2016年05月22日

井上内親王


公の宣命における言葉の「あや」なのか捏造なのかわかりませんが、称徳天皇が仰せになるには、かつて聖武天皇は、
朕に子が二人いるということはない。ただこの太子一人だけが朕の子である。(宇治谷孟訳、以下同じ)
と仰せになったといいます。
親兄弟を捨て穢土を厭離して出家遁世せよというのが仏教ですから、仏教的にはこれはこれでいいのかもしれません(自分の息子にとんでもないDQNネームをつけて捨てた釈迦国のシッダールタとかいう人非人もいたくらいですしね)。
しかし、事実において、聖武天皇には他にも皇子女がおいでになりました。第一皇子の基王はこちらで述べたとおり三歳で薨去されていますから別としても、こちらで述べた不破内親王とならんで、光仁天皇の最初の皇后・井上内親王もまた、聖武天皇の皇女殿下であられ、女帝の姉妹でいらっしゃいました。

不破内親王が女帝の御代に「冤罪」を着せられ、光仁天皇の御代に「無実」が明らかにされたことはこちらで述べましたが。
不破内親王が皇籍に復帰されたのと同じ皇紀1432年(宝亀3)、今度は井上内親王に呪詛事件の嫌疑がかけられます。
「続日本紀」は、この事件について、
三月二日 皇后の井上内親王は呪詛の罪(光仁天皇の姉・難波内親王を呪い殺したとされた)に連坐して、皇后の地位を廃された。
と簡潔に記しているだけで、事件の詳細はよくわかりません。
あくまで「連坐」とありますし、その後の五月二十五日には「四品の難波内親王に三品を授けた」と、「被害者」もピンピンされているようでもありますので、いろいろと不可解です。
いずれにせよ、五月二十七日には、
天皇は、皇太子の他戸王を廃して庶人とした。
とあり、立后からわずか1年4カ月ほど、立太子からわずか1年1カ月ほどで、母子ともにその地位を追われることとなりました。
このとき、天皇は、
今、皇太子と定めてあった他戸王の母である井上内親王が、呪詛によって大逆をはかっていることは一度や二度のことではなく、度々発覚している。
とまで詔されています。
こちらで引用した落首に共に謡われた、御即位以前からのお妃に、いったい何があったのでしょうか……

翌皇紀1433年(宝亀4)、他戸親王に代わって、新たに立太子されたのが、他でもない山部親王=後の第五十代桓武天皇であらせられました。
この展開を見て、「呪詛」などというどうとでもでっち上げられる便利で曖昧な罪状を、そのままに受け止める人はいないでしょう。
よく言われる背景としては、事件の前年、光仁天皇の擁立(井上内親王の立后)にあずかって功があった藤原北家の永手が死去。代わって台頭した式家の藤原百川や良継が、山部親王を擁立するため、皇后・皇太子の排除を画策した、という説があるようです。
真偽は不明ですが……
こちらでふれたように、藤原百川は配流中の和気清麻呂に若干の経済援助を与えたという挿話が伝わっており、清麻呂一人をスケープゴートにした「共謀者」とは、若干の立場の相違があったとしても、不思議ではないのかもしれません。
また、こちらで考察したように、奈良時代の政争が、仏教需要のあり方をめぐって、聖武系・舎人系、天武系・天智系という皇族間の対立に、藤原氏内の本家争うが絡むという複雑な様相を呈していたと仮定してよいのなら、聖武系かつ天武系という二重に敗者の血統であられたうえ、藤原永手という後ろ盾を失われた井上内親王のお立場は、いずれ、いろいろな意味で不安定なものだったのかもしれません。

皇紀1433年(宝亀4)、十月十四日、難波内親王が薨去されると、
十月十九日 当初、井上内新王は呪詛した罪に問われて皇后を廃されたが、後にもまた難波内親王を呪詛した。この日、天皇は詔して、井上内親王とその子の他戸王を大和国宇智郡にある官に没収した邸宅に幽閉した。
そして二年後、皇紀1435年(宝亀6)、
四月二十七日 井上内親王と他戸王がともに卒した。
とあります。自然死と考えるにはあまりに不自然なご最期でした。

三歳で薨去された基王。
いったんは「中継ぎ」の役をお果たしになりながら、悪僧の手練手管に堕ち、天皇としては「異常」な御振る舞いが多くあらせられた孝謙・称徳天皇。
塩焼王に嫁され、恵美押勝の乱呪詛の冤罪、そして後には氷上川継の乱、と、その御生涯を通じて翻弄されつづけた不破内親王。
そして、この井上内親王。
……仏教を深く信仰せられた聖武天皇の皇子女方は、皆、それぞれに数奇な運命をたどられたようです。
仏教には因果応報説という教義もあったかと思いますが、このような因縁も、親の因果が何とやらとでも言えばいいのでしょうか?

井上内親王の廃后・他戸親王の廃太子は、謎の多い事件ではありますが、いずれにせよ、聖武・孝謙・淳仁・称徳、四代三方の御代の混乱の余波・後遺症というべき事件だったようにも思えます。
はたして、公的な詔勅に見られるお言葉だけが、光仁天皇の大御心のすべてだったのか……
今となっては、永遠の謎というべきでしょうか。
歴代天皇で読む 日本の正史
続日本紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
天平の三姉妹―聖武皇女の矜持と悲劇 (中公新書)
高貴な血ゆえに
posted by 蘇芳 at 01:40| 「続日本紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする