2016年12月25日

【動画】信時潔:交声曲《海道東征》 第三章〈御船出〉(1941)


信時潔「海道東征」第三章。


wiki:海道東征
海道東征のホームページ(3)御船出

「陽炎の東に立つ」と聞けば、柿本人麻呂、
東の野にかぎろひの立つ見えて かへりみすれば月傾きぬ
「潮もかなひぬ」と聞けば、額田王、
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな
日本人なら誰でも反射的に万葉秀歌を想起してしまう言葉が散りばめられています。
時系列的には転倒ですが、二章と同様、本歌取り的にイメージを重層化する効果はあるのではないでしょうか。

引用元が京都で編まれた「古今」や「新古今」ではなく、奈良で編まれた「万葉集」であることにも、意味を見出すべきかもしれません。

こちらで考察した通り、「八紘一宇」が国民国家の理念・宣言であるとして、その理念を現実の国家の姿として結実させるには、なおまだ長い時間と代々の積み重ねが必要だったでしょう。
しかしてその「国民」「国家」「日本」誕生の歴史は、崇神天皇によって祭祀が整えられ、景行天皇から応神天皇の御代までかけて九州・朝鮮を平定され、聖徳太子によって初の憲法が制定され、天智天皇・天武天皇によって改めて対外的に国民国家日本の自主自尊が宣言されるに至るまで、京・山背でもなければ、もちろん江戸・東京でもない、そのほとんどが飛鳥・奈良・大和を中心として展開されたのでした。
(※まあ、天智天皇の都は近江大津宮でしたが、結果的には例外的になってしまったかと)

もちろん、そのあげくの果てに道鏡を生みだした奈良の都の爛熟は、現実の歴史としては大きな問題を孕んでいますが……
その道鏡たち南都仏教と決別して遷都された平安京から見れば、その時点で、平城京は「古京」「ふるさと」でした。
「あおによし」と奈良を理想化する万葉集が古典として愛されつづけていくなかで、奈良・大和は、さらにその「故郷性」を純化させていくことにもなったのかもしれません。

第二章と同様、この第三章においてもまた、神武天皇が目指された「新天地」は、同時に、日本人すべてにとっての「ふるさと」の記憶を喚起すべくひそかに仕組まれているように思いますが……
前回述べたことに、それなりの妥当性のカケラがあるとすれば、そのような作為にも、十分な説得性と必然性があるといえるのではないでしょうか。
信時潔:交聲曲「海道東征」/我国と音楽との関係を思ひて/絃楽四部合奏 - 弦楽オーケストラ版 -[SACD-Hybrid]
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posted by 蘇芳 at 15:57|  L 「海道東征」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする