2016年10月29日

【動画】小野義典の国際法講座 ~あなたならどうする?第4回「国連って何?●ね●ね団の巣窟!? 」


チャンネルくららから「小野義典の国際法講座」第4回。



Exciteニュース:「連合国」を都合よく「国際連合」と訳したのは外務省陰謀説
夢と希望と笑いと涙の英語塾:朝日新聞記者がまとめた「国際連合」という訳語の由来
↑のリンク先にはソース元として反日工作機関紙が挙げられていますし、もう一方の佐藤某も鵜呑みにできるわけではまったくありませんが。
「国民に受け入れられるいい訳はないか知恵を絞り、苦心して考え出したのが『国際連合』
日本の外務官僚は、国際連合があたかも公平公正な機関であると見せかけようとして、連合国と異なる意訳をあえてした
というそれぞれの説明自体は、ニュアンスの差異を棚に上げれば、事実関係についてはおおむね共通しているといってよいでしょう。
結局のところ「受け入れ」させるために「見せかけ」る必要があったのでしょうから。

外務省官僚が、『連合国』を「公平公正な機関」のように「見せかけ」、国民に「受け入れ」させるために、「あえて」デッチアゲた「意訳」が『国際連合』である……
この場合、「意訳」とはすなわち「図的な誤」というところでしょうか。
要するに、外務省が国民を騙した、ということです。
その嘘が、いわゆる善意の嘘だったのか、反日左翼官僚の悪意のそれだったのかは……謎ですが。

こちらでも「古今東西を問わず、外交の反面は実に常に国民世論との戦い」と書きましたが、外交の現場では、国民を「欺く」必要が生じることも、ありえなくはないでしょう。
(わかりやすい例を挙げるならポーツマス会議です。日比谷焼き討ち事件の暴徒を、小村寿太郎や伊藤博文より高く評価するバカはいないでしょう)
もちろん外務官僚のことですから、敵国のスパイだった可能性も山のようにあり、単なるお花畑のバカだった可能性も捨てきれませんが。

何にせよ、嘘はどこまで行っても嘘にすぎません。

結局のところ虚偽とは現実ではないのですから、虚偽を信じる者が、現実を正しく把握できなくなることは理の当然です。
そして、現実を正しく把握できない者が、現実に正しく対処できなくなることも、また、やはり、当然でしょう。
最初の意図がどうあれ、今となっては、「国連」という虚偽が日本人の国際感覚を狂わせる役にしか立っていないことは、明らかではないでしょうか。

いわゆる「国連」と呼ばれているところのものが、考え方によっていろいろな使い方ができる「場」であることは、動画で言われている通りでしょう。
しかしその「場」をうまく活用し、その「場」で生じる様々な出来事にうまく対処することが、従来の日本にできていたかたと言われれば、アヤシイかぎりでしょう。
その原因の根本には、単に能力的なものではなく、言葉の虚偽によって作りだされた誤ったニュアンス・先入観の類に足を引っ張られた、という事情が、潜んではいなかったでしょうか?
この虚偽によって、「場」の出来事に対処する以前に、「場」で何が起きているのかという現実を正しく把握することさえできない政治家が、官僚が、国民が、大量に作りだされてはいなかったでしょうか?

動画で言われている通り、安倍政権になって、ようやく、多少、ほんの少しだけまともな対処ができるようになってきたのだとすれば、何よりかもしれません。
保守速報:菅義偉長官「ユネスコの政治利用が惨すぎるから分担金拠出見合わせるわ」
しかしなお、「国連」という虚偽は日常的な用語として採用されつづけており、あまつさえ学校教育の現場で教えられつづけてさえいます。

これを、ただの言葉にすぎない、などと、油断することは禁物でしょう。

「人間宣言」「天皇制」「生前退位」「女性宮家」「性奴隷」「市民」「平和」「グローバル化」「A級戦犯」「成長著しいお隣」etcetc
反日勢力のとほうもない詐欺は、どれほど多くの虚偽の「言葉」に支えられてきたことでしょうか。
彼らへの「言葉」へのコダワリが何なのか、そこに思いを致すべきではないでしょうか。

反日勢力は言葉狩りも大好きです。いちいち上げだせばキリがありませんが、たとえば、連中が「支那」を「中国」と呼べと主張するのは、なぜだったでしょうか?
日本を護ろう:シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
NAVERまとめ:中国を「シナ」と呼ばなくなった理由
支那豚の楽園:なぜCHINAを「中国」と呼んではだめなのか?
ねずさんのひとりごと:支那を中国と呼ぶのは国辱
畢竟するところ、われわれの敵は端的に嘘つきであり、嘘≒虚偽の「言葉」こそが彼らの最大の武器なのだということを、しっかり認識しておく必要があるのではないでしょうか。
で、あるならば、彼らの虚偽のカラクリを解明し、無力化しつづけると同時に、正しい言葉の使用を心がけることも、また、必要であるように思います。
posted by 蘇芳 at 14:02|  L 「小野義典の国際法講座」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする