2016年04月27日

【動画】「掟破りの逆15年戦争」第11回 2.26事件とその後


チャンネルくららから「掟破りの逆15年戦争」、第11回。


動画概要:
2015/06/06 に公開
1936年2月~1937年2月 高橋是清が大蔵大臣になり空前の好景気到来!しかし陸軍では派閥抗争で統制派が皇道派­に勝利し・・
戦後70年特別企画!~「説教ストロガノフ」掟破りの逆15年戦争~ (協力:PHP研究所)戦争責任とは敗戦責任である。
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8月15日の終戦の詔勅(玉音放送)から時計の針を戻して、どうすれば勝てたのか、対­米開戦を避ける事が出来たのかを考えましょう!

このシリーズで指摘されつづけてきた戦前日本の「北朝鮮状態」。
その発端は要するに高橋是清の暗殺だったようです。

では、二二六決起部隊の目的こそ日本の「北朝鮮化」であり、彼らが属していたといわれる「皇道派」こそが、極左売国奴の集団だったのでしょうか?
こちらなどで何度か引用しているとおり、北一輝などは天皇やアジア主義を隠れ蓑にした極左でしたから、そうも言えるかもしれません。

しかし、また、皇道派はこの事件を機に(倉山氏によればそれ以前から)失脚し、陸軍を牛耳っていくのは統制派である以上、このあと実際に「北朝鮮状態」の実現に加担していくのは陸軍においては統制派のほうであるとも言えます。
そもそも、統制派の「統制」というのは社会主義政策の「統制」のことですからね。。。
こちらでも引用した通り、
「一君万民の社会主義天皇制を念願したことは、意識すると否とに拘らず明白な事実である。国家統制経済を採用し、農魚山村経済に力を注ぎ、その疲弊を救う」(『別冊知性』昭和三一年一二月号 河出書房)
というのが統制派ですから。

つまるところ、皇道派も統制派も、二つながら共産主義売国奴であり、戦前の陸軍はどこもかしこも真っ赤に毒されていたということでしょうか。
そうかもしれません。
あるいは、そうではないかもしれません。

一部には、二二六事件によって、「皇道派の排除」と「北朝鮮状態」の実現という一挙両得を得た統制派こそ、事件の真の黒幕である、とする向きなどもあるようです。(山口富永「告発 コミンテルンの戦争責任 近衛上奏文と皇道派」)
陰謀論と言えば陰謀論かもしれませんが、レーニン以来の共産主義者の寄生虫根性を踏まえたうえでなら、愛国者こそが「砕氷船」として利用されたという想定自体は、傾聴に値するもののようにも思われます。
(もっとも、山口氏はよりにもよって近衛文麿を美化していますから、あまりに純情素朴であると思えますが)

皇道派の真崎甚三郎は、長らく、二二六の黒幕呼ばわりされ、当日の朝、決起将校たちを「よくやった。お前たちの気持ちはよっくわかっている」と激励したと言われてきましたが、前掲書の山口富永によれば、実際の真崎の発言は「何という馬鹿なことをしでかしたのだ」という叱責だった、と、真崎の同行者が証言しているとも言います。それが事実だとすれば、その事実を隠蔽してきた戦後メディア≒左翼売国奴にとって都合の悪い背景が、二二六事件にはあった、と疑うことは十分に可能かもしれません。
付け加えると、東京裁判で不起訴処分を受け、真っ先に無罪放免された陸軍軍人が、真崎甚三郎その人でもあります。
同裁判の真崎担当係であったロビンソン検事は満洲事変、二・二六事件などとの関わりを詳細に調査し、「真崎は軍国主義者ではなく、戦争犯罪はない」「二・二六事件では真崎は被害者であり、無関係」という結論を下し、そのメモランダムには、「証拠の明白に示すところは真崎が二・二六事件の被害者であり、或はスケープゴートされたるものにして、該事件の関係者には非ざりしなり」とある。

また、現場の青年将校たちにしても、その多くは、農村の窮乏などを背景に世直しの情熱に駆られたというのがせいぜいで、流行のイデオロギーを得意げに振り回して議論してはいたものの、その実、共産主義思想などよくわかっていなかった、ということも、ありえたのではないでしょうか。
三田村武夫の言う、いわゆる「同伴者」「ロボット」です。

たとえば「鈴木貫太郎自伝 (中公クラシックス)」には、その可能性が生々しく感じられる一節があります。
事件当日、鈴木邸を襲撃した部隊の指揮官・安藤輝三は、事件の二年前、鈴木を訪問し、物の見事に論破され、説得されていたというのです。
この問題を強調したら、安藤君は、今日は誠に有難いお話を伺つて胸がサッパリしました、よく解りましたから友人にも説き聞かせますと言つて喜んで、また他日教へを受けることにしたいといつた。さうして辞し去られた。そして帰る途中に、同伴の友人に、どうも鈴木閣下は見ると聞くとは大違ひだ、あの方は丁度西郷隆盛そつくりだ、これから青山の友人の下宿に立寄つて、皆にこの話をしてやらうと語られたと聞いたが、率直に、少し強すぎると思ふ言葉さへ使つて、三十分と申込まれた面接の時間を三時間も、たしか昼食まで一緒にして語つた甲斐があつたと思ひました。その後数日たつて安藤君から重ねて座右の銘にしたいからといつて私に書を希望して来ましたので書いて差上げた筈です。
安藤君は確かにその時は私の意見に同意された。しかし同志に話した上で、同志を説破するに到らず、却つて安藤は意志が動揺したといつて批判された。首領になつてゐたから抜き差しならん場面に追ひつめられて、あのまゝつひに実行するに到つたが、その上で自決の決心もしたのであらうと思ふ。真に立派な、惜しいといふよりも、むしろ可愛い青年将校であつた。間違つた思想の犠牲になつたといふのは気の毒千万に思ふのであります。
二二六事件の青年将校たちは、戦後の左翼プロパガンダメディアによって、その「純粋さ」が英雄視されることがしばしばですが、「純粋」の「純」は「単純」の「純」でもあります。
彼らが主観的には愛国者だったとしても、その犯行の結果から見れば、左翼の口車に乗せられた「単純バカ」にすぎなかった、という見方も、ありうるように思います。

もちろん、だからといって、二二六事件の青年将校が免罪されるというわけではありえないでしょう。
高橋是清を殺して日本の「北朝鮮状態」を招来したのはもちろん、決起部隊は、岡田啓介や鈴木貫太郎の生命まで狙っています。
一命はとりとめたとはいえ、彼らがいなくなっていれば、大東亜戦争の終戦はどうなっていたでしょうか?
後年、再び鈴木総理たちを狙った終戦時クーデターが成功していれば、どうなっていたか?を考えてみれば、答えはおのずと明らかではないでしょうか。
その結果こそ、尾崎秀実たちの「理想」の成就以外にはありえなかったはずです。
尾崎の鋭利な刃物のような予見力は、日本についても、「南方への進撃においては必ず英米の軍事勢力を一応打破しうるでありませうが、その後の持久戦においては日本の本来的な経済の弱さと、支那事変による消耗がやがて致命的なものとなって現はれてくるであらう」と予測している。
(中略)
そればかりか、日本は最終的に英米との戦争で破局的な敗北を回避するために「ソ連と提携し、之が援助を……必要とする」、そのためにも「社会主義国家としての日本を確乎として築きあげる」とまで言いきっている。二年後の一九四四年にはその通りになり、陸軍を中心にこのソ連との同盟(=日本がソ連の属国となること)を模索する終戦工作が開始された
(中川八洋「近衛文麿の戦争責任」)
玉音盤事件の青年将校たちも、岡本喜八の映画(日本のいちばん長い日)などによって、二二六の青年将校と同じく、「純粋」な「右翼」と捏造されています(岡本の映画には、玉音盤事件の青年たちが、二二六の青年たちを直接想起する場面も、たしか、あったと思います)が……戦前の皇道派が、統制派の露払いをさせられたのだとしたら、皮肉な話です。

いずれにせよ、昭和の大戦を、共産主義という「間違つた思想」の「犠牲」となった歴史としてとらえなおし、日本の真の「敵」を、今度こそ見定める必要があるのではないでしょうか。
何となれば、実行犯の免罪は不可能であるにしても、黒幕の罪はそれ以上に重いのですから……
戦争と共産主義 (呉PASS復刻選書12)
近衛文麿の戦争責任
告発 コミンテルンの戦争責任 近衛上奏文と皇道派
鈴木貫太郎自伝 (中公クラシックス)
経済で読み解く大東亜戦争
お役所仕事の大東亜戦争
検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む (光文社新書)
posted by 蘇芳 at 02:09|  L 「掟破りの逆15年戦争」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする