2016年07月13日

氷上川継の乱


こちらで、大伴家持は意外と逆賊だ、と書きましたが。
もう少し好意的な表現を探してみるならば、あるいは、聖武天皇の忠臣、ではあったのかもしれません。

皇紀1442年(天応二年、後に改元して延暦元年)、氷上川継の乱(wiki)が勃発、既述した通り、大伴家持もこれに連坐して一時追放処分を受けています(後に赦免され復官)
(家持は)宝亀十一年に参議を拝命し、左右の大弁を経て、間もなく従三位を授けられた。しかし、氷上川継が謀反を起こした事件で罪を問われ、罷免されて京外に遷された。(宇治谷孟訳、以下同じ)
氷上川継とは何者か? 
一言で言えば「聖武天皇の孫」です。
もっともそのつながりは女系ですが(母・不破内親王が聖武天皇の皇女)。
父の塩焼王も元は皇族(天武天皇の孫)ですから、男系血統でも原則的には皇位継承権を持つことにはなります(第何十位かは知りませんが)。

皇紀1441年(天応元年)十二月二十三日、光仁天皇崩御。
皇紀1442年(天応二年=延暦元年)、正月十六日、
従五位下の氷上真人川継を因幡守に任じた
と、「続日本紀」にはあります。
謀反はそれから一月も立たない、閏正月十一日に勃発しました。
といってもさしたる大事には至らず、逃走した川継は三日後の十四日には捕らえられています。
川継は塩焼王の子である。初め川継の資人(諸王・内親王に給される従者)の大和乙人が密かに武器を帯びて宮中に許可なく進入した。担当の官人が捕えて問いただすと、乙人は白状して「川継は、今月十日の夜に衆を集めて、平城宮の北門より入り、朝廷を覆そうと陰謀をめぐらしました。そのために乙人を遣わして、一味の宇治王を引き入れて決行日に参加させようとしています」といった。
それで天皇は勅して、使者を遣わし川継を召還した。しかし、川継は勅使が到着したと聞いて、密かに裏門から出て逃走し、ここに至り、捕えられた。天皇は詔して、死罪より一等を減じて伊豆国三嶋(伊豆諸島)に配流した。
事件の顛末としてはこれだけのことです。
事実上、未遂に終わった事件ですし、引用文中にあるように、川継も(先帝の諒闇中であったため)死一等を減じられています。
しかし、連座者は意外と多かったようです。
既出の大伴家持のほか、坂上苅田麻呂、伊勢老人、大原美気、藤原継彦、など、名前が挙がっているだけでも五人。それ以外にも「三十五人」が川継の一味として追放されたと、「続日本紀」にはあります。
そして、川継の妻・藤原法壱も川継に同行、母・不破内親王とその娘たち(川継の姉妹)は、淡路国に配流されています。
以上の連座者たちのうち、坂上苅田麻呂は有名な坂上田村麻呂の父で、「続日本紀」には道鏡排除~光仁天皇擁立に功があったと記されている「忠臣」でしたし、不破内親王もこちらで見た通り、道鏡時代に負わされた「冤罪」の無実が、光仁天皇の御代に判明し、皇籍に復帰したばかりの方でした。
このような人々を巻き込んだ氷上川継の乱は、結果的に、皇位継承という不安定な時期に伴う政変・追放劇という性格を帯びた事件だったようにも思えます。

その「政変」の背景は何か……

桓武天皇の即位が実現した背景には、もうひとつ、こちらで述べた井上内親王の呪詛事件があったことを思いだしておきましょう。
桓武天皇=山部親王が立太子され、ひいては皇位を継承されることになったのは、真偽不明のその事件の結果、それまで皇太子だった他戸親王が廃太子されたためだったはずです。
そして、この井上内親王もまた、言うまでもなく、不破内親王と同じく、聖武天皇の皇女殿下だったのではなかったでしょうか?
つまるところ、桓武天皇の即位は、一面から見れば、称徳天皇の崩御・井上内親王の廃后・不破内親王の配流、という、聖武天皇の皇女方の相次ぐ「退場」によって実現した……という言い方も、できなくはないように思えるのです。
そして、こちらなどで推測したように、奈良時代の政争の根本に「聖武系vs舎人系」ともいうべき思想的対立があったとすれば、それもうなずける話ではある。と思えるのではないでしょうか。

以上の推測の大前提として、奈良時代の仏教というのは、こちらで紹介した「神身離脱説」や「護法善神説」を採用する傲慢かつ侵略的な外来思想でした。
日本書紀」は思想的な観点からすれば、仏教による日本侵略に対抗した護国の思想書とも感じられます。
崇仏派の蘇我氏は、一時の権勢も露と消え、結局は敗北するのですし、それを成し遂げたのは天孫の子孫と神祇氏族の中臣です。皇統もまた崇仏派の用明天皇ではなく、仏教嫌いの敏達天皇のお血筋によって占められていくことになり、聖武天皇の曾祖父・天武天皇もまた、その敏達天皇の曾孫(玄孫)にあたらせられます。

とすれば、よりにもよってその聖武天皇が仏教に傾倒され、大仏建立や無計画な遷都によって国庫を蕩尽されるありさまというのは、元正天皇の御代に完成しすでに読むことのできた「日本書紀」の読者たちの目には、どのように映っていたでしょうか?
とりわけ、書紀の編纂にあたったとされる舎人親王の関係者たちの目には……?
何度も引用している聖武天皇の謎の詔、
舎人親王が朝堂に参入する時、諸司の官人は親王のため座席をおりて、敬意を表するに及ばない
もまた、あるいは、そうした思想的背景を反映したものだったのでしょうか……?

いずれにせよ、奈良時代の政争というのは、大筋においては、
・聖武天皇の仏教政治
・舎人親王の皇子(淳仁天皇)と藤原仲麻呂による政権奪還
・聖武天皇の皇女(孝謙・称徳天皇)と仏教僧・道鏡による政権再奪還
・道鏡事件阻止、聖武天皇皇女の崩御(称徳天皇)と排除(井上内親王・不破内親王)
というシーソーゲームの様相を呈するのであり、南都仏教との決別≒平安遷都によって、決着した、と、整理することもできるのではないでしょうか。
橘氏が、藤原氏が、南家が北家が式家が、早良親王が、という個々の現象は、こうした大筋のなかに位置付けて見るのがわかりやすいようにも思います。
そうした時代の大きなうねりの中で翻弄された個々人の悲劇に一菊の涙を注ぐことはもちろん麗しいことではあります。
(井上内親王も不破内親王も、川継の父・塩焼王も、奈良時代には、その他数多くの皇族が、相当に翻弄され、数奇な運命をたどられています。非業の最期を遂げた方も多数。塩焼王などは新田部親王の血筋ですから、「聖武系」でもなければ「舎人系」でもなく、橘奈良麻呂の乱に与したかと思えば、藤原仲麻呂に接近し、恵美押勝の乱では新皇として即位を宣言するなど、転変を重ねています。仲麻呂に擁立されたといっても、そもそも仲麻呂は他に舎人親王の皇子たち(池田親王・船親王)とも共謀していましたので、もしも乱が成功していたとしても塩焼王はお飾りにすぎなかったかもしれません……)
しかし、それはそれとして、やはり、その「涙」によって「時代の大きなうねり」そのものの評価までをも左右することは、慎むべきでもあるのではないでしょうか。

冒頭の大伴家持に戻れば、仲麻呂暗殺計画に関係し、氷上川継の乱に連坐し、藤原種継暗殺に関与した家持は、あきらかに「舎人系」ではなく「聖武系」≒「崇仏派」に近い人材だったように思います。
大仏建立を寿いで「大君の辺にこそ死なめ」と詠った歌人としては、それはそれで、節を全うした、一本筋が通っていると称賛することも不可能ではないかもしれません。
しかし、その大君=聖武天皇の「崇仏」の果てに起きたのが、日本史上最悪の皇位簒奪=国体破壊の陰謀、道鏡事件だったのですから……その事件を目にしてなお聖武天皇のお血筋(しかも女系)や、平城京にとどまりつづけることに執着した家持は、聖武天皇「個人」の忠臣ではあっても、大局的な観点から「国体」を護持しようとする志士ではなかった、と、(あくまで今日的な視点では)言わざるをえないように感じられます。

なんとなれば、特定の主君に対する個人崇拝は、乱世の武侠譚の主題ではあり得ても、こちらなどで考察したありうべき「尊皇」の形からすれば、やはり、退けられるべきものであるように、私には思えるのです。
上のリンク先の記事で、
むしろ、天皇という「象徴するもの」ではなく、天皇によって「象徴されるもの」への崇拝こそが、国体の秘密であり、日本の「こころ」であるのかもしれません
と書きましたし、また、こちらでは、
天皇が負いたまい、引き受けておいでになるのは、あくまでも、国家や国民を平和に安らかに統治し給う神聖な「義務」以外の何物でもありません。
とも書いておきましたが……
極端な話、大局的に見れば、称徳天皇個人を「裏切った」ともいうべき和気清麻呂こそが尊皇の士である、という……「尊皇」とはそのようなものでもありうるのではなかったでしょうか。

つまるところ、道鏡事件を結果した聖武天皇・称徳天皇とそれを輔弼したてまつった玄昉・橘氏・道鏡たち、その勢力に対抗された淳仁天皇とそれを輔弼申し上げた藤原仲麻呂たち、道鏡排除に成功され1000年の都・平安京をお開きになった光仁天皇・桓武天皇とそれを輔弼申し上げた和気清麻呂・藤原永手・藤原百川・坂上田村麻呂などなど……天壌無窮の神勅が課したまう「義務」の履行という観点において、時代の移り変わりをどう評価するかによって、「海ゆかば」の歌人の行動も、違った色彩を帯びて見えてくるのかもしれません。

まあ、天皇個人よりも「天皇によって「象徴されるもの」」のほうが大事だ、というのは、今上の大御心をないがしろにする口実でもありえますので……このあたりのバランスは、尊皇家にとって、永遠のアポリアかもしれません。
続日本紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
歴代天皇で読む 日本の正史
天平の三姉妹―聖武皇女の矜持と悲劇 (中公新書)
高貴な血ゆえに
ラベル:続日本紀 天皇
posted by 蘇芳 at 02:17| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする