2016年03月18日

【動画】日露戦争 〜前編〜 & 〜後編〜

    

日露戦争の経緯をまとめた動画がありました。
三国干渉や閔妃殺害、「領土的野心」など、ツッコミたいところは多々ありますが、力作には違いないかと。
黒幕が誰であれ、始まってしまった以上、戦争は勝って終わらなければ意味がありません。
政戦両略における近代日本の最大殊勲ともいうべき戦争の概略をざっとふりかえっておきましょう。






日露戦争というと、有名なのは旅順閉塞作戦、旅順攻略戦、日本海海戦くらいですが(戦前なら首山堡の戦いも有名だったはず)、もちろん他にも数々の戦いがありました。
そもそも乃木第三軍は主力部隊ではありませんからね? 一軍でもなく二軍でさえなく、「三軍」。児玉源太郎の竹矢来発言はもちろん「冗談」ですが、そんな「冗談」が飛ばせるほど、旅順を軽く見て、乃木一人に苦労を押し付けたのが当時の大本営です。

当時の軍は決戦思想で動いていますから、主力部隊同士の陸上会戦を求めて、主力の第一軍・第二軍は満州の奥へ奥へと進んで、数次の合戦を行っています。
そちらは基本的には連戦連勝に近かったといえるでしょう。
客観的に言っても日本軍が強かった・優秀だったことは間違いありません。
(「思ひ出の日露戦争 (日露戦争戦記文学シリーズ(三))」「日本海海戦から100年―アルゼンチン海軍観戦武官の証言」なども参照。当時の観戦武官の多くは陸でも海でも日本を称賛しています)
が、ロシア最強の軍人は「冬将軍」。
自国領でさえ焦土作戦を展開するような国ですし、満州などという他人の庭ならなおのこと。
日本軍を奥地へ引きずりこむために、無理押しをしないで撤退を重ねたという面もあったようです。
戦線が進めば進むほど、日本の補給線は伸び、逆にロシアの補給は容易になります。しかも、補給一つにしても、日本は海を渡らなければなりませんが、ロシアは鉄道一本ですみますから。

いずれにせよ、大本営が重視していたのは、無人の野における正面決戦、旅順要塞などは伏兵にすぎず、主力部隊の後背をつかれないように押さえておけばそれでいい、という発想が、件の竹矢来発言に結びつくようで……
しかも旅順など、日清戦争のときには、他でもない乃木自身が二日で陥落させていましたから、今回も、力押しで一気に攻略して主力部隊に合流しろ、と、後から考えれば無茶な要求をすることにもなったわけです。
旅順攻略戦第一回総攻撃の失敗は、近代戦における要塞戦の意味を、(無理もないですが)、よくわかっていなかった大本営にこそ責任があります。

しかし、当の現場指揮官、乃木希典はさすが名将・知将でした。
大本営の要求が物理的に無理とわかった時点で攻撃中止を命令、その後は塹壕・坑道を掘って敵堡塁に肉薄し、兵の露出を極力抑える「正攻法」へと、的確に戦法を変更しています。
現場でとっさにそれだけの判断がくだせる指揮官というのは、只者ではありません。
(ちなみに、旅順陥落後のことですが、前掲「思ひ出の日露戦争 (日露戦争戦記文学シリーズ(三))」の著者・イアン・ハミルトンは、乃木と面会したときの印象を「私にはこの老将軍が軍事に関する世界の新刊書を、多量に読破してをらるゝ事を知って驚嘆した」と述懐しています)

しかし、この現場の苦労を、大本営も、そして海軍も、ついでに当時の国民も、理解しませんでした。

旅順閉塞作戦と黄海海戦以後、旅順に逼塞してしまった敵艦隊を一刻も早く殲滅し、文字通り後顧の憂いをなくしてバルチック艦隊を迎え撃ちたい海軍は、今日明日にもバルチック艦隊が姿をあらわしでもするかのように時期の切迫を誇張して、旅順攻略(というより二百三高地確保)を急かします。
国民の非難が乃木に集中し、政府内にも更迭論が起きたことはよく知られているでしょう。
「乃木を替えるな!」と厳命してそれを抑止せられた方こそ、誰あろう、明治大帝その人であらせられたと言われています。講談的な誇張がないとは言いきれませんが、実際に乃木が最後までその任を全うしたことは事実です。
乃木愚将論などというデマを弄ぶ反日売国奴共は、明治大帝の叡慮・御慧眼にケチをつける不届きものにほかなりません。

そのような味方の無理解の中で、ろくな補給もないまま、正攻法を放棄して、再び、無理押しの突撃を急がされた結果、当然のように再び敗北したのが第二回総攻撃です。
それで乃木が悪い、児玉が偉いというのは話が完全にアベコベでしょう。
それでも、なお、その無茶ぶりに答えて、三度目の総攻撃では、ついには旅順要塞を攻略してしまったのですから、知将乃木は猛将乃木でもあり、これほどの勝利を収めた将軍を名将と言わずに誰を名将と呼ぶのでしょうか。

なお、動画にもある通り、二百三高地の陥落は、12月6日。
しかし、旅順要塞の陥落は、1月1日です。
海軍はこの1ヶ月の間に、旅順艦隊を殲滅すると、さっさと引き上げています。
海軍にとっては、旅順要塞自体はどーーーでもよかったという証拠でもあります。
裏を返せば、乃木がいてくれなければ、旅順港の包囲を解くこともできず、その後の日本海海戦の勝利もなかったかもしれないのですから、本来、海軍は乃木に感謝してもしすぎることはありません。
(もちろん、東郷平八郎はそれくらいのことはわかっていたでしょう。旅順を離れる前に、陣中の乃木を訪問し、礼を尽くしていますが……この事情を微妙に顛倒させ、東郷をやたら上から目線でふんぞり返らせ、乃木を平身低頭させているのが「日本海大海戦 [東宝DVD名作セレクション]」とかいう映画であり、戦後日本のトチ狂いぶりの根深さがうかがわれます)

いずれにせよ、海軍にとって重要だったのは観測所としての二百三高地のみでしたが、陸軍にとって重要なのは華々しい陸上「決戦」。その決戦に兵力を結集するために叩いておく必要があったのが旅順の「伏兵」でした。
そして乃木軍はその「決戦」たる奉天会戦にはキッチリ間にあっていますし、そこでも大活躍をしています。
乃木がいなければ日本海戦の勝利はなかったかもしれないと言いましたが、乃木がいなければ奉天会戦の勝利もまたなかった「かもしれない」どころか、なかったでしょう。
というのも、動画の奉天会戦の個所をよく見てください。
「主力」であるはずの第一軍・第二軍が会戦終盤に至るまでほとんど動いていません。
左翼の乃木第三軍、右翼の第四軍(元は鴨緑江軍)が敵を左右から牽制、包囲し、主力部隊がこれを迎え撃……てばよさそうなものですが、クロパトキンはそうは動いてくれませんでした。
旅順を落とした乃木の勇名は、味方よりも敵に高く評価されたらしく、露軍はまず、「すわ乃木軍だ」と、最初は第四軍に襲い掛かり、それが乃木軍ではないと気づくと、今度はとってかえして乃木軍に襲い掛かった、と言われているようです。
結果、事実上の戦闘正面となったのは、旅順で大損害を受けた傷もろくに癒えないまま長途満州を駆け抜けてきた、第三軍でした。
主力であるはずの第一軍は、ほとんど遊兵と化していたのがこの会戦です(動画では会戦終盤にようやく動いていますが、えらい「方向転換」が必要になっていますね、第一軍。これでは主力部隊というより、敵の後背をつく「援軍」「伏兵」の役割ではないでしょうか)。
つけくわえると、児玉たちの大本営は、戦場からあまりにも遠い後方に配置されていたため、戦況の把握にも不備があったというような話もなくはないようです(「日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)」)
普通なら、壊滅していておかしくない、むしろ、壊滅していなければおかしいくらいの乃木軍の状況でした。
しかし、壊滅どころか、見事に勝ってしまったのが、奉天会戦であり、その立役者はここでもやはり乃木だったのです。
これで乃木の悪口を言うような愚か者は、恥知らずと断言して差し支えないでしょう。

このあと、クロパトキンに交代したリネウィッチが、単線だった鉄道に列車を往復させる手間を省いて、列車を使い捨てにし、鉄道を一方通行で使って続々兵力を増強しつつあるなか、陸上では睨み合いがつづき……日本海海戦においてついに戦場における勝敗が決したことは、動画に見る通りです。
ちなみに、地球を半周してヘロヘロになった敵艦隊を、準備万端整えたうえで待ち受けた日本海海戦よりも、黄海海戦のほうがはるかに苦労の多い戦いだったことは、東郷平八郎自身が述懐しています。
まさしく、乃木さまさまであり、日本海海戦は、勝つべくして勝った海戦だったのかもしれません。
上辺の華やかさに惑わされて、その勝利を必然たらしめた戦略的条件を軽視したことが、後世、空母打撃群を世界に先駆けて実用化しながら、艦隊決戦思想から抜け出せなかった昭和海軍の悲劇につながっていくのかもしれません。
また、昭和陸軍にも、現場の状況に即応して的確に戦法を変えた乃木の智将としての面を見落とし、いたずらにその高潔な精神性だけを神格化し、崇め奉ってよしとしてしまう傾向がなきにしもあらずだったとすれば……残念なことです。
「戦訓」は正しく継承されなければなりませんが……別宮暖朗の前掲書「日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)」が言うように、軍の「官僚化」がそれを妨げたというのが本当なら、悔やんでも悔やみ切れないものがあります。
なんとなれば、そのように「官僚」となった軍人こそが、共産主義に惑わされ、踊らされ、日本の針路を誤らせていったのかもしれないのですから。

……話が乃木に偏りすぎたかもしれませんが。
長くなりすぎるので、他のトピックはまた記事をあらためて。
日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)
日本海海戦の深層 (ちくま文庫)
思ひ出の日露戦争 (日露戦争戦記文学シリーズ(三))
日本海海戦から100年―アルゼンチン海軍観戦武官の証言
乃木希典―高貴なる明治
東郷平八郎―近代日本をおこした明治の気概
小村寿太郎―近代随一の外交家その剛毅なる魂
日露激突 奉天大会戦 (WWセレクション)
日露戦争が変えた世界史―「サムライ」日本の一世紀
posted by 蘇芳 at 01:53|  L 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする