2016年04月13日

皇道と神道


こちらで述べたように、十七条憲法があらためて成文化した尊皇の「法」は、日本のコモン・ローによく合致しており、推古天皇による「反撃」の根拠ともなりえたかもしれません。
その結果、馬子の没後、蘇我蝦夷が群臣の「空気(≒コモン・センス)」に逆らうことができず、敏達天皇系の舒明天皇の即位を見ることになったのは、こちらで見た通りです。
しかし蝦夷もさるもの、再び外戚の地位を奪還するため、蘇我氏の母を持つ古人大兄皇子を皇位につけるべく、隠忍自重の日を送り……女帝による「中継ぎ」を要請したのも、古人大兄皇子の成長を待つためだったであろうことも、上のリンク先ですでに述べた通りです。
その「隠忍自重」のゆえでしょうか、「日本書紀」における第三十四代舒明天皇・第三十五代皇極天皇の御代の記述は、最初の舒明天皇の即位事情と、最後の乙巳の変のころを除けば、政治的には意外と平坦です。
そのかわりに目立つのは、相次ぐ旱魃、洪水、日蝕、彗星、台風、地震などなど、災害や凶兆の記述です。

一体に、「日本書紀」や「続日本紀」には、天災の記述が豊富です。
また、現代なら迷信として一笑に付されるであろう凶兆・吉兆の記述も豊富です。
フレイザーやレヴィ・ストロースを引用するまでもなく、古代社会において、「王」の一挙手一投足が宇宙の運行に作用するという観念が、世界中で普遍的・一般的に見られることは、よく知られているでしょう。
後奈良天皇の写経の奥書など、御歴代の天皇の詔にも、疫病や天災を「朕の徳の薄きがゆえ」とされている例が数多あります。
げに「政り事」は「祭り事」でもあったのです。

十七条憲法が尊皇思想を公にし、上で述べたような「空気」が醸成されていたとすれば、崇峻天皇弑逆の「逆賊」蘇我氏が国政をほしいままにしていた時代、政治の乱れが天道の乱れとして意識されたとしても不思議はないでしょう。
すでに推古天皇の御代から、
皇紀1283年(推古天皇31年)、長雨・洪水で五穀は実らず、
皇紀1286年(推古天皇34年)、一月に桃や李の花が咲き、三月にはまた寒くなり霜が降り、六月に雪が降り、三月から七月まで長雨が降って天下は大いに飢え、
皇紀1287年(推古天皇35年)、陸奥国で貉が人に化けて歌を歌い、大量の蠅が集まって十丈程の高さになり、信濃坂をこえて上野国にまで至り、
皇紀1288年(推古天皇36年)、日蝕があり、桃や李の実ほどの大きさの雹が降り、春から夏に至るまで旱魃がつづいた、
というありさまです。
一々あげていけばキリがありませんが、舒明天皇、皇極天皇の御代には、いよいよ天変地異の記載は増えていきます。

もちろん、天災大国日本のことですから、旱魃や洪水、地震、飢饉などの記述は、他の名君とされている天皇の御代にも多々見られはします。
しかし、名君の治世においては、しばしば、現実的な災害には、税の減免や救恤策など現実的な対応が行われ、政治的に納得のいく記述になっていることも多いのです。
それに対して、朝廷が何ら建設的な施策を施さないまま、災害の記述だけが累々と積み重ねられている時代には、やはり、「不吉」な「兆候」という、象徴的な意味合いが色濃く刻印されているように思います。
そこには当然、舎人親王はじめ、編者の意識が作用しているのではないでしょうか。
天武天皇(敏達天皇の曾孫・玄孫)の皇子である舎人親王にとって、蘇我氏こそは直接の仇敵でもあるのですから、なおさらです。

そういった目で見てみると、皇極天皇の御代には、なかなか興味深いエピソードが収録されています。

皇紀1254年(皇極天皇元年)のことでした。
七月二十五日、群臣が神道式の雨乞いを行ったところ、まったく効験がありませんでした。
同月二十七日、蝦夷が百済大寺で僧侶に仏式の雨乞いを行わせると、翌二十八日、小雨が降りました。
しかし、二十九日には、理由は明記されていませんが、雨乞いを行うことができず、読経を中断しました。
そこで、八月一日、天皇が、明日香村の川上で四方を拝し、天に祈られると、雷鳴がして大雨が降り、雨は五日間降り続いて、天下は等しく潤った。天下の百姓は喜び、天皇の徳をたたえた、というのです。

わかりやすい三段落ちですが……

こちらの時点では、神仏拮抗して、いずれとも決めかねた崇仏・廃仏の論争も、最上位に天皇を戴くことで、あるいは決着がついたというべきかもしれません。
そして、ここで、天皇の祈りは、決して仏式で行われてはいないのです。
こちらで述べたように、「日本書紀」が歴史書であると同時に「思想書」でもあるとすれば、この「物語」は意味深です。

逆賊の奉じる仏教には大した効験はない、
と同時に、天皇を欠いた神道にも、あまり効験はない、
しかし、皇道と神道が二つながら一致するとき、初めて、あきらかな効験がある、と、ここでは観念されているのではないでしょうか。

皇道と神道は「セット」でなければならない、という指摘は、実に重要であるように思います。

というのも、最近は保守的な気分も復活し、伊勢・出雲両神宮の式年遷宮などもあって、神道も見なおされてきていると言います。
同時に、いかがわしいオカルトまがいのパワースポットブームの弊も、つとに指摘されています。
そうしたニューエイジだのスピリチュアルだのという輩の中には、反日勢力も顔負けの歴史捏造にいそしむ向きもあるようです。ホツマだのカタカムナだのユダヤだの人工地震(笑)だのという輩ですが……
「古神道」を無暗にありがたがる風潮には少々注意が必要かもしれません。
「昔ながら」の神道と言われると、何やらそれこそが「本物」の神道であるような気がするかもしれません。
しかし、むやみやたらに昔へ遡って、御皇室以前にまで行きついてしまえば、それは人類に普遍的なアニミズムの世界であって、「日本」の信仰の世界ではなくなってしまうのではないでしょうか。
それはもはや反日左翼の大好きなグローバリズムの類であって、日本国固有の国柄とは直接の関連を持たなくなってしまいかねません。人類に普遍的なアニミズムを信仰することで「地球市民」にはなれたとしても、そこにはもはや「日本人」「日本国民」はいないのです。

祭祀には「形」が重要であるとこちらで書きましたが……
皇室によって整えられた祭祀の「形」を失った神道が、はたして、私たち現代日本人の信仰たりうるでしょうか?
ちなみに「古神道」を名乗るある種の新興宗教などは、「足軽幕府」などと言って、明治維新を全否定しています。
それでは、維新以前の、御歴代の御陵が仏教寺院に造られていたような時代が、神道的にまともだったとでもいうのでしょうか。第一、大御宝をつかまえて「足軽風情」と軽く見るのは、あまりに「武家」の序列意識にとらわれすぎてはいないでしょうか。
何より、原初のアニミズムは、世界中で敗北し、消滅したのです。それが先進国の中では唯一日本においてのみ、神道の一部として命脈を保っているのは、天皇・皇室あったればこそではなかったでしょうか。
吾れ嘗て称す、王業衰へて神道興ると。何となれば即ち、これ祖宗の事なればなり。王政の盛時に当り、誰れか敢てこれを口舌に騰げ、以て私説を樹てんや。
頼山陽「日本政記」
天皇なしのアニミズムはあり得ても、天皇を欠いた日本神道などありえないのではないでしょうか。

歴史のつもりが神道のほうへ、少々話が脱線したようですが……

元々、蘇我氏の権勢が、崇仏・廃仏の論争に武力による決着がつけられたことに起因しているとすれば、その「崇仏派」蘇我氏の時代に、天変地異が相次ぎ、仏法の祈りにもほとんど効験がなかったという物語的記述には、明らかなメッセージ性が込められていると感じざるをえません(毒電波かもしれませんが)。
十七条憲法を経た今、それはもはや「崇仏vs敬神」の構図ですらなく、「崇仏vs尊皇・敬神」の構図に変わっているのではないでしょうか。
付け加えるなら、こちらで見た通り、蝦夷・入鹿の振る舞いには天皇を軽んずること甚だしいものがありましたから、「崇仏」はすでに「反皇室」とセットになっているとも言え……「反日・崇仏vs尊皇・敬神」と、対照はさらに完璧になります。

仏教であろうと神道であろうと、天皇なくして日本の信仰はありえない……
実際、かつて用明天皇の御代には、大御心は仏教崇拝に傾いておいでになり、廃仏派はまさにその「天皇」の加護を欠いていました。ならば、「物部はそれゆえに敗北したのだ」とさえ、言って言えないことはないのかもしれません。

しかし、今や、廃仏派の神祇氏族・中臣の鎌足と、廃仏派の敏達天皇の曾孫(玄孫)・中大兄皇子とが、手を結ぶべき時が来ていました。
半分はこちらでも述べた通り、蝦夷・入鹿のオウンゴールですが……
別の言い方をするなら、「機は熟した」、または鎌足もまた、かつての蝦夷と同じように「空気」を読んだと言えるのかもしれません。
実際、蝦夷はすでに境部摩理勢臣を滅ぼしていますし、入鹿は(蘇我氏の母を持つ)山背大兄皇子を滅ぼしています。もはや蘇我氏も一枚岩ではなく、中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我倉山田石川麻呂の娘を皇子の妃に迎え、味方に引き込むことに成功しています。
それだけの「空気」はすでに醸成されていたのでしょう。

奈良時代末期の反道鏡の「空気」といい、幕末の尊皇の「空気」といい、日本史において、この「空気」というのは、しばしば、とても重要であるように思います。
その「空気」=「暗黙の了解」を形作るのが、つまるところ人々の意識であるとすれば、「日本はかくあるべし」という共通了解の健全性を保つことこそ、日本にとって死活的に重要な命題であるのではないでしょうか(同時に、合理的な懐疑の余地も担保されなければならないでしょうが)。
戦前・戦中・戦後を一貫して、反日勢力が根本的な破壊を目論みつづけているそのターゲットこそ、この「空気」の健全性であるようにも思えなくはありません。
とすれば、国体に関する健全な共通了解≒コモン・センスの回復が急務であると同時に、国体明徴のスローガンが歪曲・偏向に利用される危険性にも自覚的でなければならないのかもしれません。
初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2
日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
歴代天皇で読む 日本の正史
取り戻せ!日本の正気
日本は天皇の祈りに守られている
posted by 蘇芳 at 02:34| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする