チャンネルくららから「みんなで学ぼう!日本の軍閥」第2部第2話。
日露戦争の英雄・軍神、史上最強海軍提督。
この人については痛快なエピソードしかないレベルなので記事を書くにも気が楽ですね。
今さら書くことがないとも言いますが。
日本海海戦の英雄は東郷ではない、秋山だー、とかいう反日三文文士のタワゴトを今さら真に受けている人もいないと思いますし……
動画も「サクッと」進行しているようです。
この人も薩摩の人ですから、当然、こちらでふれた郷中制度のなかで成長したようです。ガキ大将伝説のようなものもいくつか伝わっているようですが……西郷隆盛などには「平八郎どん」と呼ばれてかわいがられていたとか何とか。例によって英雄の伝記というのは尾ひれもついているかもしれませんが。
薩摩閥の先輩の尽力で英国留学が実現したことは事実ではあるのでしょう。
ただ、当時の日本は人種差別のターゲットですし、日英同盟以前の話でもありますから、ダートマス海軍兵学校には入学できず、ウースター商船学校というところで学んでいます。それで史上最強提督になってしまうわけですから薩摩隼人というのもすごいものです。
日本海海戦のパーフェクトゲームは今さら言うまでもありませんが、東郷自身にとって、より苦労が多かったのは黄海海戦のほうだったようで、それについて聞かれると「黄海海戦はネー」と口調がだいぶ変わったという話もあるようです。
こちらで軽く触れましたが、最初の砲戦を交わしたあと、反転して敵艦隊を追いかける形になったので、なかなかラチがあかなかったという話をどこかで読んだ記憶があります。
それでも、ロシアはウラジオへの逃走を諦めていますし、あとでわかった話ですが戦闘能力はこの時点で事実上失っていたとも言われているようです。
しかもこのときの戦訓を活かして日本海海戦へつなげているのですから、やはり東郷提督、タダモノではありません。
山本権兵衛が東郷抜擢の理由を「運のいい男」だからと言ったのは、こちらの動画でも触れられていたように有名ですが、強運には強運なりに理由があったのかもしれません。
若いころのハワイでの挿話や高陞号事件など、今ではだいぶ有名になって(戻って)きたでしょうが、いずれも東郷が単なる武弁であるにとどまらず、国際法への深い理解を持った人物であったことを示す挿話かと思います。
単に「運良く切り抜けた」という事件ではなく、ルールを熟知したうえで正々堂々・公明正大に行動した結果、ではなかったでしょうか(英国側にホランド、ウェストレーキのような「人物」がいたことは「幸運」だったかもしれませんが)
であればこそ、それだけの国際的見識を持っていた東郷が、ほかでもない、国際条約、という場面で判断を狂わせたという「通説」は確かに不可解かもしれません。
英雄伝説を信ずるならば、物分かりはいいというか、部下の話にはよく耳を傾けたうえで、熟考、決断する人だった、ことになりますから……部下の側が真実を告げなければ、判断を誤る可能性はあったかもしれません。艦隊派には艦隊派なりのロジックもあったでしょうからなおさらです。
まあ、これについては立場により論者により、今でも意見が割れる事案でもありますので、倉山説もひとつの見解として見ておくのがよいかもしれません。
ただ、通説をもてあそぶ反日史観はもちろん、通説とは逆に「米国許すまじ」と主張する愛国派?にしても、見失っている点が多々あるという倉山氏の指摘は、興味深いとは思います。
「米国許すまじ」といったところで、当時はまだまだ「米英」ではなく「英米」の時代ですからね……
日米同盟のご時世に、単純な反米を主張する自称愛国右翼については、日米共通の真の敵を見えにくくする煙幕の役割を果たす危険性を伴っているようにも感じます。
みんなで学ぼう日本の軍閥
日本の軍閥 [ 倉山満 ]
ラベル:「日本の軍閥」