2016年05月30日

【動画】「御製から見る日本」第6回 宮家の意義を考える 〜光格天皇の御製を読む〜


CGS 御製シリーズ第六回。



動画概要:
2015/04/30 に公開
今回は光格天皇の御製「敷島の やまと錦に 織りてこそ からくれないの 色もはえなれ」について、その歌に込められた意味や歴史背景、皇室の制度や事情につい­て解説致します。
光格天皇は皇位継承の権利を持つ世襲親王家からの即位でした。空位期間を作らないため­に、言うなればスペア…いざというときに皇位を継承できる様教育がなされています。
敷島のやまと錦に織りてこそからくれないの色もはえなれ
よろづ民安くたのしむ時つ風とよあし原の国栄えつつ
民を思ふ袂にあまるうれしさは国安きてふ幾千々の春
光格天皇についてはこちらで本を一冊紹介したこともありますし、前回の後桜町天皇との関係で、たびたび触れてきました。

したがって特に新しく付け加えたい材料があるわけでもありませんが……

動画でも言われているように、天明の大飢饉等によって幕府の権威が揺らぎ、あらためて朝廷の御威光に注目が集まったのが光格天皇の御代です(飢饉は天災のようにも思えますが、経済政策の失敗が被害を拡大した面もあり、その意味では人災でもあった、と言われてもいるようです)。
実際に、光格天皇の御代に朝廷の権威は大いに回復され、尊攘思想の高まりをも結果することになったわけですが、その流れの中で、こちらで述べた「儒家神道」が盛んになっていることも、思いだしておきたいところです。
前回の動画でチラッと登場していた「垂加神道」というのも、そうした儒学者による神道の一派のようです。開祖の山崎闇斎は、元は臨済宗の僧侶であったにもかかわらず、神仏習合ではなく神合一を説くに至ったというのですから、それだけでも、驚くべきことかもしれません。
動画で引用されている御製も、日本本来の国ぶりをあらためて自覚しようとした時代の精神を、天皇が見そなわし、聞こしめし、主導しようとなされたものなのかもしれません。
古代の和魂漢才から明治の和魂洋才に至るまで、外来の文化を受容しつつ、日本の本来あるべき姿を護持しつづけるという、思想的格闘を積み重ねてきたのが、わが国の歴史なのかもしれません。

光格天皇の即位事情は、直系の女子ではなく、傍系の男子が優先される、皇位継承の掟の、歴史上最も新しい実例です。
現皇室も元は「傍系」だったのですし、それで何の不都合もありません。
竹田「宮」家や朝香「宮」家や久邇「宮」家や、その他諸々の旧皇族を貶めようとする反日プロパガンダの虚偽に騙されないように注意が必要です。
それら「傍系」の宮家がダメだというのは、「傍系」の閑院宮家もダメだと言っているのと、同じことですし、こちらで述べたように旧皇族の皇籍復帰には先例があることも、全国民が知っておくべき歴史的事実です。
歴代天皇で読む 日本の正史
幕末の天皇 (講談社学術文庫)
天皇歌人
日本は天皇の祈りに守られている
皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉

追記:
後桃園天皇皇女・欣子内親王は、光格天皇の皇后となられましたが、皇后の御歌もいくつか伝わっているようです(堀江秀雄「天皇歌人」には二十八首とありますが、昭和28年初版の著書なので、データが古いかもしれません)。
我が君がめぐみあまねき御代に会ひて栄ゆる国の民や楽しむ
よろづとし君が御垣に枝かはす松と梅との色香添ふ春
夕霧をうちもはらはで手向けまし星のいもせのとこなつの花
ちなみに三首目は七夕を詠んだ歌ですが、当時、宮中でも毎年七夕御会というのが行われていたらしく、そのたびに欣子皇后も御歌をお詠みになっていたそうです。

天皇の御製に皇后の御歌がそっと彩を添えられるという、それもまた、今上の御代にも打ち続く、皇室の伝統というべきかもしれませんが……
これら優雅で幸福感に満ちた欣子皇后の御歌を拝するに、両陛下の「夫婦仲」が悪かったとはとうてい思えません。
日本はいよいよ激動の時代を迎えようとしていた矢先でしたが、光格天皇は、国民はもちろん、皇后のことも、しっかりとお守りになっていたのではないでしょうか。

また、御幼少の頃からお二方を守り育てられた後桜町上皇の御恩愛も、見落とすべきではないでしょう。
皇紀2459年(寛政11)七月二十八日、光格天皇が後桜町天皇へ送られた御宸翰が残されています。
仰の通身の欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存候事、人君なる物ノ第一ノおしへ、論語はじめあらゆる書物に、皆々此道理書のべ候事、則仰ト少しも少しもちがいなき事、扨々忝く忝く忝く忝く存じまゐらせ候。
前文申通、仰の通何分を後にし、天下万民を先とし、仁恵誠仁の心、朝夕昼夜に不忘却時は、神も仏も御加護を垂給事、誠に鏡に掛て影をみるがごとくに候。
時に光格天皇二十九歳、後桜町上皇六十歳。その時においてなお上皇が天皇をあれこれと御諭しになり、御導きになり、そのことを天皇もまた決して煩わしくなど思召しになっていなかったことが、文面からにじみ出ています。そして、そこで述べられている「天下万民を先とし、仁恵誠仁の心、朝夕昼夜に不忘却」皇室の「道理」の万古不易の一貫性には、ただただ驚き、恐れ入るばかりです。
posted by 蘇芳 at 01:47|  L 「CGS 御製から見る日本」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする