2016年08月10日

【動画】「みんなで学ぼう!日本の軍閥」第2部第1話山本権兵衛~海軍創設者の功と罪~

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チャンネルくららから「みんなで学ぼう!日本の軍閥」第2部第1話。ここから海軍編だそうです。



明治の話はいろいろ痛快ですね。
連戦連勝、無敵の皇軍ですから。。。

薩摩藩には「郷中制度」という士族の教育システムがあったと言います。
年上の子供が年少の子供の面倒を見るような形で共同生活を送り文武の修練に励むようなものだったらしいですが、そこで成長した薩摩隼人というのは先輩後輩の序列意識や仲間意識、人の和を重んじる傾向が強くなる……と一概に言っていいのかどうかわかりませんが。
薩摩というのは、西郷隆盛、大山巌、東郷平八郎はもちろん、昭和の牛島満に至るまで、能力識見のみならず、人格・人徳の面でも語り継がれる人材を多数輩出してきたお国柄だったようには思います。
(もちろん、薩長史観の贔屓目で語られてきた面もあるかもしれませんし、藩閥のために活躍の場を得やすかった≒名を残しやすかった面もあるでしょうが)

自分一人の能力を頼んで独断専行するワンマンオーナーというよりは、部下を信じて任せるべきは任せ、自分はどっしり構えて最後の責任を取る、という……勝手な印象ですが、薩摩出身の軍人にはそんなイメージもあります。
それを将器というのかもしれませんが……部下を信じて任せるリーダーが偉いのはもちろん、任され、応える部下にも、部下なりの「器」が要求されるでしょう。調整型のリーダーシップというのは、上下の信頼・親愛を不可欠とするように思いますし、あるいはその信頼・親愛を醸成するのに適したシステムが、郷中制度だった、のかもしれません。
しかし、「人の和」は一歩間違えれば「情実」に堕するのでしょうか。
薩摩流の統率は、ひとたび歯車が狂えば、西南戦争の西郷隆盛のように、部下の暴発に引きずられることにもなりかねないようにも思います。

動画で指摘されている、陸海軍の仮想的云々をめぐる「日本的」な解法にしても、「日本的」というよりは、「薩摩的」な感覚の帰結だった、のかもしれません。
そういう意味では、薩摩流の統率は、「阿吽の呼吸」に頼りすぎな面もあるのかもしれません。
が、「阿吽の呼吸」が通用し続ける限りにおいては、平時において陸海軍が角突きあわせていたとしても、危急の時に際しては、それこそ「もののわかった」人々の「阿吽の呼吸」で、どうにでも対処のしようがあった、のではないかとも思えます。

とすれば、近代日本の教育制度が整備されていく中で、そうした「阿吽の呼吸」の前提となる情緒的連帯を形成するためのシステムが、取りこぼされていったことこそが、より大きな問題だった、のかもしれません。
どこまで正確な認識かはわかりませんが、やがて「学閥エリート」が「藩閥エリート」にとって代わっていかざるをえなかったのが、その後の日本の歴史だった、とも、指摘する識者はいるようですから。。。

対米戦争の勝算にかんする昭和天皇の御下問に、正直に奉答することができなかった昭和の海軍首脳部。
また、今さら引っ込みがつかない海軍側の苦境を察することができず、「海軍がそんなつもりなら話はまったく変わってくる」と後になって慌てた東條英機。
などというエピソードを思い起こすと、隔世の感というか、いわゆる近代化の過程の中で、日本が失ってしまったものが何だったのか、妄想がはかどりそうな気もしてきます。
みんなで学ぼう日本の軍閥
日本の軍閥 [ 倉山満 ]