2016年03月29日

其老猾却て愛すべく


こちらで、「現代日本には、陸奥宗光のような、ある意味「身も蓋もない」リアリズムの復活こそが必要」と書きましたが、カミソリ陸奥の怜悧な分析力は清朝に対しても遺憾なく発揮されています。

一般に、明治日本はアジアで唯一、他に先駆けて「近代化」に成功し、大陸・半島その他諸国は失敗したと言われています。
その「近代化」とはそもそも何かといえば、ある程度までは「西欧化」であると言えるでしょう。
国際政治はもちろん、戦争にさえ、「ルール」があります。
19世紀においてその「ルール」とはとりもなおさず西洋諸国が作り上げてきたものです。
いわゆる「植民地化」さえも、その「ルール」の範囲内で契約・条約の束縛によって実行されたのであり、単なる粗暴犯による暴行にとどまるものではなく、知能犯による詐欺のような側面を併せ持っていたのではないでしょうか。

東洋にも東洋なりの外交の「ルール」はあったことでしょう。
その「ルール」を蹂躙して自分たちの「ルール」こそ普遍的であると軍事力を背景に押し付けてきた、というのが、西洋列強の侵略の実態であり、その根底にはキリスト教・一神教の独善があります。
譬えて言うなら、ソフトボールのチームが、試合に誘われたので、当然ソフトボールの試合だと思っていたら、試合が始まった後になって、これは野球だからそれは反則だあれは反則だと難癖をつけられてペナルティを押し付けられ、不当だと抗議したらこれ幸いとコワイお兄さんたちが殴る蹴るの暴行をくわえてきたようなもの、とでも言うべきでしょうか。
あるいはサッカーだと思っていたら、西洋チームがいきなりボールを手でつかんで走りだしてゴールしたので反則だと訴えたら、これはラグビーだと逆ギレされたようなもの、でしょうか。
譬えは何でもいいですが……

ともあれ、軍隊という名の暴力を背景に押し付けられたのであってみれば、善悪理非曲直の問題ではありません。
もはやアジア各国が生き残るためには、この新しい「ルール」を理解し、順応し、その新しい「ルール」にもとづく新しい「ゲーム」をプレイして、好成績をおさめてみせるしかありません。
それが当時の「近代化」の内実であり、日本はそのために涙ぐましい努力をしたのではなかったでしょうか。
外交におけるその新しい「ルール」を、「万国公法」とか「国際法」と言うのかもしれませんし、それを形成する個別の成文法を「条約」というのかもしれません。
基本的に、「近代」「西欧」の「ルール」は、この「条約」という名の約束事を守る(守りつつ抜け穴を利用する)ことで成り立っているように思います。
約束を守る能力がないと勝手にレッテルを貼られた国々は、文明国と見なされず、未開野蛮のレッテルを貼られました。

ところで、歴代支那王朝(とその属国)こそ、「約束を守らない」ことにかけては右に出るもののいない未開野蛮の筆頭国でした。
現今の南シナ海侵略や日本海油田その他その他を想起するまでもなく、現代の中共においてもそれは全く変わりません。
条約を理解したうえで破っているのでさえなく、彼らがそもそも条約を理解さえしていないことが、防空識別圏と領空の区別さえ理解していないことによって暴露されたことは、記憶に新しいでしょう。
現代の中共においてそのありさまです。
まして100年前の清朝においてをや。

陸奥宗光や伊藤博文の目に、講和談判において李鴻章が展開しようとした詭弁詐弁の類など、児戯と呼ぶにも値しない猿芝居にすぎなかったでしょうし、彼らがそういった猿芝居に打って出ることを事前に予測し、それを防止すべく手を打つ必要があることも、たやすく予想できたことでしょう。
新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)」には、以下の記述があります。
・從来清國は殆ど列國と全然睽離し時に或は列國の社團に伍伴する爲生ずる所の利益を享受したることあるも其交際に随伴する責守に至ては往々自ら顧みざることあり清國は常に孤立と猜疑を以て其政策とす故に外交上の關係に於て善隣の道に必要とする所の公明真實を缺くや宜なり
・清廷の欽差使臣が外交上の盟約に付き公然合意を表せし後却て翻然之に調印するを拒み或は儼然已に締結したる條約に向て更に明白なる理由無く漫然之を拒否せるの實蹟一にして足らず
・或は云ふ今回の事に於ては敢て清國從来の慣例に背きたる者に非ずと本大臣は斷じて此の如き説明を以て滿足すること能はず清國内地の慣例は本大臣素より之に容喙するの權なし然りと雖も我國に關連する外交上の案件に至ては清國特殊の慣例は國際上の法則の爲め裁抑を受けざるべからざることを主張すべきは獨り本大臣の權利なるのみならず亦本大臣の義務なりと信ず
これは、下関談判に先立つ広島談判の席で、伊藤博文が清国講和使・張蔭桓、邵友濂に対して告げた演説の抜粋です。演説したのは伊藤ですが、事前に協議して陸奥も完全に同意した内容であることはもちろんです。
日清戦争の講和会議といえば一にも二にも下関が有名で、広島の一件は軽視されがちですが、清国使臣が国際法上有効な全権委任状を携帯していなかった一事を以て、断然談判破裂に持ち込んだ一件は、実はとても重要ではないでしょうか。
陸奥曰く、
元來對手をして本題に立ち入るを得ず岐路に彷徨せしむるは特に清國外交の慣手段なり
巧言令色の心にもない美辞麗句の嘘八百で、議論の本道に立ち入らず、話をすり替え、水掛け論の迷路に相手を迷いこませて混乱させ、理よりも情に訴えて、恫喝・哀訴の類で一分なりと有利な条件を詐取しようとする果てしない遷延策を予防するために、陸奥と伊藤は国際法上の「手続き的正義」の貫徹を徹底的に押し通しています。
周到、かつ、当然必要な措置というべきでしょう。
そもそも民間においてさえ、893と交渉するときに弁護士立会いの下会話を録音するくらいの用心は当然必要になるでしょう。まして支那王朝を相手にするとなればなおさらです。陸奥や伊藤にとって、そんな用心の必要は、常識以前の当然の認識だったのでしょう。
(現在、大陸・半島と交渉するにあたって、それだけの用心の必要を理解できる政治家・外交官がどれほど実在するのでしょうか……
正義の見方:【悲報】国連「日本の回答は公表しない」日本政府による国連への慰安婦説明、『口頭』のみだったことが判明... 杉田水脈氏「当初は書面説明を予定、日韓合意に配慮し口頭に」
保守速報:
産業革命の世界遺産登録、韓国と協議へ 外務省、価値を説明し理解求める
【世界遺産登録決定】佐藤地ユネスコ大使「大勢の朝鮮半島の人々などが労働を強いられた、情報センターの設置などの措置を取る用意がある」
用心どころか日本の外交官自身が進んで……などという疑惑に至っては何をかいわんやですが)

陸奥と伊藤のこの「用心」は、直接的には清に対するものですが、それ以上に、西洋諸国に対する「用心」でもあったでしょう。
清国との妥協をなあなあにすませ、清国が違約の類を重ねることになれば、目先のことしか見えない清国はしてやったりとほくそえむことでしょうが、それ以上にほくそえむのは、虎視眈々アジアを狙っている列強に違いありません。

清朝の「慣例」が国際基準から著しく乖離していることなど、西洋諸国も当然百も承知でした。
各国のマスコミなどは、広島会議における日本の「形式」へのこだわりを憫笑し、含むところあるを猜疑したほどです。
そもそも日清戦争の端緒は清韓宗属問題ですが、各国とも朝鮮に公使館(※大使館に非ず)を起き、一応独立国扱いをしていながら、清朝が朝鮮を属国扱いすることを事実上黙認していました。
言うまでもないことですが、清朝に敬意を払ってその「特殊の慣例」を尊重し申し上げていたなどというわけではありません。要は未開野蛮の黄色猿の国のやることですから、各国の権益上実害がないかぎり、どうでもよかったというにすぎないでしょう。
しかし、日清戦争の当事者たる日本にとってはそれではすまされませんし、西洋列強にしたところで、いざ自分たちが当事者になったときには態度を豹変させるであろうことは目に見えています。

そもそも、こちらで述べたように、朝鮮独立など陸奥のごときリアリストにとっては本来どうでもよく、清朝のことさえ本当はどうでもよく、重大なのはただひたすら日本自身の安全保障であり、それを脅かす真の脅威は西洋列強以外の何物でもなかったはずです。なかんずく東洋制覇を目論むロシアこそは最大の仮想敵であり、(日英同盟締結前のこの時点では)、大陸権益におけるロシアの対抗者たる英国でもあったかもしれません。
この帝国主義西洋列強の侵略の危機の前に、清朝が「条約」「国際法」「万国公法」の何たるかを知らず(上の譬えで言うなら、ラグビーの試合中にサッカーをやってみせて、嘲笑されていることにすら気づかず)夜郎自大の迷夢に耽溺しつづけているようでは、いつ揚げ足を取られて食い物にされるかわかったものではありませんし、現に後にはそうなりました。その結果、大陸が、半島が、日本侵略の拠点となる恐れが十分以上にあったことは、こちらで述べた通りです。

実際、日清戦争の最中においてすでに、(その当時国がどこになるかはともかく)、西洋列強が講和条約に干渉してくるに相違ないことも、陸奥や伊藤は事前に予知していました。それは「蹇蹇録」に明記してあります。
「眠れる豚とその下僕」がついにその迷夢から覚めず、自滅の道を歩むとしても、それでもなお日本の安全保障は確保されなければなりません。
「眠れる豚とその下僕」を軽蔑し、唾棄することは容易ですが、日本にとって、彼らが自らその愚を悟り、変革の必要を理解し、実際に努力するだけの見識を備えていてくれれば、どれほどよかったことでしょうか。

談判破裂した広島会議の清国側随員の一人、伍廷芳は、元李鴻章の部下であり、伊藤博文とも旧知の間柄でした。広島談判の破裂のあと、伊藤は、この伍廷芳に、李鴻章への「私的な伝言」を依頼しています。それは、国際法上有効な全権委任状の必要性をはじめとする、講和成立のために必要な手続きに関する、私的談話の形をとった要請、というよりは、アドバイスに近いものだったようにも思えます。
また、陸奥は、下関における李鴻章の内容空疎な巧言令色の大演説を評して、
其所論は今日東方經世家の談としては家常茶飯の談のみ然れども彼は縦横談論努めて我同情を惹かむとし間々好罵冷評を交へて戦敗者屈辱の地位を掩はむとしたるは其老猾却て愛すべく流石に清國當世の一人物に恥ぢずと云ふべし
と、有名な一文を残しています。
李鴻章は、おそらく、国際法上失当の技術においては「一流」の人物だったのかもしれません。
が、その技術はすでに実用上の技術ではなく、技術のための技術、いわば、伝統芸能のようなものでしかなかったのではないでしょうか。
伊藤のアドバイスや、下関講和の実地経験に学んでなお、清朝はそのことに気づかず、いいようにロシアに弄ばれ(その後、李鴻章がロシアに賄賂漬けにされ、満州を盛大に切り売りすることになるのは有名な話)没落していくことになります。
陸奥の目に、そんな李鴻章の姿は、滑稽でもあり、憐れでもあるものとして、映っていたのかもしれません。
また、他山の石でもあったでしょうか?
「明日は我が身」
その緊張感を以て、全身全霊を以て、「日本のために」奮闘した、本当の意味での「日本の」外交が、「蹇蹇録」には記録されています。日本の外交家が、日本のために働く、という、本来、当たり前であるはずのことが、当たり前でなくなってしまって久しい戦後。日本を「取り戻す」というのなら、あらためて、読み返しておく価値のある一冊ではないでしょうか。
新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)
蹇蹇録 (中公クラシックス)
posted by 蘇芳 at 03:21|  L 日清戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする