2017年01月11日

【動画】荘園の発達


こちらでも少し触れましたが、律令国家の崩壊劇を、水面下で推し進めることになった遠因のひとつは、土地私有であり税制だったのではないでしょうか。
単語は学校で聞いた覚えもありますが、今一つ脈絡をわかるように説明できるパヨク教師にであった試しがない、律令国家の税制と荘園発生の過程を、例の動画シリーズから見ておきます。






奈良時代に土地私有が可能になりますが、それでも税制自体はまだ人頭税。
だから2本目の冒頭で言及されていたような偽籍が横行するわけで、それを解決するために地税への転換がはかられた、という話はこちらの本で読みました(誰の業績だったかはともかくとして)。

それ以降の、受領~負名を介した請負システムは、中央政界が個々の耕作者の戸籍を把握していなくても、現場に任せておけば、それなりに機能しうるものになっています。
いわゆる「よきにはからえ」というやつで、地税さえ滞りなく入ってくるなら、中央が地方の実情を知る必要もありません。

これを地方の側から言えば、一定の税金さえ収めておけば、余計な干渉を受けずに経営≒自治が可能ということでもあり、中央集権のタガが緩んで地方分権が進みうる条件が整ったとも言えるでしょう。
しかし地方分権も度が過ぎれば、国家の分裂解体ということにもなりかねないわけで(※だからこそ現代の売国奴や敵国のスパイもまた地方分権の美名が大好きなのでしょう)、
日本乗っ取りはまず地方から!恐るべき自治基本条例! (SEIRINDO BOOKS)
大阪都構想が日本を破壊する (文春新書 1020)
誰も書かなかった「反日」地方紙の正体
国司・受領が地方行政をコントロールしていられたうちは良いですが、免税特権を持つ寺社や顕官貴族への寄進によって、中央の徴税権が及ばない荘園が拡大、「一定の税金さえ収めておけば」というエクスキューズさえ消滅していくというのが、最終的な「オチ」だったのでしょうか。
人頭税から地税への転換は、つまるところ、律令国家にとってのパンドラの箱を開けたのかもしれません。

しかしこの動画シリーズも相変わらず舌足らずで。
不輸不入の権、などともっともらしく名前をつけたところで、遠く離れた京都のお公家さんの口約束が、目の前の役人の横暴の前に、何の役に立つでしょうか?
権利権利とさえずったところで、その侵害に対抗するだけの「力」の裏付けがなければ、絵に描いた餅でしょう。
不輸不入の権が幻ではなく実在したというのなら、そこにはつまりそうした「力」の裏付けが実在したということで、それこそは「武士」の台頭を意味していたのではなかったでしょうか。
玉川学園・玉川大学・協同 多賀歴史研究所:貴族から武士の時代へ 荘園支配の移り変わりをとおして
公権力がアテにならないのなら自分の生命・財産は自分で守るしかありません。
つまるところ、土地私有の発達は、武力の私有を促します。

こちらの追記で、保元の乱の実態に、「国軍」の「私兵」への分裂、すなわち「公」の解体の相を見ましたが……
そのような解体を可能にした経済的条件もまた、「公地」の「私有地」への解体という、やはり「公」の解体であり、
律令「国家」の終焉の相においては、「公」の「私」への分裂・解体が、様々なレベルで、パラレルに進行していたのかもしれません(その根底にあったのが、こちらで見た、モラルの面での「公」の解体だった、というのは、付会がすぎるでしょうか)。

当然、この解体の中から新たに国政の実権を握ろうとする者、天下を取ろうとする者は、今度は逆にこの分裂をいかに統合していくか、その方策・手腕を持っていなければならないわけで……
以降の武家政権は、(鎌倉幕府による御恩と奉公や守護地頭の制に見るように)、「武力≒統帥」と「土地≒徴税」の掌握に腐心していくことになるのかもしれません。

要するに経済と安全保障をおろそかにして「国家」の存立はありえない、という……

考えてみれば当たり前の話ですが、この「当たり前」にたどり着くために、ずいぶんと回り道をしなければならないのも、戦後日本における反日歴史教育の現実であるようにも思えます。
ラベル:平安時代
posted by 蘇芳 at 20:59| 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする