2016年12月27日

【動画】信時潔:交声曲《海道東征》 第四章〈御船謡〉(1941)


信時潔「海道東征」第四章。


wiki:海道東征
海道東征のホームページ(4)御船謡

「讃へ言、寿詞申せ」とあるように、第三章までと違って、祝詞からの引用が多いようです。
「科戸の風」「荒海の潮の八百道の、八潮道の、潮の八百会」「速開津姫」などは、大祓詞にも見られる表現ですから、なじみがあるでしょう。

と同時に「きこしめせと申さくみ船謡」でもありますから、シチュエーションとしては、船乗り・漕ぎ手たちが、天皇を寿ぐめでたい「讃へ言」「寿詞」を「舟唄」として歌っている、という情景でしょうか。
実際、「その三」以降に見られる「ヤアハレ」「ヤ」などの掛け声は、集団で舟をこぐテンポをそろえるためのものとも感じられなくもありません(勘違いかもしれませんが)。

何にせよ、そこで歌われている光景は、天皇がさまざまな風景を「見はるかし」、「我が国と大君宣らす、我が土と皇孫領らす」という、めでたい「国見」のそれでしょう。
Weblio 辞書:物語要素事典 > 国見
民草が晴れ晴れと勤労の汗を流してながら、大御代を称える歌を歌っている。
そこには「権力者」に対する「人民」のルサンチマンの影さえもありません。
パヨクの大好きな階級闘争の入りこむ余地のカケラもない、めでたくも麗しい君民一如の交歓の光景というべきでしょう。
信時潔:交聲曲「海道東征」/我国と音楽との関係を思ひて/絃楽四部合奏 - 弦楽オーケストラ版 -[SACD-Hybrid]
オーケストラ・ニッポニカ 第2集
「海道東征」信時潔 作品集
SP音源復刻盤 信時潔作品集成
「海道東征」への道

追記:
「音楽」として、愛国者としては、おそらく、すなおに民族の宝としての神武東征の美しい情景に酔いしれていればよいのでしょうが……

作曲の背景や思想については、若干、余計なことを考えてみたい気がしなくもありません。

あるいはそれは、私自身が、まだまだ正しい愛国者になりきれていない、パヨク捏造自虐史観・日本暗黒史観の尻尾を引きずっているせいなのかもしれませんし、あるいは私が勤勉さのカケラもない、日本人にあるまじき怠け者だからかもしれませんが……
底抜けに明朗すぎる労働の風景というものには、多少、ブラック企業的なものを感じなくもありませんw

そもそも「労働」の光景というものは、社会主義・共産主義の国々のプロパガンダにくりかえし登場するものでもありますが……
(労働組合バンザイ映画といえばタカハタイサオやミヤザキハヤオの世界もそうかもしれませんw)
実のところ、この曲が作られた当時の日本もまた、こんな↓ポスターを作ってもいたのだそうで。
wiki:紀元二千六百年記念行事 > 11月15日からのポスター「祝ひ終つた さあ働かう!」
当時の日本が、実はパヨクを嗤っていられない状況だった、というよりむしろパヨクに牛耳られた状況だったかもしれないことは、やはり、意識しておく必要があるのではないでしょうか。

二二六事件以降、政治を牛耳るようになった「統制派」については、
 このころから永田の下には、東條英機、武藤章、冨永恭次、下山琢磨、影佐禎昭、池田純久、四方諒二らが集まり、池田純久は幹事としてこのメンバーを集めたびたび研究会を開き、戦後になって彼らこそがオリジナルの統制派であると語った。池田純久は戦後になって、
一君万民の社会主義天皇制を念願したことは、意識すると否とに拘らず明白な事実である。国家経済は統制経済を採用し、農魚山村経済に力を注ぎ、その疲弊を救う」(『別冊知性』昭和三一年一二月号 河出書房)
 と語っており、統制経済とは天皇制を形だけ残すものの、社会主義体制を樹立する試みであることを明らかにした。
などという当事者の「自白」もあるそうですし、上のポスターを作った大政翼賛会というのも、当ブログでは共産主義関連記事でおなじみ近衛文麿の名を冠した新体制運動の帰結に他ならないのですから……
街には、赤旗を押したてたデモ行進が延々と続いている。インターナショナルの歌声が怒濤のごとく響いてくる。私はふと奇妙な錯覚にとらわれる。この同じ街を、同じ我々の同胞が、手に手に日の丸の旗を打振り、愛国行進歌を高らかに歌い、延々長蛇の列をなして通って行く姿が瞼に浮んでくる。それが、まだついこの間のような気がするし、また遠い昔のような気もする。そして、あの日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った何万何十万かの人間は、何処へ行ってしまったのだろうか、また、赤旗を押し立て、革命歌を歌い、堂々デモ行進をやっている何万何十万かの人間は、何処から出て来たのだろうか。あの頃――何処で、何をしていた人々だろうか、と思う。それから静かに考えてみて、大変な事に気がつく。あの戦争中、日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った人間も、いま、赤旗を振り、革命歌を歌って通る人間も、同じ人間ではないのかと。
などという時代性には、やはり、目配りも必要なように思うのです。

まあ、単なる私の病的な深読みにすぎないのなら何よりですが……
しかし、嘘つき・詐欺師の類こそは、他の誰にもまして、きれいな理想を口にするのが何より好きな生き物でもあるでしょう。
神武東征という、こちらで述べた「国家・国民・民族の宝」さえもが、それが「宝」であるがゆえに、共産主義者という名の嘘つきに利用された可能性が、多少なりともあるとすれば、いい気はしません。

「君民一如の交歓の光景」と、「偉大なる同志に見守られた人民」とは、いかにして区別されるべきか?
両者の間に絶対的な差異がありうるとすれば、それは何か?
こちらで考察した、彼我の観念の落差を、思いだします。
posted by 蘇芳 at 03:02|  L 「海道東征」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする