2016年05月31日

【動画】「御製から見る日本」第7回 攘夷の想いと孝明天皇


CGS 御製シリーズ第七回。



動画概要:
2015/05/13 に公開
今回は幕末の天皇、(121代)孝明天皇とその御製をご紹介します。
ちょうどこの頃は、欧米列強から日本への侵略の圧力が高まってきていました。その中で­孝明天皇が本日紹介する御製をお詠みになりました。
攘夷、という言葉に対しては片っ端から外国人を迫害すると言ったようなネガティブなイ­メージを持たれる方が多いかと思いますが、実際にそこに込められた想いは、日本を守る­ためというものでした。
異人と共にも払へ神風や正しからずと我が忌むものを
これと似た意味の御製に、
こと国もなづめる人も残なく攘ひつくさむ神風もがな
という一首もあります。
また、
神ならば我が心をもしろしめしひたすら願ふことを受けませ
との御製もあるようです。
これを「神頼み」と笑うのは天皇・皇室の何たるかを知らない国賊の所業です。
孝明天皇は、動画でも言われているとおり、幕府に攘夷をお命じになるなど、明確な政治的意思をお示しになった天皇でもあらせられました。
動画の御製よりも有名な、
この春は花鶯も捨てにけり我が為すわざぞ国民の事
ほこ執りて守れ宮人ここの重のみはしの桜風そよぐなり
などには、その御決意がはっきりと詠み込まれているのではないでしょうか。

もちろん、その「政治的意思」をどう評価するかは、立場によって意見が分かれるかもしれません。
が、そこは大いに議論すればいいだけの話です。
そのためにも孝明天皇の御治績についてはもっと広く知られるべきでしょう。

こちらでも述べた通り、元々「鎖国(これも従来とはだいぶイメージが変わっていますが)」を始めたのは幕府なのですから、積極的に「開国」したいわけがありません。そこでいう「開国」とは、攘夷する実力をつけるための開国、後に言う「大攘夷」であって、孝明天皇も一定の御理解をお示しになった形跡はあるようです。
とすれば、攘夷攘夷と喚いていた薩長こそが頑迷固陋のアホどもであり、しかも結局はその薩長こそが開国するのですから、幕府に比べて先見の明がなさすぎたとも言えるかもしれません。ついでに言うなら西郷隆盛との交流エピソードが有名な橋本佐内などは、ロシアこそ「信義のある国」であると救いようのない世迷言を言っていたのに対して、ロシアに正しく対処した外交官といえば旧幕臣の榎本武揚のほうでもあります。幕府というのは実は捨てたものではありません。
むろん、だからといって薩長が「すべて」間違っていたというのも極論ですが……
少なくとも、孝明天皇の御名すら登場せず、一会桑政権など聞いたこともない、薩長の下級武士が攘夷じゃー脱藩じゃーと叫びまわるだけの大河ドラマ的捏造階級闘争史観のイメージは払拭されなければなりません。

当時は国論が二分されていました。
それぞれに根拠があり、それぞれに現状認識の錯覚があり、それぞれに権力欲もあったかもしれません。
しかし、少なくとも、日本を滅ぼしたくて仕方のない反日売国奴の数は、現代に比べればはるかに少なく、おそらくは皆無に近かったのではないでしょうか。
それぞれに立場を異にし、それぞれに錯誤を犯し、テロと内戦をくりかえしながら、しかしなお、最終的には「開国・大攘夷」に意見は集約された。それはつまり、誰もが本気で国を思っていたからであるように思います。
さまざまに泣きみ笑いみかたり合ふも国をおもひつ民おもふため
もののふと心あはして巌をもつらぬきてまし世々の思出
攘夷派・公武合体派としての孝明天皇の政治的見識をどう評価するかはさておき、国難に際して天皇がお示しになった、君民一体・君民一如の国柄を護らんとの大御心は、決して忘れ去られていいものではないように思います。
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posted by 蘇芳 at 01:26|  L 「CGS 御製から見る日本」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする