2016年05月05日

【動画】最初の「愛国」


正史において初めて「愛国」の二文字が登場するのは、皇紀1350年(持統天皇4)の勅語においてです。
「書紀」にはそれまでにも多数の尊皇敬神の志士が登場していることはもちろんですが、その行為が初めて「愛国」と規定されたという点で、大伴部博麻の物語は、国民国家・日本にとって、記念碑的といってもよい意味を持つのではないでしょうか。


せっかくですから「日本書紀」の該当箇所を白文と現代語訳で引用しておきます。
乙丑、詔軍丁筑紫国上陽咩郡人大伴部博麻曰、於天豊財重日足姫天皇七年、救百済之役、汝為唐軍見虜。洎天命開別天皇三年、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元宝児、四人、思欲奏聞唐人所計、縁無衣粮、憂不能達。於是、博麻謂土師富杼等曰、我欲共汝、還向本朝、縁無衣粮、倶不能去。願売我身、以充衣食。富杼等、依博麻計、得通天朝。汝独淹滞他界、於今卅年矣。朕嘉厥尊朝愛国、売己顕忠。故賜務大肆、并絁五匹・綿一十屯・布三十端・稲一千束・水田四町。其水田及至曾孫也。免三族課役、以顕其功。

二十二日、兵士、筑後国上陽咩郡(上妻郡)の人、大伴部博麻に詔して、「斉明天皇の七年、百済救援の役で、おまえは唐の捕虜とされた。天智天皇の三年になって、土師連富杼・氷連老・筑紫君薩夜麻・弓削連元宝の子の四人が、唐人の計画を朝に奏上しようと思ったが、衣食も無いために京師まで行けないことを憂えた。その時、博麻は土師富杼らに語って『自分は皆と一緒に朝のもとに行きたいが、衣食もない身で叶わないので、どうか私を奴隷に売り、その金を衣食にあててくれ』といった。富杼らは博麻の計に従って、日本へ帰ることができた。おまえはひとり他国に三十年も留まった。自分は、おまえが朝廷を尊び国を思い、己を売ってまで、忠誠を示したことを喜ぶ。それ故、務大肆の位に合わせて、絁五匹・綿十屯・布三十端・稲千束・水田四町を与える。その水田は曾孫まで引継げ。課役は三代まで免じて、その功を顕彰する」といわれた。(宇治谷孟訳)
宇治谷訳だと見落としてしまいそうですが、原文ではしっかり「愛国」と書かれています。
「日本書紀」が唐の侵略の危機のなかで、国防の充実をはかり、独立を守り抜いた「国民国家」日本の自覚と宣言の書であることは、こちらなどですでに見た通りですが……これこそは、記紀成立の背景を如実に示す挿話ではないかと思います。

唐の侵略という国難を等閑に付してこの時代を語ることに、何の意味があるでしょうか。
にもかかわらず、肝心の唐の侵略については言葉を濁し、「中国様が律令制を与えてくださった」だの「防人さんカワイソウ」だのといった媚中捏造史観や似非平和主義・階級闘争史観で押し通すのが、戦後の反日歴史教科書です。
その愚劣さも、この物語を知ることで、よくわかるようになるのではないでしょうか。

こちらで述べた通り、昭和二十一年年頭の詔書において、昭和天皇は、
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効スベキノ秋ナリ
と仰せになっています。
反日勢力の歴史捏造こそ、この大御心を踏みにじる大逆無道の蛮行に他なりません。
まっとうな日本人は、謹んでこの詔を承り、愛国心の涵養と「拡充」に献身的努力を効さなければならないでしょう。
わが国初の正史に記された、大伴部博麻の「国ヲ愛スル心」の「特ニ熱烈ナル」物語も、しっかりと語り継いでいかなければならないように思います。

なお、動画に登場した博麻の顕彰碑は、皇紀2523年(文久3・西暦1863)7月に室園神社神職・小川柳、北川内村庄屋・木下甚助ら村内有志の拠金によって建立されたものだそうです。
八女市:
八女あれこれ10 「憂国の士」物語
大伴部博麻呂の碑

DVD>遠き日の勇者の物語白村江の戦と大伴部博麻 [占部賢志歴史探訪シリーズ~語り伝えたい日本人の物語] 4 (占部賢志歴史探訪シリーズ語り伝えたい日本人の物語 第 3巻)
大伴部博麻―日本書紀 「尊朝愛国」の名を負う筑後先人 (1973年)
語り継ぎたい 美しい日本人の物語
歴代天皇で読む 日本の正史
日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
日本書紀〈5〉 (岩波文庫)

ラベル:天皇 日本書紀
posted by 蘇芳 at 01:31| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする