2016年08月13日

【動画】唱歌 広瀬中佐

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旅順閉塞作戦の軍神・廣瀬武夫海軍中佐を歌った唱歌。
かつての日本人なら知らぬ者はなかったはずの一曲です。



1912年(明治45年)『尋常小学唱歌 第四学年用』に初出。作詞作曲不詳。(※著作権失効済)

廣瀬中佐は柔道家としても有名で、講道館の大会では五人抜きの伝説を作ったとか、海軍の正課に柔道が取り入れられたことにも廣瀬や八代六郎がかかわっているという話があったかと思います。
廣瀬はやがて公使館付武官としてロシアにわたりますが、そこでも得意の柔道技を披露、巨体のロシア人をばったばったと投げ飛ばして評判になり、ついにはニコライ帝の御前でも技を披露することになった、という「伝説」も、長らく語り伝えられていたようです(近年の研究では真実性が否定されているようです)。

ロシアでの廣瀬は、コヴァレフスキー家、ペテルセン家、パヴロフ家などと親交を結び、特にコヴァレフスキー家令嬢・アリアズナとは淡いロマンスなども伝わっているようです(これも近年の研究ではコヴァレフスキー少将ではなくアナトリー・コワリスキー大佐の娘とされているらしいです)。
「軍神」の恋物語ですから、盛大に尾ひれがついている可能性は高いですが……「文通」をはじめとするアリアズナとの交流自体は事実であるようです。手紙も日記も電子媒体ではなく物理的に残る時代ですから、遺族の手元に残るそれら文書に、それらしい記述はあるのかもしれませんし、wikiソースで恐縮ですが、「生涯独身であり、女性関係はあったものの極めて真面目で、遊郭に出入りすることも社交界で交際することも皆無だった。唯一の女性との関係はアリアズナとの文通であったという。また女性とデートしても、部下への体面があるとして手を出さなかったという手紙が残っており、その手紙を石原慎太郎が所有している」とのことですから、恋愛感情の有無はわきにおいても、アリアズナが他の女性より距離の近い存在だったことは確からしいとも言えそうです。

また、廣瀬中佐は大分県竹田市出身ですが、同郷の著名人に作曲家の瀧廉太郎がいます。
そのため、この二人も関係づけられることが多く、瀧が廣瀬に「荒城の月」の楽譜を贈った、とか、留学中に会ったことがある、とか、病床の瀧を廣瀬が見舞った、などといった挿話がまことしやかに語られることもあるようですが……いずれ伝説の域を出ていないようでもあります。
まあ、こちら↓などを見ると、
月に叢雲花に風:広瀬武夫、瀧廉太郎、鈴木虎十郎
そういう伝説が生まれるだけの「縁」のようなものは感じられるようです。

やがて日露は国交断絶の時を迎え、廣瀬は帰国。
親友・秋山真之が見聞した米西戦争のサンチャゴ閉塞作戦を参考にして立案した(と伝えられる)旅順閉塞作戦に参加。動画にある通りの経緯で、最後まで部下の安否を気遣いながら、戦死しました。
旅順港の閉塞自体は、失敗に終わったとも評されますが、一方で、これら一連の日本軍の行動に音を上げたロシア艦隊が、ついにウラジオへの脱出を敢行するに至り、黄海海戦が発生していますから、旅順閉塞作戦も決して無駄ではなかったと評価することもできるとする向きもあるようです。
黄海海戦では、日本は決定的な勝利を得るに至らず(と当時は認識した)、ロシア艦隊はそれまで以上に旅順に逼塞、日本海軍は陸軍に旅順攻略をせっつきまくり、乃木第三軍が多大な負担をこうむることにもなりますが……この黄海海戦の戦訓が、後の日本海海戦に生かされ、世界史上に冠たるパーフェクトゲームの遠因の一つともなるのですから、禍福はあざなえる何とやら。皇軍は、軍神廣瀬の犠牲を決して無駄にはしなかった、とも、言えるのかもしれません。

なお、ロシア滞在中の廣瀬と親交のあったもう一人の女性、ペテルセン家令嬢マリア・フォン・ペテルセンは、廣瀬の死後、廣瀬の姉(兄嫁?)宛にドイツ語の手紙を送り、弔意を示しているといいます。
これもどこまで信憑性のある話なのかにわかには断じかねますが……広瀬神社にある広瀬資料館にはローマ字で「TAKEOSAN」と書かれた手紙が展示されている、などの話はなくもないようです。

軍神と祭り上げられた人物だけに、逸話には尾ひれがついた面もなきにしもあらずでしょう。
が、ロシアでの交友関係自体は事実として跡付けられているようですし、まちがいなく事実として認定できる挿話からも、廣瀬の人柄の一端をうかがうことはできるでしょう。尾ひれがつくには尾ひれがつくだけの理由がある……日本人からはもちろん、敵国であるはずのロシア人からも慕われた「軍神」の記憶が、今後も語り継がれるべきものであることは、間違いないのではないでしょうか。

とりあえずこうした偉人の数々を教科書から追放し、日本人の基礎教養から抹殺せんと企てる反日勢力には、そろそろ鉄槌を下す必要があるように思います。
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広瀬武夫全集 上巻
広瀬武夫全集 下巻
ロシヤにおける広瀬武夫〈上巻〉 (1976年) (朝日選書〈57〉)
ロシヤにおける広瀬武夫 (下) (朝日選書 (58))
軍神広瀬武夫の生涯 (新人物文庫)
広瀬武夫 (PHP文芸文庫)
ほんとうの唱歌史「海ゆかば」~
posted by 蘇芳 at 02:08| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする