2016年04月01日

日本は三国干渉に「屈した」か?


日露戦争の黒幕はドイツである、と、こちらで書きました。
それはすでに三国干渉の当時、陸奥宗光の目には明らかでした。

北方のロシアは海への出口を三つしか持っていません。
そのうちの二つ、スカンジナビア方面と黒海方面にはヨーロッパ文明諸国が横たわり、容易に攻略することなどできません。唯一、東方の黄色い猿の野蛮国のみは、優等種たる白人文明国ロシアにとって、容易に攻略しうる、また、攻略し支配すべき義務さえも有すると、東方正教の教えに乗っ取って正当化することも可能な不凍港の在処でした。
言うまでもありませんが、ウラジオストクの大意は「東方を征服せよ」です。
したがって、満州を奪い、朝鮮を支配する動機をもっとも強く持ち、それを隠そうともしなかった国の筆頭がロシアであり、三国干渉の誘惑に最も強く駆られた国がロシアだったこと自体は、事実でしょう。

しかし、動機を抱くことと、実際に犯行に及ぶこととの間には、なお、懸隔があります。

三国干渉にわずかに先立つ時期、ロシア駐在公使・西徳二郎によれば、
當國の遽に此干渉に決したるは全く獨逸の同盟を得たるに由りしものと被存候譯は夫迄は英既に干渉の意なく佛亦事已に遅しとして逡巡し當國政府部内に於ても威海衛の陥る迄に干渉すべき筈なりしに今日に至ては假令佛と共に海軍を以て日本に迫るとも之を支持するの陸兵なき以上は如何ともする能はざるべしとの説を持する人多かりしは事實にて現に其連中たる拙官の知人等も我の大陸に就て土地分割の義は幾ど既定の事と認居叉外務大臣「ロバノフ」氏とても當時は同様にて
というありさまで、ロシアはすでに下関条約の内容を大略で容認せざるをえないとしていたといいます。
日本側要求の大略に関する陸奥の訓電について西と協議したとき、ロバノフは地図を取りだし、「金州半島と云へば何程の區域なるや」と訊ね、西が示した範囲を確認すると「彌々安心したる風」をさえ見せたといいます。

そのロシアが翻然と前言を撤回し、三国干渉に打って出たその背景は、上の引用で西が指摘しているとおり、「全く獨逸の同盟を得たるに由りしもの」に違いありません。
すでにこちらで述べた通り、露仏同盟に挟み撃ちされかねない形勢にあったドイツには、ロシアを東方へけしかける動機が十分にあります。
もちろん、動機を抱くことと実際に犯行に及ぶこととの間にはなお懸隔がありますが、ドイツの場合は、勇躍してその犯行に及んだこと、疑いはありません。

ロシアの西公使はもちろん、陸奥の元へは、ドイツ駐在青木公使、英国駐在加藤公使などからも、陸続と情勢報告が入っており、その分析は一致して同じ方向を指しています。
もっとも明快にドイツの黒幕たるを暴露したのは、この時期の従来の日本史にはほとんど登場することのない、イタリアからの報告でした。
イタリア駐在高平公使いわく、
本使は講和條件に反對する獨逸の意向に關し伊國外務大臣と長時間會晤せり其節同大臣は内密に本使に告げて曰く獨逸は初め伊國の協同を望みたれども伊國は之を謝絶したり今囘獨逸をして斯く變動せしめたる同國の底意は全く因て以て歐州大陸の政略上佛露の同盟を遮斷し遂に佛露をして孤立の位置に立たしめむと欲するに在り
当時のイタリアはずいぶん日本に好意的だったらしく、英米を誘って三国干渉に対抗しようとまで提案してくれています。もちろん一国の外交官が単なる好意のみでそんなことをするはずもなく、イタリアにはイタリアなりの打算・国益があったのでしょうが、とりあえず陸奥はそこまでは考究していません。英米は元より日本に好意的な言辞を弄してはいるものの積極介入の意思はなく、事態を長引かせて講和の時期が遷延すれば元も子もなく、そもそもイタリアの提案に乗るということは要するに「三国干渉」を「六国干渉」に拡大するということにもなりかねませんから本末転倒。厚く謝意だけ述べて話を打ち切っています。

以上の引用はすべて陸奥宗光「蹇蹇録 (岩波文庫)」が出典です(旧漢字なのは手元に旧版しかないからです💦)。
すなわち以上の経緯は、三国干渉当時すでに明らかになっていたことであり、陸奥自身によって記述され公刊された自明の事実でもあったのです。
にもかかわらず、いまだに、自称識者の語る「歴史」において、この事情がつまびらかにされず、三国干渉をして「東洋を狙うロシアが独仏を誘って~」などと嘘八百の説明がなされることが多々あるのは、奇異といわざるをえません。
もちろん、黒幕が誰であれ、現に東洋侵略を推し進めつつあるのはロシアでしたから、「当時の」国民を4糾合するためには、ロシア主犯説を以て「臥薪嘗胆」へと導く必要があったことは確かでしょうが……すでに100年以上の時を閲した今なお、そのような「政治判断」の存在にすら盲目であるとは、自称識者の怠慢であるとすれば度が過ぎますし、曲学阿世の輩による反日歴史捏造の一環であるとするなら、なおさら許しがたいことです。
いずれにせよ、歴史の真実を明らかにし、日本を「取り戻す」というのなら、やがて日露戦争へと結実することになるこの干渉の史実もまた、見落としてはならないはずではないでしょうか。

