2016年04月22日

神仏習合


神仏習合は日本文化の懐の深さを示すものとして肯定されることが多々あります。
一面において、それはそうかもしれません。
しかし、長所と短所は紙一重です。
日本の善良性につけこみ、悪用する反日勢力は、後を絶ちません。
歴史の教訓から、外来カルトの日本浸透の手口を学んでおくことも、無駄ではないように思います。

歴史教科書には神仏習合といえば本地垂迹説しか載っていないくらいのものですが、それは氷山の一角です。
その発展の経緯を歴史的に抑えておかなければ片手落ちでしょう。

まず、大前提として、そもそも神仏習合は、神道側の要請ではありません
神道はそもそも仏教など必要としていませんでした。
それはそうでしょう。
仏教公伝以前は、日本には神道しかなかったのですし、神道だけで十分だったのです。
そこへ後から割り込み、口八丁手八丁で国民をたぶらかし、地歩を固めようとした外来カルトの側が持ちだした屁理屈。それが神仏習合のそもそもの起こりであり、故に、仏教サイドの身勝手かつ厚顔無恥な教説が多いことを、日本人は知るべきだと思います。

神身離脱説

まず、もっとも素朴な仏教側の世迷言がこれです。
こちらで述べたように、仏教は現世を「六道輪廻」の「苦界」と定義します。
そして、こちらで見たように、「あわれ」な衆生を救って「あげなければならない」と勝手にふりかざす独善がその本質です。
その「六道」の中には「神界」も含まれています。もともとインドの土着信仰の中からそのアンチテーゼとして出発した仏教は、インドの神々もまた苦界に懊悩する衆生として、救済の対象にしています。
それをそのまま日本にあてはめて、日本の神々さえも「救済」してやるのだ、と、上から目線で勝手にふんぞり返るのが、この「神身離脱説」です。
仏教の教義からはもっとも率直であるがゆえに、それが神道と相いれないカルトであることをもっともよく露呈しているというべきでしょう。
いわゆる「神宮寺」は、この説にもとづいて、神々を解脱に導くために建立された寺院です。思い上がりも甚だしいとはこのことでしょう。
「日本霊異記」に、七世紀頃、備後国三谷郡に神宮寺が建てられた記述があるようです。
奈良時代には霊亀年間(皇紀1375~1376・西暦715~716)に越前国気比神宮寺、養老年間(皇紀1377~1384・西暦717~724)に若狭国若狭彦神願寺などが建立されたとか。
まずは中央ではなく地方から浸透を狙ったようです。
ある意味、現代と同じですね。
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護法善神説

同じ奈良時代に、中央ではこの説による浸透が画策されていたそうです。
天平神護元年(皇紀1425・西暦765)、あの称徳天皇が、
仏の御法を護りまつり、尊みまつるは諸の神たちにいましけり
との宣命を出されたといいます。
ここでは神々が仏法の守護神として観念されています。
すでに仏教はインドにおいて、古来の神々を自らの教義にとりこんでいました。迷える神々を「救済」してくださるありがたい御仏をお守りいたします~というわけです。
同じことを日本でやろうとしたのがこの説です。
守護神といえば聞こえはいいですが、神々が仏法を守る、ということは、仏に仕えるということ、仏の近衛兵になったということ、要するに家来になったということで、やはり仏教側の自分勝手な妄想にすぎません。日本の神々を断りもなく勝手に、キリスト教における「改宗者」扱いしているわけで、失礼極まりない話です。
聖武天皇・称徳天皇という個人的にはおそらく善良で、それゆえに「道」をお求めになったのであろう天皇の心の隙につけこんだ甘い毒がこの教説ではなかったでしょうか。

時代的に見て、玄昉や道鏡といった売僧どもの手口がこれだったこと、想像に難くありません。

実際、この説と関係の深い日本の神の代表のひとつが、八幡神です。
「続日本紀」にも記述がありますが、聖武天皇が国費を蕩尽された大仏建立に大きくかかわっているのが宇佐八幡であり、こちらで述べたように、道鏡事件のころには道鏡の実弟の影響下にあったりもしたのが宇佐八幡をはじめとする九州神社界だったようです。偽の神託が宇佐八幡宮からもたらされたことも、ゆえのないことではありません。和気清麻呂の義挙も、その宇佐八幡宮を舞台にしているのですから、勅使発遣も当初はむしろ道鏡サイドの計画のうちだったと見るべき理由がさらに増します。それを逆手に取って道鏡の野望を砕いたのが、和気清麻呂自身だったか、藤原百川や永手たちだったかは……神のみぞ知るでしょうか。

なお、現代でも、しばしば仏教寺院の境内に神社があるのを見かけることがあると思いますが、あれが「寺院鎮守神」であり、その思想的根拠がこの「護法善神説」だそうです。

本地垂迹説

神宮寺が建てられ始めた元明天皇の御代にせよ、先の宣命を仰せ出された称徳天皇の御代にせよ、時代区分としては要するに奈良時代、正史でいえば「続日本紀」の収録範囲にあたります。
「神身離脱説」にせよ「護法善神説」にせよ、いわゆる南都仏教の唱えた教説であり、その究極が道鏡事件である、ともいえそうです。
その教訓を踏まえて、平安遷都後に新たに提出されたのが、有名な「本地垂迹説」である、という歴史的な文脈は、押さえておく必要があるのではないでしょうか。
南都仏教の神仏習合説が、神道を仏教の下位に置き、従属させ、支配しようとしていたのに対して、「本地垂迹説」は表面上、神仏を対等、それどころか一体のものであると主張します。
仏とは日本の神々の真実の姿「本地」であり、衆生を済度するために変身した「垂迹」の姿が日本の神々である、という、特撮ヒーローのような説がこれです。いったい何のためにそんな「変身」をしているのだかサッパリわかりませんが、平安中期から末期にかけて、熊野神=阿弥陀如来、賀茂神=聖観音、八幡神=阿弥陀如来、春日神=不空羂索観音、天照大神=大日如来、などの対応関係が盛んに喧伝されたと言います。
こうして一見すると、仏教と神道が対等になったように見えますが……縁もゆかりもない外国の神が、われこそは日本の神の真の姿、と勝手になりすまして、仏教式の拝礼を要求してくるのですから、オレオレ詐欺や背乗りとどこが違うのか、私にはサッパリわかりません。
これでも、当時としては、南都仏教の腐敗堕落と比べれば、画期的だったのでしょうか。

この本地垂迹説は、平安~鎌倉時代にかけて、仏教諸派によって、さらなる発展をみることになるそうです。
真言宗による両部神道、
天台宗による山王神道、
などです。
天台・真言とも、平安遷都後に、南都の旧仏教への対抗馬として育成された宗派であることに注目しておく必要がありそうです。
ある程度まで、それは、毒を以て毒を制する、という成果をあげたのかもしれません。
しかしやはり、日本古来の神道に対して、世界認識の点で本来は根本的に相いれないはずの外来カルトによる汚染を許してしまった、むしろ公認してしまった憾みは残るのではないでしょうか。

善良な日本人の多くが、神道界も含めて、こうした仏教側の教説をおおらかに受け入れてしまったことは、日本文化の懐の深さなのか、脇の甘さなのか……判断に困るところです。
ただし、最後に付け加えておくと、それら仏教サイドの提示した神仏習合説を受け入れようとしなかった勢力も、神道界の一部にはあったことも忘れてはならないことだと思います。

その勢力とは、すなわち、伊勢神宮、および宮中です。

「神仏隔離」思想

神仏習合が盛んにすすめられた時代にあってなお、伊勢の神宮と宮中祭祀においてだけは、神事と仏事は厳密に区別すべきであるという「神仏隔離」の思想が堅持され、仏教の汚染が皇国の根幹にまで及ぶことは辛うじて免れえたといいます。
日本書紀」に見る仏教公伝以来の尊皇敬神の志士の戦いを見れば、むべなるかなですが……
それでもなお、称徳天皇の御代には、伊勢にさえ「伊勢大神宮寺」が建立されてしまうありさまだったと言います。逆賊・道鏡こそ憎んでも余りあります。
が、これも、次の光仁天皇の御代にはさっそく、はるか遠方に移転され、やがてめでたく廃止されたといいます。
また、さらに次の桓武天皇の御代には延暦23年(皇紀1464・西暦804)に「皇大神宮儀式帳」が選録され、仏教用語を別の言葉に言い換える「忌詞」の例が収録されるなど、公式に神事の場から仏教を遠ざける施策がとられたとも言います。

それ以来、伊勢の神宮では、長らく、僧侶の参拝が禁じられ、西行の有名な和歌も遙拝所からの光景を詠んだものであることはよく知られているでしょう。
また、宮中祭祀の際には、仏教行事を停止したり、僧侶の参内を禁止する措置がとられたといいます。
これらは、僧侶が扱う死の穢れを忌むため、と説明されることが多いように思いますが、仏教公伝以来の歴史の文脈を踏まえてみれば、真の理由がそんな単純な杓子定規ではなかったことも、明らかに思えてくるのではないでしょうか。

つまるところ、こうして神仏習合思想の発展過程を時系列的に整理してみると、それだけでも、いわゆる「教科書が教えない日本史」の見通しが、多少なりとも良くなるのではないかと思うのです。
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posted by 蘇芳 at 03:04| 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする