2016年12月08日

【動画】徳川慶喜の幕末世界史 第1回「究極のエゴイスト! 徳川慶喜の生涯」


チャンネルくららから。



いわゆる薩長史観というのはよく言われますし、その反対に会津側から見た敗者の日本史的なものも定期的に流行りますが。
それに比べると慶喜の影が異常に薄いのは確かかもしれませんね。

孝明天皇ご自身は長らく公武合体論者でいらっしゃったと言われていますので、十四代将軍家茂の時代には徳川方こそが官軍。二度にわたる長州征伐も家茂の時代ですし、和宮降嫁というのもこのとき。
それが一転、どうしてこうなった、というのが慶喜の時代。
将軍就任前の慶喜は、一会桑政権の中心人物でもあり、長州征伐の主導権も握っていたはずですが……家茂が亡くなるや、棺の蓋も閉まるか閉まらないかという間にアッサリ征討も中止させてしまうわけで。
その後の鳥羽伏見戦といい、会津が逆賊とされ、幕府が崩壊していくことになる引き金は、結果から見れば、慶喜が引いたと言われても仕方なさそうです。

まあ、家茂の時代には桜田門外の変などもあり、もうはや時代の趨勢は引き返しようのないところまで行きついていてしまったのかもしれず……
長州征伐にしても、一次と二次で事情がだいぶ違っていたようですし、慶喜には慶喜なりの考えがあったのかもしれませんが。

何にせよ、幕末維新のターニングポイントして、孝明天皇の崩御と明治天皇の御即位、という一種の「世代交代」はよく指摘されるところ。
しかし、それと相前後して起きた、家茂から慶喜への徳川将軍サイドの代替わりも、同様に重要なターニングポイントではあったのかもしれません。

そもそも「攘夷」というのは外交でもあり。
皇室と徳川の代替わりによってもたらされたのは、まさにその外交政策の大転換でもあったわけですから、討幕か佐幕かと国内事情だけを見ていても仕方ない面もあるでしょう。
その点、動画のシリーズは、幕末「世界」史だそうですので……
そこに「倉山史観」が光をあてるというのなら、しばらく視聴してみようかな~と思う今日この頃です。
別にくららサポーターというわけでもないのですけどね💧
posted by 蘇芳 at 20:43|  L 「徳川慶喜の幕末世界史」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする