2016年03月09日

【動画】SOUL of JAPAN ISE-JINGU


伊勢神宮公式PVの一本。



動画概要:
2015/11/10 に公開
伊勢志摩サミットを控え、海外からも注目を集める伊勢神宮。
「SOUL of JAPAN」は海外の方にも神宮の魅力を伝え、親しみをもっていただくための映像です­。
“SOUL of JAPAN ISE-JINGU” is an official short movie of ISE-JINGU.
It shows us some attractive images of ISE-JINGU.

伊勢神宮オフィシャルWEBサイト
http://www.isejingu.or.jp/

ナレーションも字幕もほとんどない動画なのでどのあたりがガイジン向けなのかよくわかりませんが。

伊勢神宮。
正式名称は単なる「神宮」。

天照大御神をお祀りする内宮(皇大神宮)、
豊受大御神をお祀りする外宮(豊受大神宮)、
を中心に、摂社・末社・別宮など、総計125社の総称です。

その創建が神代にまで遡り、振根(フルネ)・飯入根(イイイリネ)の物語からしても、少なくとも第十代崇神天皇の御代にはすでに存在していたらしい出雲大社や、同じく崇神天皇の御代にあらためて祭祀が整えられた大神神社に比べると、伊勢神宮の創建自体は少し遅く、第十一代垂仁天皇の御代。
皇女・倭姫命が神鏡をお祀りすべき地を求めて諸国を旅し、伊勢にたどり着かれたとき、
この神風の伊勢国は、即ち常世の波の重波帰する国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむと欲ふ。
との神勅が下り、その地にまず天照大御神が御鎮座され、やがて第21代雄略天皇の御代に、天皇の夢にあらわれた大御神の求めに応じて、御饌都神として豊受大御神をお招きしたとされています。

出雲大社などに比べて、伊勢神宮の創建自体は少し「遅かった」といっても、それはあくまで伊勢への御鎮座の話。
それ以前も、宮中で祭祀が続けられていましたから、その由来自体は天孫降臨以来のものです。

元々、宝鏡奉斎の神勅(別名:同床共殿の神勅)、
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし
によって、宮中での祭祀が命じられていた神鏡を、なぜ新たに神宮にお祀りする必要があったのか、記紀には床を同くし殿を共にするのは「畏れ多い」から、としか書かれていません。
が、出雲大社や大神神社が創建され、いわば「格下」の神々のために壮大な社殿が建てられたというのに、肝心の皇祖神・天照大御神に御社殿がない、では、それこそ畏れ多い仕儀ではあったかもしれません。
三輪山の祭祀のはじまりが、国内の疫病対策だったように、崇神天皇の御代には神道に「国家鎮護」の役割が求められていたのだとすれば、なおさらです。
かててくわえて、当時は、天皇の代替わりごとに、都を移していました。後世の遷都ほど大がかりではなかったでしょうが、遷都は遷都です。当然、同床共殿している大御神にもそのつど御遷御願うことにもなったのでしょう。それもまた畏れ多い話かもしれません。
国家の祭祀の中心、となるべき神宮の場所が一定ではない、というのは、やはり少々不都合だったのかもしれない気はします。

いずれにせよ、御鎮座以来、日本の信仰の中心・まさに聖地として尊崇を集め続けてきた伊勢神宮。
かの天下人・織田信長でさえその存在を無視できなかったことはこちらでも触れた通りです。
戦後、さまざまに歪められ、穢され、狂わされつづけてきた日本の「正気」を取り戻すためにも、神宮の守りつづけてきた日本の・祭祀の・精神の伝統は、今後、ますます重要になるように思います。

皇室と特別な関係(血縁関係)にある神宮は、国家規模の祭祀の庭となり、かつては「私幣禁断」、個人的な参拝は禁じられていたとも言います。
今は、まあ、解禁されているのでしょうが、そもそも神社そのものが個人的な「神頼み」をすべき場所かというと、それら世俗化は江戸時代ごろからの流行であって、本来は共同体全体の安定・繁栄を祈るべき場だったのではないでしょうか。
神宮ともなればなおさらです。
あれこれと虫のいいお願いをするのではなく、その由来と共に、古代から連綿とつづく「日本」を感じ、その「こころ」に立ち返るのが、「聖地」に相応しい参拝の形なのかもしれません。
そうして、道に迷った時、いつでも立ち返ることのできる精神の「原点」が、国家規模で具現化され、実在しつづけている、というのは、日本にとって、本当に、幸いなことではないでしょうか。
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追記:
なお、神鏡は倭姫命に先立って、崇神天皇の御代に、豊鍬入姫命によって、まず笠縫邑に御遷し申し上げていますが、このとき、新しい神鏡が作られ、一つは宮中にとどめられていますので、「同床共殿の神勅」自体が反故にされたわけではありません。
もう一つの神鏡、というといわゆるレプリカと即断してしまいそうですが、本物・偽物の区別はなく、どちらも本物です。本物が二つあるというのも唯物的なさかしらからは揚げ足取りの対象にしか思えないかもしれませんが……
たとえば、ローソクの火を、もう一本のローソクに移したとして、後者が前者の「レプリカ」である、などということに、意味があるでしょうか?
これは、神道の「分霊」を説明するときによく使われる譬えですが、神鏡についても、それと同じような理解でよいのではないでしょうか。
この「もう一つの神鏡」はその後も、現代に至るまで宮中(賢所)で祭祀が続けられています。
内裏の焼亡にともなって焼けたとも言いますが、その「灰」(銅鏡が灰になるのかどうか知りませんが)を集めて箱に収めた、などの話も残っているようです。形はいかに変わろうと、祭祀にとって大切なのは、あくまで、その「御魂」なのでしょう。
ラベル:神道 伊勢神宮
posted by 蘇芳 at 21:01|  L 伊勢神宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする