2016年10月16日

【動画】豊受大神宮 - 伊勢神宮 [外宮]


「お伊勢さん」といえば普通は天照大神様を意味するのでしょうし、それはそれでいいですが。
伊勢神宮というのは実際には別宮・摂社・末社を含む125ものお宮の総称。
大御神様だけが祀られているわけではありませんし、中には一般にはよく知られていない神様をお祀りしたお宮もあったのではないかと思います(ご祭神が「渡会氏の氏神」などと言われても、一般的にはピンとこないでしょう)。
あらためて考えてみると、とりわけ謎の神様というのは、意外と、豊受大神様かもしれません。


動画概要:
2013/12/09 に公開
通称「外宮」。内宮ご鎮座の481年後、雄略天皇は夢の中で天照大御神のお教えをお受-けになり、豊受大御神を丹波の国から、山田の原にお迎えされました。豊受大御神は御饌-都神とも呼ばれ、御饌、つまり神々に奉る食物を司り、衣食住、ひろく産業の守護神とし-てあがめられています。正宮の北、御垣内の東北に御饌殿があり、御饌殿で毎日朝夕二度-、皇大神宮に大御饌を供進する「日別朝夕大御饌祭」が創祀以来の重儀として一日も欠か-さず斎行されています。明治5年以降は豊受大御神をはじめ、両所別宮に至るまで大御饌-が奉られています。奈良時代から平安前期は度会宮と豊受宮の二者が併用されていました-が、平安中期頃から豊受大神宮と称され、皇大神宮と肩を並べる地位となります。年中の-祭祀は神衣祭りを除いて皇大神宮と同様に斎行され、まず当宮において斎行の後、皇大神-宮に及びます。

御祭神 : 豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)
住所 : 三重県伊勢市豊川町
公式HP:http://www.isejingu.or.jp/
Wikipedia : http://bit.ly/1cxfa6u
Google MAP : http://bit.ly/1cxfnGA
大和心 ぶろぐ : http://bit.ly/1cxfqSZ

Jingu is often introduced in the dictionary as Ise Jingu. However, the official name is Jingu without Ise. Jingu is principally composed of the Naiku where Amaterasu Omikami, the ancestral kami of the Imperial Family, is worshiped, and Geku where Toyouke Omikami, the kami of agriculture and industry, is worshiped. Geku is the alternative name for Toyouke Dai Jingu, the sanctuary that is located in the center of Ise city. Toyouke Omikami has founded in the 22nd Years(453)of the reign of Emperor Yuryaku. Emperor Yuryaku had a dream of Amaterasu Omikami in which the deity revealed that she could not properly secure her meals and therefore asked the Emperor to bring Toyouke Omikami from Tanba to take care of her food. After awaking from the dream, the Emperor built a magnificent dwelling place and brought Toyouke Omikami here. Since then, at the Mikeden, the sacred Dining Hall for the kami in the Sanctuary, the dedication of the sacred food to Amaterasu Omikami has without fall been ceremoniously conducted twice a day both in the morning and the evening, since the foundation of the Geku(refer to Higoto-asayu-noomikesai ceremony). Throughout the year, the rites at the Geku are conducted in the same way as at the Naiku.

Official HP : http://www.isejingu.or.jp/english/
Wikipedia : http://bit.ly/1cxf9ze
Google MAP : http://bit.ly/1cxfnGA

動画にもテロップされているように、一般的には、もちろん、雄略天皇の御代に天照大神様の御神勅によって、丹波から御饌都神としてお招きされたのが、豊受大神様ということになります。
御饌都神というのは、広い意味では重要な意味を持たせることもできますが、この場合、第一義的には、天照大神様のお食事を司る、言ってしまえば「大神様の料理番」のような意味に受け取れます。
そのような専属コック?的な神様が、外宮御祭神≒内宮と並び立つ重要な位置を与えられていることには、現代的な感覚では、微妙な違和感が感じられなくもないのではないでしょうか?

そんなことを言うと罰当たりだと怒る人もいるでしょうし、オマエは神道をわかっていない、などと無駄に上から目線で知ったかぶりをする人も現れるかもしれませんが……
実のところ、上で述べた「違和感」は、私の専売特許ではありません。
豊受皇太神御鎮座本紀に曰はく、
「天地の初発の時、大海の中に一物有り。浮ベル形、葦牙ノ如し。其の中ニ神人化生ス。名づけて天御中主神といふ。故に豊芦原中国と号し、亦因ンデ以て豊受皇太神と曰ふ也。
止由気皇太神月天尊なり。
御気津と謂ふは水徳の号也。秘府実録に曰はく、「天御中主、天の下を視たまひて、時候を式て諸天子に授け、天地の間を照覧したまふ。而して一水の徳を以て万品の命を利す。故に亦名づけて御気津神と曰ふ也。
而るに卜氏勘草の如くんば、奈具社の神、豊宇賀能売命、大膳職ノ御食津神以下十八社の神を以て、外宮の分座と為すの旨、之を載す。敢て以て正当无き也。豊宇賀能売命は、豊受宮の酒殿神也。御食津神〈保食神也〉は、即ち月読尊の為に傷害せらるる神也。全く当宮の分座に非ず。
天照皇太神は二宮ノ通称也。祖ハ即ち外宮、宗ハ即ち内宮也。故に皇御孫尊は、天照大神〈内宮なり〉を敬ひ奉り、天照大神は豊受宮を敬ひ奉る。仍りて吾を祭るの時、先ズ豊受宮を祭り奉るべきの旨、内宮の神勅に燦然たる也。尓れ自り以来、諸の祭所は外宮を先とスル也。是れ則ち豊受宮は天神の始、天照大神ハ地神ノ始也。当宮を以て、豈素戔嗚尊の苗■(商の下に衣?)保食神等に類ぶべけん哉
「類聚神祇本源」(「日本思想大系〈19〉中世神道論 (1977年)」より引用)

上の引用は、中世、鎌倉時代ごろの神道論ですが……
豊受大神様は、天地開闢の神・天御中主神のことであるとされたり、太陽と並び立つ月の神とされたり、「大御神の料理番」どころの騒ぎではなくなっています。
それどころか後段では「大御神の料理番」的な解釈を否定するのにやっきになっています。

ここでは、「ミケツカミ」の「ミケ」「ミケツ」とはそもそも「御饌」ではなく「水気」であり「御気津」であり、生命の源であるところの水の徳を意味するのであって、これを同音だからといって御食津神(記紀に登場する穀物・食物の起源神)の類と混同するのは、「本末錯乱」であると主張されているようです。
また、この観点からいわゆる「外宮先祭」の習慣も、昨今の観光ガイドなどとは別の意味付けがされているように思います。

つまるところ、内宮と並び称される外宮の神様が、単なる「料理番」であるのはヘンだという「違和感」が、昔からあったことは、やはり確からしいのではないでしょうか(違和感があるからこそ、その解消も必要とされるのでしょうから)。

後半の解釈には、やや著者のコジツケめいた趣も漂っているかもしれませんが……そもそもの論拠になっているのは、「豊受皇太神御鎮座本紀に曰はく」とある通り、外宮の鎮座伝承ですし、これは神道五部書の一つでもあったと思いますので……ミケツカミの解釈云々以前に、豊受大神様を天御中主神と同一視する伝承自体は、それなりの権威をもって通用していたのかもしれません。

もっとも、神道五部書を聖典とするいわゆる「伊勢神道」の別名は「渡会神道」とも言いまして……
外宮の世襲神主だった渡会氏によって(わりと外宮に都合が良いように)理論化された面が強いとも聞き及びます。

上で論じられているように、天地開闢の神が食物の神と誤解されたのか、食物の神を権威づけるため天地開闢の神と同一視すべく理論武装が図られているのか、素人にはにわかには断じられませんが……

渡会氏の影響力は、少なくとも、明治の神道政策によって神職の世襲が禁じられるまでつづいたわけでしょうから、上のような豊受大神様の位置づけも、鎌倉以降、かなりの長期間にわたって唱えられ続けたわけでしょうし、また「豊受皇太神御鎮座本紀」を含む「神道五部書」が伊勢神宮内部でその後は急にないがしろにされるようになった、というわけでもないのでしょう。
現在ではなりを潜めた考え方ではありますし、個人的にはそれはそれで妥当な気もしますが、豊受大神様を天地開闢の神として位置付ける思想的試みがあったという事実そのものについては、単に「なかったこと」にするのではなく、きちんと知っておいても損はないように思います。
何となれば、そのような(多分に我田引水的な)試みのはらむ問題や限界について批判・考察することは、私たち自身の思考の錬磨にとって、無益ではないかもしれませんから。
posted by 蘇芳 at 15:34|  L 伊勢神宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする