2017年01月13日

【動画】日章丸 東京シネマ製作


……といっても三代目ですが。


動画概要:
2017/01/11 に公開
日章丸

関連ページ
http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/71/
工業・産業 | 東京シネマ
作品概要
製作:東京シネマ 企画:出光興産
1963年 イーストマンカラー 23分
出光興産は、122,334トン世界最大の超マンモス・タンカー「日章丸」を、クウェート-日本間の専用タンカーとして建造し、1962年10月処女航海の途につきました。
この映画は、その壮挙をカラーワイドに記録したものです。
スタッフ
製作:岡田桑三 
脚本:吉見泰
撮影:小林米作
撮影:長谷川博美
照明:土田定夫
音楽:一柳慧
録音:片山幹男
解説:小池朝雄
現像:東洋現像所
wiki:日章丸 (タンカー・3代)

有名な日章丸事件の「日章丸」は、二代目。
出光興産:メジャー支配に挑戦した「日章丸事件」
wiki:日章丸 (タンカー・2代) 、 日章丸事件
1953年(昭和28年)すなわちサンフランシスコ平和条約発効・主権回復の翌年に、早くも成し遂げられた、日本再出発の露払いともいうべき壮挙でした。

動画では「事件」には一言も触れられていませんが、もちろん、これがあったうえで、さらに大きく飛躍すべく船出したのが三代目、ということにもなるのでしょう。
wiki情報で恐縮ですが、「事件」の結果、
裁判でも出光側の正当性が認められ、5月27日仮差押え処分の申し立てが却下され、アングロ・イラニアン社は即日控訴するものの、10月29日になって提訴を取り下げたため、結果的に出光側の勝利に終わった。これが世界的に石油の自由な貿易が始まる嚆矢となった
と同時に、
イラン産石油の輸入は、この事件が石油メジャーの結束強化を招いたこともあり、1956年(昭和31年)に終了することになった。
ということにもなったそうで。
イラン産の輸入は絶たれたものの、新しい取引先と、今度こそ大手を振って堂々と取引が可能になった、それがこの三代目の処女航海であり、これもまた、出光にとって、日本にとって、記念すべき凱歌だったのかもしれません。
(そのわりに映画のBGMのおどろおどろしさは何とかならんのかとも思いますが……スタッフに底意でもあるのか、これが昭和のセンスなのか💧)

1981(昭和56)年3月7日、出光佐三の逝去にあたり、昭和天皇は以下の御製をお詠みになったと言います。
  出光佐三逝く
国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ (昭和天皇)
人物評というのは人により視点によりどうとでも言える面もありますから、出光佐三のすべてを手放しに称賛しろとまでは言いませんが……
いまや反日売国企業の巣窟と化した感もある戦後日本経済界、その始まりの季節には、まだ、日本人らしい志のある企業人もいたのだ、と、思いだしておくことは、有益であり必要でもあるようには思います。
ペルシャ湾上の日章丸―出光とイラン石油 (1978年)
海賊と呼ばれた男 出光佐三の生き方
海賊とよばれた男(上) (講談社文庫)
海賊とよばれた男(下) (講談社文庫)
人間尊重七十年
日本人にかえれ
出光佐三という生き方 (別冊宝島 2532)
posted by 蘇芳 at 15:02| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする