2016年03月12日

【動画】日別朝夕大御饌祭 ‐日々の祈り‐ ISE-JINGU


伊勢神宮公式PVの一本。
およそ1500年前、外宮創祀以来、朝夕二回、毎日欠かさず行われている重要な祭りです。



動画概要:
2015/12/09 に公開
日別朝夕大御饌祭は、外宮の御鎮座以来約1500年の間、朝な夕なに神様にお食事を奉­り、「国安かれ、民安かれ」との祈りと感謝をささげるお祭りです。

伊勢神宮オフィシャルWEBサイト:祭典と催し/日別朝夕大御饌祭
http://www.isejingu.or.jp/ritual/annu...

「何事もない日々の連続」
というテロップが登場しました。

こちらこちらで述べたとおり、現世を否定し「ここではないどこか」を目的とするキリスト教や仏教と違って、神道においては、この世こそが神聖です。
この世に生きる者も、こちらで述べた通り、GODとやらに「作られ」たのではなく、神々によって「産み」出された、神聖な生命です。

神道においては、この世の生命の営みこそが、尊い。
だから、日々のあたりまえの営みを大事にしなさい、というのが、神道の「こころ」であるようにも思います。

それは何も人間だけに限ったことではないのでしょう。
神々でさえ、この世に「鎮座」され、日々の営みをくりかえしておいでになる。
だから、毎日食事も召しあがる。つまり、「生活」しておいでになる。
それが、神道の世界ではないでしょうか。

それを単なる形式だと思うのは、心の貧しい人間です。
この世の生命の営みこそが尊いというのなら、日々、神々に神饌を奉るという人間側の営みも、当然、尊いものでありうるのですから。
その「形」をなおざりにせず、その「形」に、「心」を込めるとき、人は神々の存在を感じることができるのかもしれません。

そういうと神秘思想のようですが、「食事」という当たり前といえばこれほど当たり前の、ありふれた行為が、そのまま、伊勢神宮の最も重要な「祈り」の形であることの意味は、軽くはないのではないでしょうか。

伊勢神宮は、稲と関係の深い聖地でもあります。
そして、皇室と関係の深い聖地でもあります。

あたりまえの日々の尊さ、というと、私は、いつも、皇后陛下の有名な御歌を思いだします。
日本列島 田ごとの早苗 そよぐらむ 今日わが君も み田にいでます
ここでわが君「も」とお詠みになっているということは、春の田に出ておいでになるのは、陛下お一人ではないことになります。
それこそ「日本列島」のあちこちで、他にもたくさんの人が、農作業を営んでいる風景です。
その人たちは、貴顕紳士でしょうか? 英雄豪傑でしょうか? 聖人君子でしょうか?
そんなことはありません。
日本中の田圃で立ち働いているのは、当然、ごく普通の、ありふれた、そんじょそこらの、農家のオッチャン・オバチャンの類です。
そのあたりまえの「百姓」の存在にこそ、御心を御寄せになっている、これはそういう一首であるように思うのです。

特別なことなど何もなくていい。
日々くりかえされる「あたりまえ」こそがありがたい。
そんな「思想」は、若い人には退屈でつまらないものに思えるかもしれません。
逆に言えば、それは、神道のこころが、それだけ成熟した思想だということでもあるのではないでしょうか。

だからといって、理解できないとか、難しいということは、まったくないはずです。
この世界に神秘はない。
この世界があることが神秘だ。
西洋の哲学者のなかにさえ、そんなことを言った人がいるそうで……洋の東西を問わず、突き詰めれば似たような考えにたどり着くことができるくらい、それは、それこそ「あたりまえ」の、普遍的な「こころ」でもあるのではないでしょうか。
常若の思想――伊勢神宮と日本人
永遠の聖地 伊勢神宮―二〇一三年、式年遷宮へ
水と森の聖地 伊勢神宮 (小学館文庫)
とこしえの神道―日本人の心の源流
ラベル:神道 伊勢神宮
posted by 蘇芳 at 00:06|  L 伊勢神宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする