2016年05月26日

【動画】「御製から見る日本」第3回 国のためなら、我が命をも! 〜亀山天皇の想いとは?〜


CGS 御製シリーズ第三回。



動画概要:
2015/02/05 に公開
前回は後鳥羽上皇(鎌倉時代)でした。今回は鎌倉時代の末期の天皇・亀山天皇の御製に­ついてその意味と、背後の歴史背景を考えていきます。
「世のために 身をば惜しまぬ 心とも 荒ぶる神は 照らし覧るらむ」亀山天皇
元寇にも屈しなかった日本人の精神をお伝え致します。
世のために身をば惜しまぬ心ともあらぶる神は照し見ゆらむ
すべらぎの神のみことをうけきつるいやつぎつぎに世を思ふかな
ゆくすゑもさぞなさかえむ誓あれば神の國なる我が國ぞかし
元寇の真相についても最近はようやく人口に膾炙してきた感があります。
騎馬民族がわざわざ好き好んで海を渡ってくるかどうか。
考えれば「主犯」が何者であるかは明らかです。

古代、中世、近世、近代、現代。
かの半島が日本の国益に資したことはただの一度もありません。
地図だけを見て安直に利用価値を見出す為政者が後を絶たなかったことは痛恨の極みです。
現代では米国が長らく錯覚にとらわれているようですが……
早く気づいてほしいものです。

ところで、前回、新古今集の編纂について触れましたが、亀山天皇の御代、皇紀1925年(文永2)には、後嵯峨上皇の勅命による「続古今和歌集」が完成しています。
亀山天皇ご自身も、上皇となられて後、皇紀1936年(建治2)に勅撰集編纂をお命じになり、二年後の皇紀1938年(弘安元年)「続拾遺和歌集」として完成を見ています。
また後に「亀山院御集」が編まれたように、御製も多く伝わっている天皇であらせられます。
こちらの冒頭で掲げたように、明治天皇は、
白雲のよそに求むな世の人のまことの道ぞしきしまの道
とお詠みになり、また、
ことのはのまことのみちを月花のもてあそびとは思はざらなむ
ともお詠みになっています。
皇室にとって和歌とは花鳥風月の弄び物ではなく、それ以上の深い意味のあるものと言えるでしょう。もっと言うなら、天皇が花鳥風月をお詠みになること自体、言霊による「国見」と言ってよい意味を持つものかもしれません。
その意味で、歌道に専心された天皇は、それだけ、国を思い民を思う御心の厚くおわしました天皇であらせられたとも言えるのではないでしょうか。
そして「歌道に専心された天皇」とは、つまるところ、記録が不完全だったり、幼くしてお隠れになった何代かの例外を除く、ほとんどすべての天皇のことに他ならないのではなかったかと思います。

なお、こちらで述べた通り、承久、建武の討幕は、あくまで「北条幕府」打倒の運動でしたが、元寇の当時は、まさにその「北条幕府」の時代です。
国防の陣頭に立った北条時宗は、こちらの映画に登場した北条時頼の息子ですが、国内の異論を押さえて、よく強硬姿勢を貫いたというべきでしょう。
北条を逆賊視する江戸時代の尊皇家からも、例外的に高く評価されている人物です。
本居宣長、頼山陽、また水戸藩発行の『大日本史賛藪』でも時宗は礼賛されているとのこと。
その評価が逆転し、「日本帝国主義の原点である」だの「結果的に日本防衛には成功したが、多大な犠牲を払って徹底抗戦したその姿勢が、本当に適切だったかどうか疑わしい」だのといった曲学阿世の反日イデオロギー史観が横行するようになるのは、戦後のことだそうです。
「祖国防衛」というこれ以上ないほどの大義を詰る・誹るという愚劣な姿勢は、歴史を語る以前の問題外。「正しい歴史認識」という汚らわしい虚偽は清算されなければなりません。
歴代天皇で読む 日本の正史
基礎教養 日本史の英雄
韓民族こそ歴史の加害者である
韓国は裏切る (新潮新書)
posted by 蘇芳 at 01:28|  L 「CGS 御製から見る日本」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする