2017年01月03日

【動画】小野義典の国際法講座~あなたならどうする 第14回「平成28年の国際法・国際政治の重大ニュース番付」


チャンネルくららから「小野義典の国際法講座」第14回。



今さらですが大晦日の2016年回顧動画。

グローバリズム詐欺の破綻とナショナリズムの復活、(または「回帰」なり「反撃」なり)、それに類する言い方は最近あちこちで目にするのではないかと思いますし、動画で取り上げられている現象の多くは(特に日本を含め先進国で起きている状況は)おおよそそれでつかめるかもしれません。
それはそれで良いのですが、そもそもナショナリズムを「復活」させることが可能だというのは、わりと先進国の特権かもしれません。

「自国の独立を以て文明の目的と為す」と言い切ったのは福沢諭吉だそうですが(「文明論之概略 (岩波文庫)」)、いわゆる先進国というのは、他に先駆けて近代的な意味での「自国の独立」≒「国民国家の形成」≒「ナショナリズムの確立」に成功した国々を言うのではないでしょうか。

欧州というのは英国等一部を除いて地続きですが。
その狭苦しい「地域」のなかに、さらにせせこましい「国境」がいくつも引かれているのはなぜか。
その線の「あちら」と「こちら」の区別は、なぜ必要とされ、確立され、維持されてきたのか。
そこにはそれなりの意味があるはずです。
彼らは(そして私たちも)長い年月を経て、「国境」の創出と維持を「達成」し、「ナショナル」な価値観・アイデンティティにたどり着いたのであって、それこそは文化・文明の大きな成果に他ならなかったのではないでしょうか。

しかし、「達成」や「成果」という言い方には、それが困難な課題であるという意味が、ごく自然に潜在しています。
当然、その課題の達成に失敗した地域・民族・人々もいたことでしょう。
「自国の独立」≒「国民国家の形成」≒「ナショナリズムの確立」の達成に失敗した、ということは、彼らのアイデンティティのよりどころは、当然ながら「ナショナリズム」ではない。
実際、シリアの自称「難民」などは自分たちの「国」を捨てて顧みないわけですから、EUを蝕む彼らのアイデンティティのよりどころに「国境」も「国民」も無関係だということは、確からしく思われます。

「国境」も「国民」も無視するアイデンティティとは何か。
論理的には、二つの可能性があるのではないでしょうか。
一つは、国民国家「未満」のアイデンティティ。部族とか民族といったものです。
もう一つは、国民国家「以上」のアイデンティティ。地球市民(笑)だの唯一絶対の神だの共産主義だのといった「人類普遍」を僭称する観念のことです。

国家を超克して新しいステージに進もう、人類ミナ兄弟、という妄想を口にする人間はしばしば存在しますが、そのほとんどは、脳内お花畑の愚者であるか、または嘘つきの侵略者のどちらかでしょう。
何となれば、上で見た通り、国民国家の形成さえ、一握りの先進国しか達成しえなかった難題なのですから、だとしたら、それ以上のステージに進みうる人類集団など、この地上にそうそう実在しうるはずがないのではないでしょうか。

「国境」も「国民」も無視するアイデンティティを持つ集団の正体とは、現実的には、国民国家以前、近代以前の、「未開」であり「部族」であり、地縁・血縁共同体のそれにすぎないと、とりあえずは喝破しておくべきでしょう。

欧州を食い荒らす「難民」は「祖国」を喪失したのではない、初めから「祖国」など持っていなかった。なぜなら最初から「国民」ではないのだから。欧米の都合で適当に引かれた国境モドキのなかで、せいぜい、「国民」に偽装していただけ。だから当然、他国民にとっての「祖国」の意味や価値なども理解することができない。他国の境界を、他国のルールを、踏み破り、踏みにじることに何のためらいもないし、そもそも躊躇わなければならない理由すら理解できない。のではないでしょうか?

しかしながら、そのような勝手放題を他国に対して仕掛けることは、端的に攻撃であり侵略ですから、当然、反撃を予想しなければなりません。
ISの暴力から逃げ出した自称「難民」が、他国の武力に正面から立ち向かえるはずもないでしょう。
彼らの侵略目的を完遂するためには、その目的を偽装する「弱者の戦略」が必要になります。

他国の境界を、他国のルールを、踏み破り、踏みにじるという侵略行為を、相手国の反撃を招くことなく偽装する方法。それは端的に虚偽であり、詐欺ですが……
近代「未満」の部族社会と、近代「以上」を僭称するグローバリズムは、国民国家への攻撃という目的のために、グロテスクな黙契を結びやすいのではないでしょうか。

近代国民国家未満の古代部族社会の心性しか持ち合わせない集団が、平等だの人権だの人類だの普遍だのといったグローバリズムの虚偽によって偽装する……
全「人類」にとって「普遍」的な唯一絶対の神というグローバルな理想を唱えながら、敵対「部族」の根絶を図る、一神教世界の虐殺の歴史は、この詐欺のもっとも典型的な例に他ならないように思いますし、現在、欧州をゆるがせている移民騒動もまた、その変奏にすぎないように、思えなくもありません。

シリアをはじめとして、欧米の都合でデタラメな「国境モドキ」で区分けされてしまった地域の「国々」には、多かれ少なかれ、そうした(先進国とは相いれない)基本的価値観が横たわっており、しかもその部族的価値観には格好の隠れ蓑が提供されている。のではないでしょうか。

そしてそれは、何も、中東やアフリカに限った問題でもないでしょう。

欧米の都合で棚ボタ的に「国境モドキ」を手に入れ、口にむやみな愛国を絶叫しながら、本当の意味で独立国としての気概も国民国家としてのアイデンティティも形成できなかった「国」なら、わが国のすぐそばにも、いくつか実在するのではなかったでしょうか。
今さらかの国々について細かいことをあげつらっても不毛ですが。
何にせよ、「国家」「国民」「国籍」「国境」の重みを理解することすらできない人々が、「国民国家」にとって潜在的・原理的な脅威であることは、否定のしようもないように思えます。
いわゆるナショナリズムの「復活」とは、この基本的価値観の不一致を前提にすれば、ナショナルな価値の「防衛」に他ならないのではないでしょうか。

追記:
彼らの口にする「人類普遍」のグローバルな価値が、それこそ「全人類」を現実的に幸福にするというのなら、いいのですが、縷々述べてきたように、そんな「価値」は実は常に価値の「偽装」にすぎず、詐欺のために用意された贋金・見せ金の類にすぎないのですから、話にもなりません。「人類普遍」の価値が人類を幸福にするどころか、グローバリズムに感染した地域は、むしろ不安定化する一方であること、誰の目にも明らかではないでしょうか。
ちなみに「全人類への愛」は最悪の自己愛以外の何物でもない、というのは、とあるロシアの文豪が登場人物たちにくりかえし議論させつづけたテーゼでもあります。作者的にはそれに反論したいのでしょうし、そのために長大な小説などこねくり回したのでしょうが、さて、はたして反論できたのかどうなのか。メシア妄想と共産革命の国の博奕狂らしい妄念ではあるかもしれません。
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posted by 蘇芳 at 21:25|  L 「小野義典の国際法講座」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする