2016年04月26日

自霊拝


昔、TVの反日ファンタジードラマで信長が鏡を拝んでいるのを見て秀吉が驚くという場面がありました。
yahoo知恵袋:NHK大河ドラマで印象に残っているシーンを1つ以上教えて下さい
しかしそもそも神道で鏡を礼拝するのは当たり前の行為です。
普通に売ってますよ、神鏡?
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反日放送局はそもそも伊勢神宮の御神体を何だと思っているのでしょうか。

ちなみにご家庭用の神鏡というのはこういう感じ↓で飾ります。
これで驚いているようでは日本人失格です。

まあ、こういうしつらえができたのはわりと新しいことかもしれませんから、日本人云々というのは冗談としても。
鏡をご神体にする神社は、伊勢に限らず、いくつもあります。
信長はこちらで見た通り、少なくとも表面上、尊皇・敬神の士でしたから、鏡を拝むこと自体には何の不思議もありません。

こちらで確認した通り、仏教やキリスト教は、現世を否定し、人間を「救済」してやらなけらばならない「憐れ」なものと見ます。
しかし、神道にそんな契機はカケラもありません。

こちらで見た通り、人間も含めたこの世の神羅万象は神々によって産み出されたものであり、いわば神々の子孫であり、神々と同じ神聖な本質を有していることになります。
人間は本質的に神と同じである、というのなら、それを礼拝することに、不自然さはありません。
(実際、死後に神として祀られた人間はいくらでもいます。和気清麻呂、菅原道真、楠正成、豊臣秀吉、乃木希典、東郷平八郎は言うに及ばず。靖国の英霊を数えれば、一体、何十万柱の「元人間」の神々が、この国には鎮座されていることでしょうか。これは神道に限ったことではなく、たとえば台湾の道教寺院では、何人もの日本人が神として祀られています。飛虎将軍などは日本でもわりと有名かもしれません。彼らが普通の人間と別して特別なのは、その神聖な「本質」を、生きている間に発揮して明らかに示したとみなされたからに他ならないように思います。極端な話、「程度問題」ともいえるかもしれません)

そもそも「鏡」は、天照大御神の神勅に、
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
とあるように、大御神そのものでもあります。
実際、「カガミ」から「ガ」を抜けば、「カミ」になったりもします。

「鏡が神である」、あるいは「神とは鏡のようなもの」である。
とすれば、神とは、人間の本質を映し出し、つきつけてくる・見せつけてくる存在であるとも言えるのではないでしょうか。

自分を「見る」ということは、とりもなおさず、
自分を「省みる」ということであり、
自分を「見つめなおす」ということでもあると言い換えることができます。

神道の物語を素直に読めば、人間の「本質」はたしかに神々と同じ清らかなものであるはずですが、同時に、こちらでも書いたように、さまざまな罪・穢れによってその「本質」を覆い隠してしまうのも人間である、ということになりそうです。
もし、神前で、鏡に映る自分の姿が、見苦しく穢れはてたものだったとしたら、とても恥ずかしいことでしょう。
そんな自分自身の姿でも、鏡は、容赦なく、ありのままに映し出してしまいます。

ある意味、とても怖い存在です。

鏡に映った自分自身の姿を「見つめなおしなさい」ということは、つまるところ、
・今の自分は、拝礼するに値する存在たりえていますか?
という問いかけであるのかもしれません。
また、鏡そのものが神でもあるのですから、それは同時に、
・神様の前に出るに恥ずかしくない自分でありえていますか?
という問いかけでもあるのかもしれません。

しかしまた、今現在の情けない自分の姿を見て恥じ入るということは、心の奥底では、「本当の自分はこんなものではない」と思っている・知っているということでもあるのかもしれません。
それを単なる思いこみやうぬぼれではなく、「その通り」と肯定してくれるのも、神道の物語的文脈ではないでしょうか。

したがって、鏡に映った自分自身の姿を見つめなおすということは、
・自分自身の「本質」が神々と同じく清らかなものだということを思いだしなさい
ということでもあるのかもしれません。

つまるところ、鏡に対する礼拝というのは、自分の本質が清らかなものであることを思いだし、その本質に立ち返り、その本質に相応しい生き方を「しろ」、ということでもあり、「する」と決意することでもあるのではないでしょうか。
そしてそのためには、その「本質」が曇らないように、祓い・清めることが必要になるでしょう。
神道・神事が「祓いにはじまり、祓いに終わる」と言われるのは、それが「祓えば清まる」ことを信じているからに他ならないように思います。
そこにあるのは、人間の本質や目の前の世界に対する無条件の信頼、「大文字の肯定」とでもいうべきものであるとも言えるのではないでしょうか。

まあ、神道的に正当な解釈かどうかは、知りませんけどね……
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posted by 蘇芳 at 02:13| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする