2016年05月27日

【動画】「御製から見る日本」第4回 後醍醐天皇の意思を継いだ後村上天皇


CGS 御製シリーズ第四回。



動画概要:
2015/03/12 に公開
本日は後村上天皇の御製をご紹介致します。他の天皇に比べ知名度が低いかと思われます­が、後村上天皇は1328年に後醍醐天皇の第3皇子として誕生しました。その後わずか­12歳にして天皇に即位されました。
交通網もないような時代に、全国を点々とした後村上天皇の意志と、彼の詠んだ御製(和­歌)をご紹介致します。
 年中行事を題にて人々百首歌つかうまつりける次に、朝拝の心を
高御座とばりかかげて橿原の宮の昔もしるき春かな
父帝・後醍醐天皇に比べるとはるかに知名度の低い天皇であらせられるかもしれません。それ自体が反日捏造史観の陰謀、とまでは言いませんが。あしかがたかうじというえらいひとがむろまちばくふをつくりました式の歴史観を捏造したい勢力というのは実在するのかもしれません。義満の行状(後述)を知っていれば辻褄は合わないでもないです。

動画で言われている、足利高氏(「尊氏」は討幕の功により後醍醐天皇から賜わった名。このころにはすでに剥奪されています)の南朝への降伏は皇紀2011年(正平6)十月のことでした。
天皇は高氏に対して直義・直冬追討の綸旨をお与えになり、十一月には、北朝の崇光天皇を廃位されます。

つまるところ、足利高氏とは、鎌倉幕府を裏切り、南朝を裏切り、そして自ら立てた北朝をも裏切った人物であるわけです。まさに骨の髄まで裏切り者というべきではないでしょうか。

同時代の当事者であった北畠親房はおいておくとしても、江戸時代には水戸藩の「大日本史」のジャッジによって、南朝が正統とされ、高氏が逆賊、楠正成や新田義貞が忠臣とされたことを、戦後の私たちは知識としては知っています。
正成や義貞の生涯については、「太平記」レベルでも語られてはいますし、映像化もされていますから、(負け組に忠義立てした愚者的な反日的ニュアンスの偏向はさておき)、知らないということはないでしょう。
しかしそれに比して、高氏の逆賊っぷりの甚だしさは、戦後、語られる機会がめっきり減っているのではないでしょうか。

もし仮に、朝廷への大逆を、時運のしからしむるところとマキャベリスティックに容認してみるとしても、これほど手あたり次第に主家を裏切りまくった人物が、家臣から信頼されうるのか、といえば、結局、その行動は同じマキャベリズム的観点から、下策であったということになりはしないでしょうか。
実際、室町幕府はその初めから終わりまで身内争いに明け暮れた不安定な政権でした。
室町将軍は名目上十五代まで続いたということになっていますが、応仁の乱以後の実態はどうだったでしょう? いわゆる「戦国時代」を「室町時代」と呼ぶ人がとても少ないことは象徴的です。
十五代足利義昭にしても、永禄の変のために尾張に逃げ込み、信長に泣きついたあげく、その信長を裏切って身を滅ぼすのですから、最後の最後まで、裏切り者。血は争えないとでも言うべきでしょうか。

その背信の極北が、三代将軍・足利義満です。
金閣寺を作った人、というだけで、何やらエライ人のように錯覚させられているかもしれませんし、日明貿易がどうこうという「功績」をあげる人もいるかもしれません。
が、その貿易のために、義満が、支那王朝の家来になった、ということは、どれくらい知られているでしょうか。
皇紀2062年(応永9)、義満は遣明使を派遣し、明朝から「日本国王」として冊封を受け、王を名乗ることを正式に認められます。
翌皇紀2063年(応永10)には「日本国王臣源」とした上表文を提出し、明の永楽帝から「日本国王之印」を与えられています。
義満は皇紀2068年(応永15)に死去しますが、その翌皇紀2069年(応永16)には、永楽帝が弔問使を遣わし、義満に「恭献」という諡を贈っています。いやしくも日本人の身でありながら外国から諡号を贈られたのは、後にも先にも義満のみです。
一天万乗の君から征夷大将軍宣下を賜わりながら、外国の皇帝に尻尾を振る、異常な売国奴であり、媚中反日の走りともいうべき人物です。

さらに義満には皇位簒奪を計画した疑いも根強くつきまとっています。寵愛していた次男、義嗣を天皇にしようとした、というものですが……これは義満の死によって中断。第四代将軍になった義持は、意外にも尊皇家であったため、事なきを得た、と言われています。実際に尊皇家だったのか、義嗣びいきの父への反発でもあったのかは寡聞にして知りませんが……いずれにせよ、この四代義持によって、明への「朝貢」は廃止され、国交は断絶、勘合貿易もめでたく終焉を迎え、日本の国辱は清算されました。

前回見たように、「北条幕府」にも突然変異的な傑物が現れたことはありますが、逆賊・足利にして、義持こそは例外的な忠臣として、本来ならもっと記憶されてよい人物だったのかもしれません。
それがなぜ高氏・義満という逆賊のみがあたかも「偉人」か何かのように語られるのか……
学校の先生は疑問に思わないのでしょうか?
保守速報:【悪の組織】日教組はチュチェ思想だと判明!!北朝鮮絶賛で金一族を褒め称える

歴代天皇で読む 日本の正史
神皇正統記 (岩波文庫)
反日組織・日教組の行状 (家族で読めるfamily book series―たちまちわかる最新時事解説)
いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり
決定版 民主党と日教組
posted by 蘇芳 at 01:29|  L 「CGS 御製から見る日本」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする