チャンネルくららから「掟破りの逆15年戦争」、第13回
動画概要:
2015/06/13 に公開
1932年1月~5月、満洲事変で列国の猜疑、上海事変でアメリカ世論は最悪に・・
戦後70年特別企画!~「説教ストロガノフ」掟破りの逆15年戦争~ (協力:PHP研究所)戦争責任とは敗戦責任である。
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8月15日の終戦の詔勅(玉音放送)から時計の針を戻して、どうすれば勝てたのか、対米開戦を避ける事が出来たのかを考えましょう!
226以前にさかのぼってしまうと「何とでもなる」状況だそうなので、特に言うべきこともないですが。
当時の国連というのは米国のウィルソンが提唱しやがったくせに、当の米国が参加しなかった云々という話は左翼捏造反日歴史教科書にも載っているかもしれません。
が、その米国の穴を埋めるかのように国連で大活躍した国があったということは、当然、反日教科書には書いてありません。
「新渡戸稲造 国連」で検索するだけでも興味深い記事が見つかるのではないでしょうか。
倉山氏が大好きな石井菊次郎なども国連を絶賛して人類の希望のように言っていたといいます。もっとも倉山氏はウィルソン主義の妄想性はケチョンケチョンに貶していますので、石井の認識についてはどう考えているのか、氏の著書はあまり読んだことがないのでよく知りませんが。
石井菊次郎にしてそうだった、というくらい、当時の日本人はお人好しの理想主義者だったのかもしれません。
大東亜戦争についてくりかえし述べているように、西安事件の蒋介石、ゾルゲ事件と近衛内閣の日本、ソ連傀儡ルーズベルト政権の米国、と、表向きのメインプレイヤーのすべてがスターリンの玩具のようなありさまでした。
共産カルト許すまじ、というのは当然ですが、同時に、詐欺に騙されるには騙されるだけの隙があったとも言えるはずです。
欧米諸国にとっては、侵略の欲望と人種差別がそれだったとすれば、日本の隙は、まさにこの善良性・理想主義にこそあったのではないでしょうか。
その基本的価値観の相克を克服できなかったことが、後の大戦の遠因ともなったように思います。
そして、その基本的価値観の相克のわかりやすい舞台となったのも、当時の国連ではなかったでしょうか。
動画の時代からは少々さかのぼりますが、当時の国連といえば、日本が残した大きな足跡の一つに、人種平等法案の提出というのがあります。
その顛末こそは、侵略と差別の西洋の欲望と、空想的理想主義の日本の夢想との、わかりやすい相克そのものでした。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の勝利を通じて、日本は世界の強国への仲間入りをしたが、それは「非白色人種による唯一の近代国家」という前例のない孤独なものであった。国際連盟規約に人種差別を盛り込めなかったという屈辱的敗北を喫し、さらに、ワシントン海軍軍縮会議やロンドン軍縮会議で西欧白色人種に押さえ込まれると、日本では、明治以来のアジア主義が再び高まった。「アジアとともにアジアのために」という動きに、有色人種は、日本が白人帝国主義に立ち向かうであろうとの期待を高めた。平間洋一の言う戦間期の「アジア主義」「共産主義」「モンロー主義」の三つの戦いのうち、「神の摂理」の覇権とやらの邪悪さはいうまでもありませんが、共産主義もまた反社会的カルトによる文明破壊の詐欺にすぎなかったことは、今日では誰の目にも明らかでしょう。結局のところ、三つの主義・思想のうち、唯一、まっとうな大義たりえたのは、アジア主義だけだったと言えるのではないでしょうか。
一方、ロシア革命の成功は共産主義への関心を高めた。周恩来、蔡和森、ホー・チミンなどを共産主義に走らせ、世界各地に共産党を誕生させた。そして、日本を盟主とする有色人種による人種平等へのアジア主義の戦い、モスクワのコミンテルンを盟主とする共産主義による民族解放の戦い、アングロサクソンの「神の摂理」のモンロー主義の覇権をめぐる戦いが、大きなうねりとなって第二次世界大戦となり、さらに戦後の植民地解放の戦いを経て、人種の平等と有色人種国家の独立へと連なっていった。平間洋一「日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀」
しかし、その盟主たるべき日本はあまりにも単純素朴に善良であり、そのパートナーたるべき中華は骨の髄まで腐り果てていた(いる)のですから、現実的な成算には乏しかったと言わざるをえないようにも思います。
マッカーサーが言ったとか言わないとかいう「日本は12歳」という言葉は、戦後反日勢力によって歪曲され、日本を貶める道具として利用されてきました。
が、ある種の保守論客によれば、あの言葉の真意はそれとは正反対なものだとも言われているようです。
日本があまりにも純粋すぎ、善良すぎ、あたかも穢れを知らない12歳の少年のようにひたむきに理想を追い求めすぎたことを、西洋という「汚い大人」と対比したのが、件の言葉の意味だというのです。
真偽のほどは知りませんが、かつての国連における日本の歩みを見れば、当たらずといえども遠からぬ見解のようにも思えます。
動画で触れられている満州国承認をめぐる国連脱退にしても、「汚い大人」の策略を持たない、12歳の少年のような行動だった、と、見ることもできるのではないでしょうか。
リットン報告書が、名を捨てて実を取る式の、実際には日本に大幅に配慮した内容だったことは、今ではだいぶ知られているでしょう。
しかし、「名」を捨てることができず、実利を貪る鉄面皮を持たなかったのが、当時の日本だったのかもしれません。
日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀
全文 リットン報告書【新装版】
完訳 紫禁城の黄昏(上) (祥伝社黄金文庫)
完訳 紫禁城の黄昏(下) (祥伝社黄金文庫)
アメリカの鏡・日本 完全版 (角川ソフィア文庫)
追記:
第一次大戦の戦勝国によって作られた国連が、上記のような相克の舞台となった遠因の一つに、敵国・ドイツによる戦時プロパガンダがあったことも、忘れるべきではないように思います。
日露戦争以来の欧米の日本たたきについてはこちらで動画を見た通りですが、日露戦争をけしかけ、戦後は盛んに黄禍論をあおりたてたウィルヘルム二世こそは、近代日本にとっての不倶戴天の敵でした。
第一次大戦中も、ドイツが盛んに連合国に対する離間工作として、人種差別を煽り、連合各国が情けないほどたやすくそれに乗せられたことは、こちらでも見た通りです。
共産主義者の謀略に乗せられた大東亜戦争の失敗は追及されるべきですが、当時の欧米の愚劣さを思えば、その迷妄にいずれ何らかの形で鉄槌を下さないかぎり、反共の共闘もありえなかったのだろうこともまた、確からしく思えます。
まことに、日本は「孤独」でした。