2017年02月02日

【動画】第1神風特別攻撃隊 敷島隊


特攻についてはあいかわらず右から左から好き勝手なことが言われていますが。
しかし、そもそも、それまで部下の進言を却下しつづけた大西瀧次郎が、ついに体当たり攻撃の実施に踏み切った決断が、いつ、どこで、どのような状況の中で下されたのか、基本的な事実や作戦上の脈絡をきちんと踏まえた議論は、どれくらい行われているでしょうか?

別にアニメ・ゲームが悪いとは言いませんが、youtubeで「捷号作戦」を検索すると、真っ先にヒットするのが「艦これ」ばかりというのは……

kamikaze2.jpg

……さすがに、どうなのでしょうね?

作戦全体をわかりやすく俯瞰した動画が見当たらないので困りますが……
とりあえず敷島隊についての動画ならいくつかありはするようです。
wiki:神風特別攻撃隊の初出撃
なども参照しながら、視聴してみてください。というところでしょうか。

動画概要:
2011/04/01 にアップロード
太平洋戦争末期における日本軍の航空機の数的不利と航空機燃料の品質悪化や航空機の生­産過程での品質の低下、近接信管(VTヒューズ)やF6F艦載機に代表されるアメリカ­軍やイギリス軍の対空迎撃能力の飛躍的向上により、日本軍の航空戦力が劣勢になって、­通常の航空攻撃では充分な戦果を敵艦隊から挙げにくくなったことがある。さらに台湾沖­航空戦の結果、フィリピンでの稼動航空機数が激減し、少数の兵力で有効な戦果を挙げる­ために最も確率の高い方法として計画的に実行されたのが始まりである(部隊編成は19­年初秋には始まっていた)。最初の特別攻撃隊となる第1神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長­として戦死し軍神と畏敬された関行男大尉レイテ沖海戦より始まった特攻であるが、「一­機一隻撃沈」という事実は日米双方に衝撃を与え、硫黄島やウルシー・サイパンへの作戦­を経て、沖縄戦において最高潮に達した。沖縄周辺に侵攻したアメリカ海軍やイギリス海­軍、オーストラリア海軍を中心とした連合国軍の艦隊に対し、日本軍は菊水作戦を発動し­て特攻隊を編成し、九州・台湾から航空特攻を行った。これと連動して戦艦大和以下の艦­艇による"水上特攻"や回天、震洋などの体当たり艇など、各種特­攻兵器が大量に投入された。
結果として特攻は護衛空母3隻を撃沈、複数の正規空母を終戦まで戦列から去らせるなど­相応の戦果を挙げ、戦後の米戦略爆撃調査団はその有効性をかなり高く評価している。フ­ィリピンで特攻による損害を強いられた連合国軍は、沖縄戦の頃にはピケット艦や空母艦­載機編成の改編等様々な対策を採っており、特攻の有効性は大きく減じられることとなっ­た。日本側はこの後も当初より問題視されていた威力不足の改善を図る等の対策を採り、­想定される本土決戦に向けて大量の特攻戦備を整えている段階で終戦を迎えた。

アップロード主の解説にもあるとおり最初の特攻はフィリピン、レイテ沖において行われました。
1944年10月17日、レイテ湾湾口のスルアン島に米軍が上陸、引き続きレイテ島への敵上陸が確実となったことから、翌18日に発動された帝国陸海軍共同の一大作戦が、捷一号作戦です。
神立尚紀「祖父たちの零戦」によれば、
この作戦では、レイテ島に上陸する米軍に、栗田健男中将率いる戦艦「大和」「武蔵」をはじめとする日本艦隊が砲撃を加えて撃滅することが柱になるが、フィリピンの航空部隊である一航艦としては、栗田艦隊のレイテ湾突入を掩護するため、少なくとも一週間、アメリカの航空兵力を封じる、つまり敵空母の飛行甲板を使用不能にしなければならない。
しかし、一航艦にはすでに使用可能な飛行機は四十機足らずしか残されていない。この兵力で、通常の攻撃手段で敵空母に打撃を与えることは不可能であった。
というのが、大体の状況だった、そうです。

戦艦は航空機に勝てない、そのことを証明したのは、そもそも日本軍でした。
が、空母4隻を含む小沢機動部隊はハルゼーを引きつける囮として別方面に向かいました。
栗田艦隊は戦艦7隻基幹、レイテ湾に突入するのはこれら戦艦・巡洋艦です。
待ち構えているのは米空母≒航空戦力です。
戦艦・巡洋艦(栗田艦隊)は、航空戦力(敵空母)には勝てません。
「フィリピンの航空部隊である一航艦」がなんとかするしかありません。
しかしこのとき、すでにアメリカはグラマンF6Fヘルキャットを導入、零戦神話は崩壊していました。
しかも現地部隊で使える零戦は、四十機しかありません。
ドッグファイトを挑んでも、あっというまに壊滅するだけです。
しかし、それでも、「一週間」持ちこたえなければ、作戦そのものが崩壊します。

敵の戦闘機に勝てない戦闘機で、「敵空母の飛行甲板を使用不能」にすることは、いかにすれば可能か?
期間は一週間。
とにかく、一週間持ちこたえさえすれば、あとは、主力艦隊≒栗田艦隊に望みを託すことができる。

戦史を知り、米軍側の情報も知った上での後知恵なら、いくらでも好き勝手なことが言えるかもしれません。
しかし、当時のリアルタイムの「現場」において、この前提諸条件を提示されたとき、大西以上に合理的でクレバーで効果的で人道的な選択肢を選ぶことができる、と、自信をもって豪語できるオレサマは、いったい、何人実在するのでしょうか?

ここで、二本目の動画を貼っておきます。
こちらで主題になっているのは、後の沖縄での特攻(菊水作戦)ですが、ここで引用されている「橋の上のホラティウス」は、捷号作戦にもよく当てはまるのではないでしょうか。

「地上のあらゆる人間に
遅かれ早かれ死は訪れる。
ならば、先祖の遺灰のため、
神々の殿堂のため、
強敵に立ち向かう以上の
死に方があるだろうか。

かつて私をあやしてくれた
優しい母親のため、
我が子を抱き
乳をやる妻のため、
永遠の炎を燃やす
清き乙女たちのため、
恥ずべき悪党セクストゥスから
皆を守るため以上の死に方が
あるだろうか。

執政官どの、なるべく早く
橋を落としてくれ
私は、二人の仲間とともに
ここで敵を食い止める
路にひしめく一千の敵は
この三人によって
食い止められるであろう。

さあ、私の横に立ち
橋を守るのは誰だ?」
「ここで敵を食い止める」
本来の特攻は、一週間限定の、この目的のために決行された、苦渋の決断だったのではないか?
特攻について云々するなら、まず、最低限、その始まりの「事実」について、知っておくべきではないでしょうか。

もちろん、実際には、特攻は、「一週間限定」ではすみませんでした。
あくまで窮余の一策であり苦渋の決断であったはずの特攻は、このあと、常態化していきます。
大西の決断は、結果的に、パンドラの箱を開けた、とも言えるでしょう。
しかし、その「常態化」の原因や是非や責任の所在については、大西の最初の決断とは、一応、別に論じられるべき問題はないでしょうか。
あえていうなら、特攻は、いわば時と共に「変質」したのであって、その変質の前後をゴチャマゼにして、自説に都合よく利用するようなことは、あってはならないように思うのです。

たとえば、飛行機を飛ばすのもやっとの年少兵が「母さん」と叫びながら体当たりしていくという戦後の左翼反戦映画の作り上げたイメージは、その変質以後の話ですし、もしかするとそれこそ非実在の「イメージ」でしかなかったかもしれません。
山岡荘八が記録した西田高光中尉の言葉は、すべての日本人が傾聴し、熟考すべきもののように思います。
「いま、ここにいる隊員(出陣学徒)は、みな自分から進んで志願してきたもので、いずれも動揺期は克服しています。学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとどうなるのでしょう・・・おわかりでしょう。我々の生命は講和の条件にも、そのあとの日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・・・」
この歴史をどう「解釈」するかは、人さまざまかもしれませんが……
GHQに洗脳された戦後の自称「知性」が、先人のこの「インテリジェンス」に無条件に優越している保証などどこにあるのか? 戦後の浅知恵がひねり出す屁理屈など、当の本人たちによって、とっくの昔に熟考され尽くしているのではないか? と、問うてみるくらいの謙虚さは、あってよいのではないかとも思えるのです。

少なくとも、自ら特攻を「統率の外道」と呼び、終戦時には割腹して部下たちに殉じた大西中将を、「特攻の生みの親」という一言で片づけることも、すべての特攻を「かわいそう」なだけの犠牲者としてひとくくりにすることも、不当であるとは言えるのではないでしょうか。
まして、特攻をテロと同一視させるべく内外左翼メディアが展開している策動などは、断じて、許されてよいはずがありません。
一夢庵風流日記:特別攻撃隊 ~特攻隊~
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特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ―米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実
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ラベル:大東亜戦争 特攻
posted by 蘇芳 at 16:02|  L 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする