2016年12月14日

【動画】徳川慶喜の幕末世界史 第5回「国際的大陰謀?  激突!兵庫開港問題」


チャンネルくららから「徳川慶喜の幕末世界史」第5回。
何やら不敬の言辞も目立ちますが💢


wiki:兵庫開港要求事件

前回のような事情でドイツはお休み。
直接内政に干渉してきたのは薩長側の英国、幕府側はフランス。とりあえずはそう言えるのでしょうが。

幕末にはロシアもかなりのちょっかいをかけてきていて、橋本佐内などロシアとの提携を主張した人物もいましたし、後に明治政府のもとで対露交渉を成功させるのは旧幕臣の榎本武揚。

このロシアという国は田舎者のコンプレックスか何か知りませんが、妙にフランスという国が好きらしく。
ロシア宮廷の公用語は長らくフランス語でしたし、20世紀になってからのことですがついにはフランスの「革命」まで律儀に模倣して自国民の虐殺にいそしんだくらいです。
ロシアが欧州に侵攻しようとすれば最初に邪魔になる大国はドイツですが、フランスというのはその後背を突ける位置にありますから、多少はそのあたりの打算もあったのでしょうか。

もちろん露仏関係も離合集散、時にはたやすく敵同士にもなりましたが……
欧州の不安定要素がドイツである時期には、手をくむことも多いのが露仏両国という印象はあるかもしれません。

そして、幕末のこの時期というのは、不平等条約の締結が西暦で言うと1858年。露仏が敵味方に分かれたクリミア戦争はすでにその2年前に終結しています。兵庫の開港が問題になるのはさらにその数年後ですね。
露仏の関係改善の時間はあったかもしれませんし、しかも前回の動画で見たように、このころ、欧州ではビスマルクがドイツ帝国をでっちあげようとしていたわけですが(フランスも煮え湯を飲まされたわけですが)
このドイツ帝国というのは、後には露仏同盟をもたらすことにもなる露仏両国の仮想敵国。
つまるところ、幕末というのは、露仏にとって「共通の敵」の台頭期であるのかもしれません。

とすれば、動画で言う「英仏の代理戦争」もまた、単純な二者択一ではなく、直接国境を接する侵略者・ロシアの動向をも踏まえて判断すべき事柄であるようにも思えます。

アヘン戦争の悪役・英国がそれ自体として良い国というわけではさらさらありませんが……
英国と組んだ薩長こそが維新の主役になっていったことは結果的には事実。
明治になってからも、ドイツがロシアをけしかけた三国干渉にはちゃっかりフランスも名を連ねていたわけですし、日英同盟あってこその日露戦争、第一次大戦、国連常任理事国の地位。だったわけですから。

少なくとも「敵の味方」よりは、「敵の敵」のほうが、利用価値がわかりやすいとは言えるのかもしれません。

薩長はテロリストだの、幕府のほうが国際情勢をわかっていただのと主張することはたやすいですし、事実の一面をとらえてはいるのでしょうが。
戊辰の役のルサンチマンにふりまわされて、国内勢力のジャッジだけに固執しすぎるのも考えものでしょう。
攘夷も開国も要は「外交」であり、複雑怪奇な国際情勢・欧州情勢の渦中で展開されていたのだとするならば、その激浪を乗り越えた先人の苦闘を理解するためには、私たち自身もその「激浪」に目を転じる必要があるのかもしれません。

よく無事でしたよね、ニッポン……
posted by 蘇芳 at 15:59|  L 「徳川慶喜の幕末世界史」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする