2016年06月02日

【動画】「御製から見る日本」第8回 10万首の和歌と共に歩んだ近代日本 〜明治天皇の功績〜


CGS 御製シリーズ第八回。



動画概要:
2015/05/14 に公開
いよいよ時代は明治時代に入り、今回は明治天皇の御製をご紹介致します。
建国以来最大の苦難と言われる時代に即位された明治天皇の功績は大きく、近代日本の歩­みそのものと言っても過言では無いかもしれません。
目に見えぬ神にむかいて恥じざるは人の心のまことなりけり
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな
10万首もの御製をお残しになった明治天皇。
本来、公開するためにお詠みになったものではなく、あくまで、御自身のお心をまぎらわせる嗜みとしてお詠みになっていたものでした。
ひとりつむ言の葉草のなかりせばなにに心をなぐさめてまし
臣下が公表をお願い申し上げると、「あんなつまらぬものをどうするのだ」とまで仰せになったことがあるとか。
したがって、そこにみなぎる、汲めども尽きせぬ「教訓」の数々は、誰を教え導こうとしたものでもない、明治天皇ご自身の御自戒であったわけで、まことに畏れ多いかぎりです。
そしてまた、公表を意図したものではないということは、そこには外聞を気にして自己を飾ろうなどという衒いもない、そもそもその必要がない、ということでもあり、かえってその価値を絶大ならしめる事情でもあるでしょう。

そうして、当初は、天皇のお叱りを覚悟で側近たちが少しずつ外部に漏らしていった御製も、崩御の後、大正時代には御製が編まれるようになり、広く国民の拝誦するところとなりました。
左翼売国史観に席巻された戦後でさえ何度か御集が刊行されたことはあるようです。今はもう新刊では入手困難かもしれませんが💢 ネット上なら中古は入手可能ですし、明治神宮まで行けば、一般書店非流通・神宮発行の御集も入手できようかとは思います(私はこれをAmazonで入手しました)。

動画のものをはじめとして、いくつかの御製は、そのエピソードとともに、かなり人口に膾炙しているでしょう。
動画に挙げられている御製だけでも、日露戦争に際しての「よもの海」の御製を、後年、昭和天皇が御前会議で二度読み上げられたことは有名です。
戦争にまつわる御製といえば、他にも、
子等はみな軍のにはにいではてて翁やひとり山田もるらむ
国のため斃れし人を惜しむにもおもふはおやのこころなりけり
国のためあだなす仇はくだくともいつくしむべき事なわすれそ
国をおもふ道に二つはなかりれりいくさのにはにたつもたたぬも
敷島の大和心のををしさは事ある時ぞあらはれにける
なども有名でしょう。
ちなみに「国のためあだなす仇はくだくともいつくしむべき事なわすれそ」を、トルストイは「矛盾だ」と言ったそうです。明治大帝の高邁な御聖慮は、北方の野蛮人にはとうてい理解すべからざるものだったのでしょう。

公表を目途したものではありませんでしたが、しばしば、臣下のためにお詠み出された御製が下賜されることはありました。
御製を賜る機会が最も多かった臣下は、他でもない、日露戦争の英雄・乃木希典だったと仄聞します。
なかでも、
武士のせめ戦ひし田原坂松も老木になりにけるかな
いさをある人を教の親にしておほしたてなむ大和撫子
などは特に有名ではないでしょうか。
前者は明治35年秋、陸軍大演習のため九州へ向かうお召列車のなかで、後者は乃木に学習院院長就任をお命じになり皇孫殿下の御教育を託されたときに下賜された御製であること、今さら言うまでもありません。

御製にまつわるエピソードは他にも枚挙に暇がありませんし、それについて語ることは、そのまま明治の歴史をすべて語りつくそうとすることにもなりかねません。
それどころか、
わがくには神のすゑなり神まつる昔の手ぶりわするなよゆめ
つたへきて国の宝となりにけりひじりのみよのみことのりふみ
とこしへに民やすかれと祈るなるわがよを守れ伊勢の大神
いそのかみ古きためしをたづねつつ新しき世のことも定めむ
上つ世の御世のおきてをたがへじと思ふぞおのがねがひなりける
橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより国はうごかず
天つ神定めたまひし国なればわが国ながらたふとかりけり
などに至っては、神代にまで遡ってわが国の歴史を、精神を語ることにもなりかねないでしょう。なんとなれば「神武肇国」こそが明治の大精神だったのですから。
それはとうてい一つ二つの記事で語りつくせることではありませんし、そもそも語ろうにもどこから手をつけていいものやら、浅学非才の身には戸惑うばかりですが……
明治天皇なかりせば、近代日本の隆昌はなかったこと、動画にも言われているとおり明らかであろうと思います。

にもかかわらず、曲学阿世の反日売国奴によって、天皇抜きの似非日本史が戦後長らく捏造されつづけていることは、許しがたいとしか言いようがありません。
孫引きで恐縮ですが、「エピソードで綴る 天皇さま―明治・大正・昭和篇」には、
ユネスコが、明治百年のとき、その機関誌『クーリア』で日本特集号をだすにあたり、日本支部に目録を出せといってきて、それを点検して「これではその時期のもっとも肝腎の明治天皇がぬけているではないか」といってその再製を命じてきたことがある。明治天皇にいちばん関心のうすいのは、おそらく日本の進歩的知識階級であろう
との木村毅の一文が引用されています。
明治天皇の世界的な評価については、その崩御に際して、世界中から寄せられた追悼文の一部を見るだけでも明らかです。
陛下は明治年代における最後の英雄即ち維新の革命を遂行したる人々中の最も偉大なる御方にて在したり。(「ザ・タイムズ」ロンドン1912.7.30)
余は歴史上日本天皇陛下の如く一治世の短期間に、其国民並に世界人類の為め、爾かく宏大にして且其必要欠くべからざる進歩発展を成就し給いたる君主の名を挙ぐる事能わず。(英首相下院演説)
而も後世の歴史家は、陛下が其の臣民の智徳を開発して、西洋の文明を東洋に移し与へたる一層永続的なる利益を享受せしめ給いたる御勲績を以て必ずや軍事的勝利以上に偉大なる者なりとなすべし。(「デーリー・メール」ロンドン1912.7.30)
むろん、天皇への賛辞は単に同盟国・英国からだけにとどまるものではありません。
米国、仏国、ドイツ、オーストリア、イタリア、ロシア、スペイン、ベルギー、スウェーデン、オランダ、ポーランド、フィリピン、チリ、ペルー、ブラジル、オーストラリア、ペルシア、インド、中華民国でさえ、賛辞を贈らざるをえなかった、世界史的偉人。それが明治大帝であらせられました。
これを、崩御に際しての外交的美辞麗句にすぎない、と、曲学阿世の売国左翼は言い張るのかもしれません。
しかし、そのような「外交的美辞麗句」が洋の東西を問わず当時のメディアを駆けめぐったという「歴史的事実」をなかったことにする権利など、誰にもありはしない。それだけは確かではないでしょうか。

知らぬは日本人ばかりなり。
とは、あまりに情けなさすぎるのではないでしょうか。
明治の御代―御製とお言葉から見えてくるもの
新版 明治天皇
絵画と聖跡でたどる 明治天皇のご生涯
エピソードで綴る 天皇さま―明治・大正・昭和篇
「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック
新抄 明治天皇御集 昭憲皇太后御集
新抄明治天皇御集昭憲皇太后御集 (1967年) (角川文庫)

追記:
こちらでも追記したように、天皇の御製には、しばしば、皇后の御歌が寄り添っています。今上の天皇皇后両陛下については言わずもがなでしょう(「天皇皇后両陛下 祈りの二重唱」「ともしび―皇太子同妃両殿下御歌集」)
が、明治天皇と昭憲皇太后も、その例に漏れておいでではありません。

鳥の声ひとつを耳にされても、天皇が、
ほととぎす雲のようなる一声はをちかた人や聞き定むらむ
と国民にお心を御寄せになる一方で、
わが君はきこしめさずや時鳥みはしに近き今のひとこえ
と、皇后はすかさず夫君たる主上に思いを馳せられるのです。

また、昭憲皇太后は国民のために唱歌を作詞されたこともおありですが、
金剛石も みがかずば 珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ まことの徳は あらはるれ
時計のはりの たえまなく めぐるがごとく 時のまの 
日かげをしみて 励みなば いかなるわざか ならざらむ
との「金剛石」、
水はうつはに したがひて そのさまざまに なりぬなり
人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり 
おのれにまさる よき友を えらびもとめて もろともに
こころの駒に むちうちて まなびの道に すすめかし
との「水は器」は、それぞれ、明治天皇の御製、
白玉を光なしとも思ふかな磨きたらざることをわすれて
うつはには従ひながら岩ほをもとほすは水の力なりけり
と響き合うものがあるのではないでしょうか。
冒頭で述べたように、明治天皇の御製集はくりかえし刊行されてきましたが、その無くてはならぬ伴走者が、昭憲皇太后でいらっしゃったことも、忘れてはならないことかと思われます。
posted by 蘇芳 at 02:23|  L 「CGS 御製から見る日本」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする