チャンネルくららから「みんなで学ぼう!日本の軍閥」第2部第3話。
ハッキリ言ってあまり名前を聞く機会もない人で、私もよく知りませんが……
wiki情報で恐縮ですが、明治30年に海軍兵学校を卒業ですから日清戦争にはもちろん参加せず。日露戦争では旅順閉塞作戦に参加するもののエンジントラブルで引き返し……その後終戦まで何をしていたのかはwikiには記載がありませんが、日本海海戦後は海軍兵学校の教官になったということですから、軍人とは言いつつ、大角の実戦経験というのは……ということでしょうか。
大角の現場勤務は大正2年度の、「筑波」副長、6年度の「朝日」艦長、12年度の第3戦隊司令官、昭和3年度の第2艦隊司令長官の合計4年間に過ぎない。海軍生活のほとんどを軍政官として過ごすことになるその後、東郷平八郎、八代六郎、加藤友三郎など有名人の「副官」「側近」などを務めているそうで……名前を聞く機会が少ないのも、それら有名人の陰に隠れてしまうから、ということもあるのかもしれません。
まあ、補佐官こそ実務にたけていなければならない面もあるでしょうし、兵学校の卒業席次は3位だったそうですから、優秀な人ではあったのでしょうけれど、その優秀さの質は、「明治の人は偉かった」的な通念からは少しかけ離れているのかもしれません。
典型的な学歴エリートというところでしょうか?
明治は良かったのに昭和はダメになったという論調で嘆く人たちによって、原因にされがちな世代交代の片鱗が見えるような見えないような気がします。
動画では「いい人キャラ」をめぐって数々のエピソードが語られていますが、大角人事にせよ何にせよ、国際的な情勢だの何だのより、組織内の和というか内向きの情実というか、身内の論理で事を処理してしまう典型的「木っ端役人」の通弊が垣間見えるようです。
その最たる弊害は、動画では語られていませんが、wikiに記載のある、
リットン調査団の報告に日本は反発し、国連脱退も辞さない空気がみなぎった。枢密院の実力者であった伊東巳代治は、大角がパリ講和会議で獲得した南洋の委任統治領を返還したくないと判断するものと期待し、大角に脱退阻止行動を起こすよう訴えた。しかし陸軍が熱河省に進出する計画を察知していた大角は、海軍だけが反対するのは政治混乱を招くので好ましくないと反論し、激怒した伊東は脱退阻止行動そのものを放棄してしまった。という一件ではないでしょうか。
wikiソースですから眉に唾をつけて読まなければならないのはもちろんですし、成算のあった運動・計画だったのかも不勉強なのでよく知りませんが……こんな重大な問題まで、内向きのバランス感覚で処理してしまったというのが本当なら、大角という人物の「木っ端役人」ぶりがよく表れている挿話ではないかと思います。
つねづね、第一次大戦勝利後の日本のおいしい立ち位置を語り、リットン報告書を「誤読」してそのおいしい立場を自ら放棄した愚劣を、「われらがウッチー」などともからめて語る倉山氏……この件についての論評も聞いてみたかった気がする動画でした。
みんなで学ぼう日本の軍閥
日本の軍閥 [ 倉山満 ]
ラベル:「日本の軍閥」