さて。

ところで、上に引用した西公使の報告中に、「英既に干渉の意なく佛亦事已に遅しとして逡巡し」とあることに注意してください。
実際に干渉を実行したのは、独仏露の三国でしたが、それ以外の国々も、隙あらば干渉しようと、日清戦争の劈頭から虎視眈々と狙っていたことは周知の事実でした。実際、アヘン戦争以来大陸に最大の権益を持つ英国の動きは活発だったようです。高陞号事件などを持ちだすまでもないでしょう。

したがって、下関談判はおろか、広島談判に先立つはるか以前の時点で、陸奥や伊藤は、どこの国かは予断できないものの、何らかの干渉は必ずあるだろうこと自体は、予想して、対策も協議していました。いくつかのプランが検討されたそうですが、最終的に両者が一致した対応は、
寧ろ今日に在ては我より清國に向て要求する條件は少しも他顧する所なく之を要求すべし語を換へて云へば我は清國に對し一切戰爭の結果を全收し而して若し事後他の強國の異議あるに會すれば更に廟議を盡し相當の方針を執るの安全なるに若かず
だったと言います。
要するにあとから誰にどんな値切り方をされるかはわからないものの、どうせ値切られることはわかりきっているのだから、目減りすることを前提にして、取れるものは取れるだけとってしまえ、という話です。この割り切りをどんぶり勘定とも出たとこ勝負ともいってもいいですが、まあ、駆け引きというのはこうしたものでしょう。
ロシアの狙いはあくまで不凍港であって、地続きの遼東半島はともかく、はるか南方の台湾などには興味がないことも、事前に察しがついていたはずでもあります。

日本はかくして三国干渉に「屈した」のです。
この事実を察知せず、日本を侮りロシアの属国たらんとした李氏朝鮮は救いがたいですが、日本国民もまた政府の腹の内を察知せず素直に直情的にロシア憎しの「臥薪嘗胆」に邁進するのですから、半島を笑ってばかりはいられないのかもしれません。
日清戦争はもちろん、日露戦争講和時の日比谷事件など、政府が(政府自身の秘密主義のためでもありますが)沸騰する世論に苦慮する出来事は、このあと、何度でも起こってきます。

もちろん、近代日本にかぎったことではなく、古今東西を問わず、外交の反面は実に常に国民世論との戦いでもありました。
それは三国干渉の当事者たちにとっても、同じことです。
上でも名前だけ挙げておいた高陞号事件が結局英国自身の法学者の「正論」によって自己解決を見たように、一般庶民という者は、勧善懲悪のわかりやすさを好むものですし、「反対のための反対」がイエロージャーナリズムの格好の飯の種であることは今も昔も変わりません。
日本が自らの血で贖った正当な権利を、何らの権利も有さない独仏露が横取りした、この三国干渉は、誰の目にもこれ以上ないほどわかりやすい不道徳であり、当事国の国民自身からの批判・揶揄にさらされました。現在の日本の自称識者はほとんど語ろうとさえしない出来事ですが、「蹇蹇録」にはその事情の一半もまた記録されています。

三国干渉の結果、さて、本当に損をしたのは誰だろうか、と、陸奥はうそぶいていますが……
実際、このわずか10年後には、ロシアの極東侵略が日露戦争によって挫折し、黒幕ドイツが四国協商に包囲されることになったのは、こちらで述べた通りです。
さすがに神ならぬ身の陸奥がそこまで予想していたなどとは思いませんが、しかし、まあ、ロシアとの衝突が必然となったことくらいは誰にでも予見できたでしょうし、陸奥ほどの外交家がまさかその戦争に負けるつもりで日本の将来を考えたはずもないであろうことは、明らかであると思います。
まさにカミソリ陸奥恐るべし。「昔の」日本「には」凄い外交家がいたものだ、と……今昔の感に堪えない次第です。

何にせよ、近現代史に本当に興味があり、本気で日本を「取り戻す」というのなら、手軽な概説書ばかりでなく、時には、同時代の記録にも目を通しておくに如くはないようです。
新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)
蹇蹇録 (中公クラシックス)
『蹇蹇録』の世界
人物で読む近代日本外交史―大久保利通から広田弘毅まで
【関連する記事】
posted by 蘇芳 at 02:10|  L 日清戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする