2016年03月30日

【動画】万世一系の皇位継承 継体天皇


反日勢力による古代史の嘘捏造妄想デマは枚挙に暇がありませんが、王朝交代説というのもそのひとつです。



反日勢力は自分たちが根っからの嘘吐きなので、他人も嘘吐きでないはずがないと信じているようです。
そもそも彼らは骨の髄まで嘘吐きですから、彼らが誰かを嘘吐き呼ばわりする場合、それ自体が、当然、嘘以外の何物でもありません。
「日本書紀」は嘘八百、と、彼らは言い募りますが、本当に日本人が嘘つきだというのなら、何もわざわざ「応神天皇の五世孫」などという遠縁を持ちだす必要はなく、「継体天皇は先帝の第一皇子であらせられる」ともっと好都合な嘘をついておけばよいだけの話でしょう。
それをせずに、わざわざ「応神天皇の五世孫」と明記しているのは、むしろ「日本書紀」の正直さのあらわれです。

そもそも継体天皇の推戴には、動画で見るごとく、「先帝の遺臣」が三氏もかかわっています。
これで王朝交代もへったくれもありません。
しかもそのうちの一氏・物部氏に至っては、こちらで述べた通り、後の欽明天皇の御代、仏教公伝にさいして、崇仏派の蘇我氏に対立した、敬神の一族です。神道が皇室崇拝の一面を持つ以上、敬神と尊皇は一体であって、その氏族が王朝交代を画策したなど、片腹痛い話でしかありません。

天壌無窮の神勅をコモン・ローとする日本にあって、天皇の血統こそは、もっとも嘘がつけない・つくことが許されない重大事であり、記紀の記述は、こと皇室の血縁関係については信頼できるのではないでしょうか。

第一、仮に、万一、百歩譲って、ここで王朝交代が行われたとして、古代において「征服」というのは別に悪いことでも何でもなかったでしょう。
こちらで述べた通り、歴代支那王朝などすべて前王朝を滅ぼしてできた征服王朝であり、その「正義の征服」をこそ、高らかに顕揚しています。
ジュリアス・シーザー、アレキサンダー、チンギス・ハーン等々、一代で帝国を築いた偉大な「英雄」としての王朝創始者は世界史上何人も実在しますが、その「偉業」「功業」「征服」を秘匿しようとした帝王など一人もいなかったのではないでしょうか。
継体天皇は、第二十七代安閑天皇・第二十八代宣化天皇・第二十九代欽明天皇の父、第三十代敏達天皇・第三十一代用明天皇・第三十二代崇峻天皇・第三十三代推古天皇の祖父にあたらせられ、文字通り、その後の皇統の「祖」であらせられるのですから、大和朝廷を征服して新たな王朝を築かれた偉大な「英雄」だったのだというのが本当なら、堂々と胸を張ってそれを主張すればよいだけの話ではないでしょうか?
記紀の編纂をお命じになった天武天皇(敏達天皇玄孫)も当然、継体天皇の御子孫ですから、それで別に不都合はなかったはずです。

また、「日本書紀」の虚構性を云々するのならば、むしろ、第二十五代武烈天皇こそその筆頭でなければならないはずです。武烈天皇は「日本書紀」において、前代未聞の暴君として描かれていますが、そのエログロ伝奇小説のような残虐描写の数々は、一読して虚構性の高いものであることが明らかです。(なお事実上顕宗天皇の御代で幕を閉じる「古事記」には武烈天皇についてそのような伝承は一切収録されていません)。
この異常な描写をして、大陸史書の王朝交代正当化の常套手段(≒先行王朝を滅ぼされるべくして滅ぼされた「悪」に仕立てあげる)を模倣した作為である、とする見方は有力であるようです。
あるいは、そうなのかもしれません。
しかし、もし武烈紀の記述にそのような作意があったとして、王朝交代正当化のためにそのように周到な準備を行っておきながら、では、継体天皇紀において、肝心の王朝交代そのものがついに描かれなかったのは、なぜなのでしょうか? これでは竜頭蛇尾もいいところですし、武烈天皇も悪口の言われ損です。
それは要するに、事実において、王朝交代などなかった、ということでしかありえないのではないのでしょうか?

そもそも、応神天皇の「五世孫」というのは、そんなにまで誇大視しなければならないほどの「遠縁」でしょうか?
「五世孫」とは、つまるところ「玄孫の子」のことですが、現代において、たとえば「明治天皇の玄孫」は何人もいらっしゃいます。文字通り「明治天皇の玄孫」を枕詞にしているのは竹田恒泰氏ですが、皇太子殿下も秋篠宮殿下も「明治天皇の玄孫」でいらっしゃることには違いありません。
すなわち、東宮家の愛子内親王殿下や秋篠宮家の悠仁親王殿下は、まさしく「明治天皇の玄孫の子」「明治天皇の五世孫」に該当されるのではないでしょうか。
五世というのはたかだかそのていどの「近い過去」にすぎない、ということを、感覚的に理解しておきさえすれば、継体天皇の出自を疑う反日勢力の詭弁が噴飯物の謬論にすぎないこともまた明らかになるように思います。 
血統にこそ最も重きを置く皇室が、たかだか五世の「近い過去」の記憶を見失うほどに忘れっぽい、などということが、古代においてもありえたとは、とうてい信じるに足りない妄想にすぎないのでは?

つけくわえると、継体天皇の母・振媛もまた、越前の豪族・三輪氏の出であり、垂仁天皇の七世孫にもあたられました。
さらに允恭天皇の皇后・忍坂大中姫は「応神天皇の孫」にあたられ、継体天皇から見ると「曾祖父の姉妹」にあたられますが、その忍坂大中姫を母とされるのが、安康・雄略両天皇であらせられます。
つまり、「継体天皇の祖父」は、「安康・雄略両天皇の従兄弟」にあたられたわけで……
皇室や豪族とこれだけの関係を持っている血筋に関して、その記憶が鮮明である同時代において、嘘をついたり、なりすましたりするなどということが可能であったと信じるのは、あまりにも不合理がすぎるのではないでしょうか。

先帝武烈天皇の姉妹・手白香皇女を女帝に推戴する動きが一切無かったことは、先立つ飯豊青皇女の場合と同じであり、手白香皇女が傍系からお迎えした天皇の皇后となられているのは光格天皇の皇后・欣子内親王の場合と同じです。
継体天皇の即位事情は、王朝交代などという与太話ではなく、皇位継承の掟の一貫性をこそ物語っていると見るべきではないでしょうか。

反日勢力の意図的工作はもちろん、牽強付会の「裏読み」ばかりに固執する、自称古代史ファンの「さかしら」にも注意が必要かと思います(他山の石でもありますが)。
歴代天皇で読む 日本の正史
日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
最終解答 日本古代史 (PHP文庫)
日朝古代史 嘘の起源 (別冊宝島)
皇位継承と万世一系に謎はない (扶桑社新書)

追記:
竹田さんの名前が出たので誤解がないように追記しておきます。
「明治天皇の玄孫」といってもそのつながりは昌子内親王を介してのものですので、竹田(宮)家が(旧)皇族である根拠自体に、明治天皇は無関係です(親等は近くなりましたが)。
竹田宮家のルーツは北朝第三代崇光天皇にまで遡れる伏見宮家ですので、皇位継承の男系の掟を正しく理解する上で、そこは誤解のないようにしたいものです。
(南朝正当論に立つとしても北朝が皇族である事実が消えるわけでもありませんので、両朝合一後の現在、変な極論に固執する必要もさらさらありません。為念。ちなみに足利尊氏は北朝も裏切っているのでどっちにしろ逆賊ですw)
posted by 蘇芳 at 02:05|  L 「万世一系の皇位継承」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする