2016年05月06日

「ワリヤーグ」と「コレーツ」


戦争の開始において宣戦布告が必要であると国際的に定められたのは日露戦争の 3 年 後、1907年(皇紀2567)のハーグ第三回国際会議においてです。日露戦争開戦当時(当然、日清戦争においても)、外交関係の断絶を以て宣戦布告とすることが国際的慣行でした。
当時、ロシアに好意的なドイツの新聞でさえ、1700年から1870年に起こった120の戦争のうち110が事前に宣戦布告をしていないと報じているといいます。
反日歴史捏造を排除するために押さえておかなければならないポイントではないでしょうか。
そもそも、日露戦争は、国交断絶(2/6)の後、旅順港奇襲作戦(2/8)ではじまったわけですが、二日も猶予を与えておいて、「奇襲」もへったくれもない話です。

その翌日、日露両海軍の最初の砲撃戦が行われたのが、仁川沖海戦
1904年(皇紀2564・明治37)二月九日。京城に派遣される陸軍先遣部隊2200名を護衛していた瓜生艦隊(装甲巡洋艦浅間、他巡洋艦四隻、後方には第十四水雷艇隊)と、仁川港に停泊していたロシア巡洋艦ワリヤーグ・砲艦コレーツとの間に生起した戦闘です。
戦闘はもちろん日本側の圧勝に終わりました。
大損害を受けたワリヤーグとコレーツは港内に逃げ帰り、自沈。生存者は以後の戦争不参加を誓約し、ロシアへ送還されました(ロシア人が誓約を守る人種かどうかは知りません)。
優勢な日本艦隊と戦った乗組員たちは帰国後英雄扱いされ、その後、1950年代のソビエト時代には盛大な歴史捏造のネタになり、現在に至ります。
ロシアというのは所詮そういう国だということはしっかりと理解しておきましょう。

ところで、上で登場したワリヤーグとコレーツには「後日談」があります。

「ワリヤーグ」の名は第二次大戦後、ロシアの空母に引き継がれましたが、これがウクライナ共和国の所有となり、その後、中国に売却されたアレだそうです。


欠陥空母の厄介払いがすんだ後、「ワリヤーグ」の名は、太平洋艦隊所属のミサイル巡洋艦として三たび復活。1997年二月九日、仁川沖海戦の日に仁川港を親善訪問しています。

一方の「コレーツ」ですが……
「コレーツ」というのはロシア読みで「高麗人」のことだそうです。

日露戦争は、朝鮮の独立を守り、満州をロシアの占領から解放する戦争でもありましたが……それに先立って、半島の沿岸や港内を許可もなく測量した、半島侵略の尖兵こそが「コレーツ」です。
この「コレーツ」をつかまえて、親善のために艦名の復活をロシアに提案したのが、某韓国海軍。そして実際に、2003年8月、ロシアは対潜哨戒艦の一隻に「コレーツ」と命名したといいます。
同年、仁川に両艦の慰霊碑を建設したいとロシアが申し入れたとき、半島のメディアはこぞって「ロシアの善意」と報じたとも言います。
日露戦争100周年にあたる2004年二月十日、完成した慰霊碑の除幕式が行われ……
半島を侵略し、日本に敗北したロシアの歴史を象徴する「ワリヤーグ」と「コレーツ」を、現地住民は大歓迎したそうです。

以上、ソースは平間洋一「日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀」ですが。

歴史を忘れた民族に未来はないとはけだし名言。
歴史を忘れた民族、捏造する民族は、ここまで支離滅裂になれるようです。

アジアの特定某国だけでなく、ロシアの厚顔無恥にも、同時に、留意しておきたいところ。

日本はかの国々を他山の石として、歴史の真実を見つめつづけるべきかと思います。
日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀
日露戦争を世界はどう報じたか
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日本人だけが知らない「本当の世界史」 (PHP文庫)
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posted by 蘇芳 at 01:34|  L 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする