2016年07月24日

【動画】建勲神社

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家康や秀吉を祀った神社は有名ですし、光秀も御霊として祀られていることはそれなりに知られているでしょう。
彼らに比べると、御祭神として意外とマイナーなのが信長かもしれません。



動画概要:
2014/03/14 に公開
戦国の英雄、織田信長公をお祀りする建勲神社です。京都市北区にあるこの神社は「けんくんじんじゃ」として知られている事が多いですが、正確には「たけいさおじんじゃ」だそうです。歴史的には明治天皇が創建され、それほど古くはないですが、織田信長と聞くと日本人は胸が高鳴るのではないでしょうか?

謡曲の「敦盛」をつかまえて「信長の歌」とか謎のテロップも出ていましたが……

概要にあるとおり、創祀は明治になってから。
wikiによると創建の理由は「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」だそうで、当初は「信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の邸内(東京)」と「織田家旧領地の山形県天童市」の二カ所に「建勲社」として造営。現在の京都・船岡山に遷座されたのは明治13年になってからのこと。船岡山は秀吉によって信長の廟所と定められていた地で、風水?的に四聖獣の「玄武」がどうこうという場所でもあるそうです?

いずれにせよ、創建が明治ということは、裏を返せば、それ以前の300年近い間は祀られていなかったということで、徳川の意向か、当時神道界を牛耳っていた吉田家の意向か、はたまた対抗勢力の仏教界が信長に圧迫されたことを根に持っていたためかは知りませんが……

秀吉が再評価され、豊国神社が再建されたのも明治の御代になってからですし、「皇威を海外に宣べ、数百年たってもなお寒心させる、国家に大勲功ある今古に超越するもの」との再興の理由も、信長の場合と似ています。

これらの事例から、明治の神道政策、明治大帝の大御心を、拝察することもできるのではないでしょうか。
神道界の栄枯盛衰からも、国の歴史がいろいろと見えてくるようです。

まあ、明治は明治で、それまで日陰の立場だったのに急に仏教より重んじられるようになったためか、神社界もゴタゴタして、生臭い勢力争いが起きたりもしたようですが💧

追記:
建勲神社では毎年10月19日に、信長の上洛を記念した船岡大祭も行われ、「敦盛」の仕舞の奉納や、火縄銃の実演なども行われているようです。


北大路通に市バス停留所「建勲神社前」があり、交通の便は良い神社なので、京都観光の機会には参詣してみるのも一興かもしれません。
建勲神社公式サイト
ラベル:神道
posted by 蘇芳 at 16:05| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする