2017年01月04日

【動画】徳川慶喜の幕末世界史 第8回「徳川慶喜、最後の将軍に」


チャンネルくららから「徳川慶喜の幕末世界史」第8回。



人の評価というのは難しく、身びいきや偏見が入りやすいものでしょう。
思い入れや愛着が強ければ強いほど、そうなりがちかもしれません。
となれば、歴史上の人物の評価について、最も信憑性が高いのは、ある意味、味方ではなく、敵による評価かもしれません。
ある人物の「敵」こそは、その人物の力量を的確に評価する必要性に迫られ、しばしば身をもってその「力量」を思い知らされることさえあるのでしょうから。
(現代においても、日本にとって有益な政治家が誰かを知りたければ、日本の「敵」に尋ねるのが、ある意味もっとも確実、というのは、日常的にくりかえし実感可能な経験則でしょう。
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そういう意味では、「神君家康公以来の将軍」という木戸の慶喜評には、かなりの説得力が感じられるのではないでしょうか。

いわゆる薩長史観への批判というのは(特に会津側から提出されるものは)珍しくありませんが、慶喜の巻き返しがここまでのものというのは、なかなかに壮観ではあります。
徹底したリアリストでかつエゴイストというのは、つまり脳内お花畑ではない分、政治家、戦略家、あるいはむしろ「謀略家」としては、優秀でありうるのかもしれません。

慶喜にかぎらず、尊皇攘夷の「夢想」に早々と見切りをつけ、開国大攘夷の現実路線を選択したのは、幕府のほうが薩長よりもはるかに早かったのですから、いわゆる勤皇の志士より、幕臣のほうがよほどリアリストであり、先見の明があったとも言えるでしょう。

しかし、だからといって、一部の論者のように、明治維新は「過ち」だった、と、即断できるのかといえば、そう簡単でもない、ように思えます。
その後も徳川が政権を担いつづけていればどうなったか、などという「IFの世界」については、本当には、誰も知りはしないのですから、それこそ身びいきや偏見によって美化・誇大化された妄想になりかねません。そんな「妄想」で、明治以降の「史実」を否定しようというのは、歴史ではなく娯楽産業の仕事でしょう。

江戸は確かにすごかった。
幕府には先見の明があった。
慶喜の政権構想は近代的だった。
それはいいでしょう。

開国大攘夷を先に「構想」したのは、確かに幕府です。
しかし、その構想で国論をまとめることができなかったのも幕府でした。
結局、開国大攘夷という幕府の構想を「実現」したのは、明治政府だったでしょう。

同様に、近代的な国家制度をいち早く「構想」したのは、慶喜だったかもしれません。
しかし、結局、その構想に近い議院内閣制を「実現」したのは、明治政府だったのではないでしょうか。

そして何より、動画で言われているように、ここまで巻き返しておきながら、慶喜はやがてまもなく歴史の表舞台から退場していくのです。

織田が搗き、豊臣が捏ねた天下餅、食らうは徳川、というのが江戸の始まりだとすれば。
徳川が搗いた天下餅を、薩長が食らったのが幕末だったのでしょうか?
個人的には、むしろ、徳川が作ったのは、最初から、「絵に描いた天下餅」でしかなく、薩長は薩長できちんと自前の天下餅を自力で搗き、捏ね、食らったのではないかと思いたいものですが……
それもまた「身びいきと偏見」が入った「評価」にすぎないのかもしれません。
やはりなかなかに「評価」というのは難しいものです。
posted by 蘇芳 at 14:58|  L 「徳川慶喜の幕末世界史」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする