2016年04月07日

十七条憲法


こちらで述べた通り、崇峻天皇が弑逆された後を受けて即位されたのが(神功皇后や飯豊青皇女を天皇と数えなければ)日本最初の女帝・推古天皇です。即位事情についてはこちらの動画などでも見ました。
このとき、皇太子となり、摂政となられたのが、用明天皇第二皇子・厩戸皇子=聖徳太子でした。
聖徳太子と言えば一般的には「和を以て貴しとなす」と「日出処の天子」の二点で有名、というか、ほとんどそれしか重視されないようにも思います。もちろん、それはそれで重要ですが、こちらで見た通り、蘇我氏の血をひき、仏教を重んじ、廃仏派の物部氏を攻め滅ぼされた太子の事跡には、単に聖人君子の代名詞として崇め奉っていれば良いというものではない、深い屈折があるのではないでしょうか。

こちらでもこちらでも、またこちらでもこちらでも述べた通り、この時代の仏教などロクなものではありません。
そもそもこちらをはじめ、随所で考察したように、仏教を「原理的」に見れば、日本古来の信仰とはかなり異質なものです。
その仏教を導入して、太子は何がしたかったのか?
聖徳太子が隋への国書で知られる通り、優れた「政治家」であったというのが事実ならば、それこそ、仏教に政治的効用を見出していなかったはずはないのではないでしょうか。

十七条憲法は第一条の「和」ばかりが有名ですし、その他の条々も単なる道徳律として解釈され顕彰される傾向が強いように思います。しかし、あくまでそれは「憲法」であり、拘束力を持つべき「ルール」だったはずです。
第六条、
悪をこらし善を勧めるのは、古からのよい教えである。それ故、人の善はかくすことなく知らせ、悪を見ては必ずあらためさせよ(宇治谷孟訳。以下同じ)
第八条、
郡卿や百寮は早く出仕し、遅く退出するようにせよ。
第十一条、
官人の功績・過失ははっきりと見て、賞罰は必ず正当に行え。
第十二条、
国司や国造は百姓から税をむさぼってはならぬ。
第十三条、
それぞれの官に任ぜられた者は、みな自分の職務内容をよく知れ。
第六条、
民を使うに時をもってするというのは、古の良い教えである。それ故に冬の月(十月から十二月)に暇があれば、民を使ってよい。春より秋に至るまでは農耕や養蚕のときである。民を使うべきでない。
などは、信賞必罰による、公務員の綱紀粛正を目指した、現実的な指令ではないでしょうか。
もちろん、それを実現させるためには公務員に「道徳」が必要でもあったでしょうが、雲をつかむような空理空論ではなく、官僚機構の整備・統制という政治的目的が明確にあったわけで、特に抹香臭い点もありません。
十七条憲法における仏教への言及は、実に、第二条、
篤く三宝を敬うように。三宝とは仏・法・僧である。仏教はあらゆる生きものの最後のよりどころ、すべての国の究極のよりどころである。いずれの世、いずれの人でもこの法をあがめないことがあろうか。人ははなはだしく悪いものは少ない。よく教えれば必ず従わせられる。三宝によらなかったら何によってよこしまな心を正そうか。
の一条だけです。
仏教は、ここでは人を「従わ」せるために重宝されているにすぎないように見えるのは、私だけでしょうか?
要するに、政治的目的のための「道具」であり「方便」です。

宗教的権威を利用し、信賞必罰・綱紀粛正を命じ、別に冠位十二階をも定めて官僚機構を整備・統制する。
十七条憲法の構造は、要するにそういうことのように思えます。
そうして「国家」のシステムを整備することによって、究極的には何を目指したのかと言えば、第三条、
天皇の詔を受けたら必ずつつしんで従え。君を天とすれば、臣は地である。天は上を覆い、地は万物を載せる。四季が正しく移り、万物を活動させる。もし地が天を覆うようなことがあれば、秩序は破壊されてしまう。それ故に君主の言を臣下がよく承り、上が行えば下はそれに従うのだ。だから天皇の命をうけたら必ずそれに従え。従わなければ結局自滅するだろう。
に尽きています。
承詔必謹」。
天皇を中心にした「秩序」。
これこそまさに日本古来のコモン・ローそのものです。

しかして、
和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ。(中略)けれども上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう。
という第一条、
物事は独断で行ってはならない。必ず衆と論じ合うようにせよ。
という第十七条によって、「万機公論に決すべ」き日本の不変の国柄が明示され、単なる専制・独裁に陥ることに歯止めをかけています。愛国保守がこの二条を特に顕彰することにもその意味で道理がありますが、それは、以上の文脈を踏まえたうえでなされなければならないのではないでしょうか。

要するに、十七条憲法には道徳律としての面もありますが、単なる道徳のための道徳ではない。あくまで手段としての道徳であり、そこには国家統制という明確な政治的目的が設定されているのですし、その「国家」の形は、日本古来のコモン・ローに背馳するものでは決してないように思うのです。
こちらで、外国文明の受容には、「分別」にもとづく取捨選択が不可欠であると言いましたが、太子はまさにそれを実行しているのではないでしょうか。
おそらく、冠位十二階においても、仁義礼智信といった儒教的道徳は、いわゆる「さまざまなる意匠」にすぎず、位階「秩序」の設定に便利であれば、何でも良かったのではないでしょうか。
(桜井誠に言わせると、もともと、儒教など、大して深い哲学でもないそうです。

「天皇を中心にした秩序」などというと、やれ「中央集権」だ「差別」だと反日勢力がうるさいかもしれません。しかし、嘘つきの売国奴や敵性国民が嫌がるという、そのこと自体が、この「秩序」の正しさの何よりの証明でもあります。
現代でも「地方分権」「道州制」を導入せんと企てる反日政党は実在しますが、それが分離独立≒侵略を容易にするための詐欺にすぎないことは今さら言うまでもないでしょう。
「差別」「人権」の嘘をたてにとって彼らがどれほど深く激しく日本人を差別しつづけてきたか、今さら多言を要するでしょうか?
そもそも「秩序」というのはそんなに悪いものでしょうか?
皆さんは、「無秩序」「無法状態」がそんなにお好きですか?
ああ、位階がくずれ去れば、
一切の偉大な計画へ通ずる梯がなくなれば、
事業は終わりです。社会の交わりが、
学校の学位が、都市の組合が、
海をへだてた国々の平和な貿易が、
長子の相続権や長上の特権が、
王冠や王笏や月桂冠の特権が、これら一切、
位階がなくて、
どうして正統な地位を保つことができましょうか?
差別を排し、その弦の調子を狂わせれば、
一切めちゃくちゃです。あらゆるものが対立し、
抗争します。陸地に囲まれた大海は
膨れあがって岸をのりこえ、
硬い地球全体を水びたしにします。
体力の強いものが弱いものを支配し、
乱暴な息子は父親をなぐり殺す。
力が正義となります。いや、むしろ正、不正
いずれも区別がなくなり、この二つのたえざる対立を
裁く正義もまた亡びます。
ウィリアム・シェイクスピア「トロイラスとクレシダ」
劇作家の物言いは大仰ですが、社会秩序の根拠を「位階」であり「差別」であり「区別」であると見て、その崩壊の予感に戦くシェイクスピアの直観は正当なものに思えます。
こちらで「分ける」ことこそが「分かる」ことの根拠だと言いましたが……
共産カルトや反日勢力の詐弁・詭弁こそは、「分別」の根拠を破壊し、社会「秩序」の破壊を容易にするための洗脳工作なのだ、と、正しく理解すべきではないでしょうか。

仏教の導入にはいろいろ弊害が大きすぎた憾みもありますが……
十七条憲法ひとつをとってみても、聖徳太子が優れて「政治家(マキャベリスト?)」だったことは、否定できないように思います。
そもそも、こちらで述べたように、聖徳太子は蘇我氏とともに政敵を討ち滅ぼすことを躊躇しない、野心家であり武人でもあったのです。
篤く三宝を敬えという聖徳太子が、蘇我馬子の天皇弑逆の大罪を咎めだてしたという話もついぞ聞きません。
また、皇紀1260年(推古天皇8年)には、例によって新羅が任那を侵略し、日本は一万の兵を派遣して新羅を征伐。新羅は六城を割譲して降伏します。新羅・任那両国は使いを遣わし貢を奉り上表して曰く、
「天上には神がおいでになり、地に天皇がおいでになります。この二神をおいて他に畏きものがありましょうか。今後はおたがいに攻めることをやめます。また船柁が乾く間もないほど、毎年朝貢をします」
聖徳太子在世中、つまり摂政在任中のできごとですから、この討伐は、当然、天皇よりは太子の事跡というべきです。
新羅はどうせこのあとすぐにまた謀反するのですが……聖明王の時代から見れば、久々の大勝利であり、太子の「功績」といってもよいでしょう。
隋への国書ばかり有名ですが、半島計略についても、太子はしっかり「政治家」だったのです。

なお、このような太子の業績を何としてでも貶めたい反日勢力は、「聖徳太子架空説」なども唱えているようですが、不自然です。
「日本書紀」の編纂をお命じになったのは敏達天皇の曾孫(ある意味、玄孫でもあります)天武天皇です。
その兄、天智天皇は「廃仏派」の中臣とともに蘇我を誅殺された張本人。
「崇仏派」蘇我氏と縁の深い用明天皇の皇子を、ありもしない業績でかざりたててやる理由など、ありはしません。
天智・天武両天皇の祖父(押坂彦人大兄皇子)は、敏達天皇の皇子であり、聖徳太子の従兄弟にあたりますが、聖徳太子が皇太子に立てられたということは、押坂彦人大兄皇子は(蘇我氏の目論見で)皇位継承レースから退けられたということでもあります。
敵対陣営に属する太子をほめたたえざるをえなかったとすれば、それは「日本書紀」が正直な歴史書であり、太子の業績が事実だったからに他ならないのではないでしょうか。
その業績を「正しく」評価することは、大切であるように思います。
歴代天皇で読む 日本の正史
日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
どうする東アジア 聖徳太子に学ぶ外交 (祥伝社新書)
posted by 蘇芳 at 03:02| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする