に静かに手を合わせます。

3)2014/01/03 に公開
撮影日2014/01/04 札幌護国神社境内の 各戦忠魂碑 戦没碑
札幌護国神社公式HP
wiki:札幌護国神社

詳細は公式なりwikiなりを見ていただくとして……
屯田兵ということではこちらとも通底しますが、この場合は、開拓殉難者ではなく、特に西南戦争における戦死者37人の御霊を祀ったことが創祀になるようです。
西南戦争においては全国各地から将兵が招集され、旧士族の軍と激突、これを撃破した画期でもありましたが、このとき、北海道からも約500人の屯田兵が九州へ出征していったとのこと。

明治12年、屯田兵司令部に最初に建立された「屯田兵招魂碑」は新政府総裁・東征大総督、有栖川宮熾仁親王の題されたものとのこと。
その後、日清日露の両戦役を経て、招魂碑は中島公園に移転されますが、新たな御祭神が合祀されるとともに、新たに建立された「忠魂碑」は両戦役の英雄・乃木希典大将の揮毫。
以降も、動画に見る通り、さまざまな慰霊碑が建立されていきましたが、それら石碑を集めた一角を「彰徳苑」と命名されたのは、昨年薨去された三笠宮崇仁親王殿下だとか。

「官軍」の性格が強く感じられると共に、国家が戦没者の慰霊に責任を持っていたことも感じられる歴史かもしれません。

大正11年、拝殿を造営して「札幌招魂社」を称し、昭和8年に現在地に移転。
昭和14年の内務省令(※追記参照)によって「札幌護国神社」と改称。
護国神社の例に漏れず、敗戦の受難を耐え忍ぶためか、一時「札幌彰徳神社」と改称するも、やがて旧社名に復称した歴史があるようですが……
こちらなどとは違って、SF条約締結と同時に復称したわけではなく、昭和34年(創祀80周年)の機会を待っての復称だったとか。
その代わりといっては何ですが、主権回復前夜の昭和24年には境内社の多賀殿が奉斎されているそうです。
全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
故郷の護國神社と靖國神社―「故郷の護國神社展」の記録 (シリーズ・ふるさと靖國)
ラベル:護国神社
posted by 蘇芳 at 15:30|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする