2016年04月09日

【動画】「掟破りの逆15年戦争~戦争責任とは敗戦責任である」第9回 近衛声明から興亜院設置へ


チャンネルくららから「掟破りの逆15年戦争」シリーズ第9回。


動画概要:
2015/05/30 に公開
1938年1月~12月 近衛声明「蒋介石を相手とせず」、国家総動員法へ
戦後70年特別企画!~「説教ストロガノフ」掟破りの逆15年戦争~ (協力:PHP研究所)戦争責任とは敗戦責任である。
『説教ストロガノフシリーズ』好評発売中!http://goo.gl/dpztcf
8月15日の終戦の詔勅(玉音放送)から時計の針を戻して、どうすれば勝てたのか、対­米開戦を避ける事が出来たのかを考えましょう!

細部を細かく見すぎてかえってとりとめがなくなっている気もするシリーズですが……
前回も書きましたが、戦前の「北朝鮮状態」を銘記すべきです。
「私有財産」を国家が自由に召し上げられる体制というのは社会主義・共産主義の類です。

元々、左翼の妄想には「原始共産制」という時代区分がありまして、人類は最初は共産主義で平和に暮らしていたのに、それが破壊されたという神話を持っています。
したがって、社会主義国家の政策というのは、部分的に古代国家の制度に似てきます。
「コルホーズ」「ソフホーズ」というのは、土地はすべて党のものであり全人民は小作人になれということですから、日本でいうなら「班田収授法」みたいなものです。「墾田永年私財法」より古い制度です。こういうのを時代錯誤と言わないのでしょうか?
社会主義者・共産主義者は王政・帝政を差別だ搾取だと口をきわめて罵りますが、やっていることはどう違うのでしょう?
これを要するに、こちらなどでくりかえし述べましたが、彼らの目的が「搾取」する側・「差別」する側に回ることであり、「平等」だの何だのというスローガンは、ためにする嘘・ペテン・詐欺の類にすぎないからではないでしょうか。
共産主義者ほど差別や搾取が大好きな生き物はいません。匹敵する生き物がいるとすれば、以下自主規制。

いずれにせよ、社会主義・共産主義の制度を、王政・帝政の制度に偽装させることは容易です。
元々、社会主義・共産主義の制度自体が、王政・帝政の制度の模倣・剽窃・パクリにすぎないともいえるでしょう。
王政・帝政に苦い記憶しか持たない国民・民族なら、かえって、この詐欺に騙されずにすんだかもしれません。
が、幸か不幸か、日本こそは、民の竈はもちろん、万世一系の天皇を戴くことによって2000年の繁栄を享受してきためでたい国でした。
「めでたい」に「お」をつけると「おめでたい」になりますが……
上杉慎吉の天皇主権論のごとき、尊皇に偽装したアナーキズム(立憲体制の否定・破壊)に容易に騙されてしまう一般教養レベルの安直さが、共産主義の跋扈を招きやすかった面もあるのかもしれません。
動画で言及のあった風見章が、本来極左であったにもかかわらず容易に国粋主義者に偽装可能だったこと、こちらをはじめ随所で述べてきたように、五摂家筆頭近衛文麿やコミンテルン尾崎秀実らが支那事変を煽りに煽って日本の針路を過たしめたこと……など、国民が容易に欺かれた例は枚挙に暇がありません。

確信犯のスパイなら、まだしもわかりやすいでしょう。
が、三田村武夫のいう「同伴者」「ロボット」は、本人は本気で尊皇家のつもりでいるだけにかえって厄介です。
動画で言及されている三島由紀夫は、その一例ではないでしょうか。
英霊の聲 (河出文庫)」には、「などて人となりたまひしか」と、畏れ多くも昭和天皇をなじる一節があるそうです(私は三島は好きではないので直接は読んでいません)。
これは明らかに、反日左翼による捏造の「人間宣言」を鵜呑みにした、昭和二十一年年頭の詔書の「誤読」、というよりむしろ「曲解」「ミスリード」ではないでしょうか。
詔書原文をしっかり読むべきです。
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
「単なる~ではない」という言葉は、普通に考えれば、「そんなつまらないものではない」「それ以上のものである」という意味以外にはありえません。
「「天皇制」とは「単なる」「神話」と「伝説」によって天皇を一神教の「GOD」として崇拝する未開野蛮の迷信である」という、根も葉もない反日プロパガンダをこそ否定しているのが、この詔書のひとつの本意ではないでしょうか(もう一つはもちろん五箇条の御誓文であり、これも反日プロパガンダの否定にほかなりません)。
しかしてこの詔書には
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効スベキノ秋ナリ
という一節さえあるのです。
反日勢力が決して引用しようとしない箇所ですが……
「国ヲ愛スル心」を大いに「拡充」せよと昭和大帝はお命じになっています。その目指すところは実に「人類愛ノ完成」です。鬼の首でも取ったように「人間宣言」を曲解歪曲してプロパガンダする反日左翼は、そんなにもこの御詔勅が好きだというなら、当然、「愛国心」を大いに奨励しなけらば矛盾していることになります。そしてその大いなる矛盾こそ彼らの常態です。
さらに詔勅にのたまわく
惟フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ、道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ
論理破綻の詐欺師の尻馬に乗って聖上陛下を誹謗したてまつる三島由紀夫は、まさにこの「思想混乱」の惨状を呈しているというべきです。

午後の曳航 (新潮文庫)」という中二病黒歴史ノートを読めば、架空の「英雄」を設定して、善良な一般市民を「俗物」呼ばわりする三島の思想傾向が、架空の聖なる「人民」を設定して善良な一般市民を「プチブル」呼ばわりする左翼学生と同レベルの幼稚さであることは、明白です。
しかして、昭和天皇をはじめ、御歴代の天皇陛下こそは、その「善良な一般市民」をこそ嘉したもうたのではなかったでしょうか。
昭和天皇が御巡幸によって勇気づけてくださった国民は、貴顕紳士や聖人君子や英雄豪傑だったでしょうか。ごく普通の一般市民であり俗物であり、そんじょそこらのオッチャン・オバチャン・ガキンチョその他その他の類ではなかったのでしょうか。
それは何も昭和天皇だけにかぎったことではありません。
日本列島 田ごとの早苗 そよぐらむ けふわが君も 御田にいでます(皇后陛下)
こちらのシリーズでつらつら考えたように、ごく「普通」の「ありふれた」「あたりまえ」の生活を営む、どこにでもいる「あたりまえ」の「普通」の国民こそが、御歴代にとっての「赤子」であり「大御宝」である、というのが日本の「こころ」であるはずではないでしょうか。
戦争と共産主義 (呉PASS復刻選書12)
ネオ東京裁判
近衛文麿の戦争責任
劣化左翼と共産党 SEALDsに教えたい戦前戦後史
posted by 蘇芳 at 01:20|  L 「掟破りの逆15年戦争」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする