2016年03月07日

【動画】こども寺子屋 桜 - 崇神天皇 - 1~2


こちらこちらで見たのと同じ紙芝居のシリーズですね。今回は第十代崇神天皇です。






こちらで書いた通り、
崇神天皇が皇紀566年(西暦紀元前94年?)に遷都された磯城瑞籬宮の推定所在地は、
「奈良県桜井市金屋」が有力。
一方、纏向遺跡の所在地も、
「奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯」。
動画で紹介されている伝承の通り、三輪山の神の祭祀があらためて整えられたのは、崇神天皇の御代です。
これら正史の記述を等閑に伏して、正史に登場さえしない卑弥呼卑弥呼と妄想している人たちの気が知れません。

新羅の建国は皇紀603年、高句麗の建国は皇紀624年、任那の朝貢は皇紀628年。
こちらで述べた通り、半島との交渉が頻繁になるのも崇神天皇の御代からです。
大陸・半島・日本の正史のすべてが一致している史実から目を背けて妄想をニダニダしている人たちの気が知れません。

なお、任那の朝貢使は、帰国の途中、新羅に襲われ、天皇からの賜物を奪われています。
これが両国の反目をもたらし、ひいては任那鎮守府将軍の派遣へもつながったのでしょうか。
(朝貢というのは、非対称的な交易であり、朝貢国の貢物より、宗主国からの下賜品のほうがはるかに価値が高かったようです。だからこそ後進国はこぞって家来になりたがるわけでしょう)

崇神天皇の御代で見逃すことができないのは四道将軍の派遣です。
纏向遺跡では、他地域からの搬入土器が多数発掘されており、大規模な物流・交易が行われていたことが推定されていますが、大和朝廷の勢力圏がこの御代にはかなりの広範囲に達していたことは疑いようがないでしょう。
ところで、動画にもある武埴安彦の謀反や、神武東征、景行天皇の熊襲討伐、日本武尊の東征、数々の蝦夷反乱とその鎮圧、壬申の乱、など、日本の正史には数多くの戦いの記述があります。旧約聖書など諸外国の古代史に比べれば記紀ははるかに穏健ですが、だからといって、偽善的で不健康な左翼的戦争反対のイデオロギー・デマゴギーなどとは、無縁です。
四道将軍が、もし、武力を以て諸国を平定したのなら、素直にその功業を讃えて英雄譚として記述すればいいだけの話でしょう。
しかし、そのような戦乱の記述は、この時期のどこを探してもありません。
上で述べたように、戦乱があったことを隠す必要など無いのですから、記紀に四道将軍の戦いの記述がないということは、素直に、武力行使などほとんどなかった、四道将軍は神代の昔と同じ「言向け和す」精神によって、平和裏に諸道を帰服させた、と、読むのが正解ではないでしょうか。
実際、考古学的にも、この御代に大きな戦乱の跡が発見されたという話は、あまり聞かないようでもありますからね……
(もしもそんな痕跡が発見されたら反日学者が鬼の首でもとったようにはしゃぎまわるはずですが、彼らが戦乱が「あったはずだ」という偏見・先入観以上のものを提示したことが、かつてあったのでしょうか?)

もうひとつ、崇神天皇の御代には、出雲の振根(フルネ)・飯入根(イイイリネ)の物語が伝わっていることにも、注目しておきたいところです。
皇紀623年、崇神天皇は、出雲大社に収められているという神宝を見たいと詔され、勅使を派遣されますが、その神宝を管理していたのが、振根(フルネ)・飯入根(イイイリネ)の兄弟。
弟の飯入根は素直に勅命に従い、兄・振根に無断で、神宝を奉ったために、振根が飯入根を憎み、殺害。その後、振根は、飯入根の遺族の訴えによって、天皇に討伐されるというお話です。

記紀の文脈では出雲の国譲りははるか昔の神代の物語ですし、出雲大社が存在すること自体、その国譲りの結果ですが……
それがあくまで「神話」に「すぎない」と言い張るとしても、出雲の有力者が勅命に従い、また、遺族の訴えによって「謀反人」を討伐するという、一種の裁判権を、朝廷が行使しているわけですから、この時点では、出雲もすでに基本的には朝廷に服属していたことになるのではないでしょうか。
あるいは、国譲りの神話は、この御代の四道将軍の功業を過去に投影して創作されたものなのかもしれない、と、想像をたくましくすることもできるのかもしれません。そういえば、冒頭でふれた三輪山の神も、大国主命の国造りのパートナーでした。
もしもそうだとすると、しかし……上で述べた通り、四道将軍による大和朝廷の勢力圏拡大がほぼ平和裏に行われた可能性が高いのですから、それこそ「国譲り」の平和性は、史実だったということになりかねないようです。

付け加えると、こちらで述べた「兄弟」の関係は、振根・飯入根の物語でも、やはりくりかえされているようですね。

神武天皇に並ぶ「御肇國天皇」であらせられるだけあって、反日勢力にとって都合の悪い日本の「こころ」が、この御代にはいろいろと濃厚に語り継がれているのではないでしょうか。
惟れ我が皇祖、諸の天皇等、宸極を光臨すことは、豈一身の爲ならむや。蓋し人と神とを司牧へて、天下を經綸めたまふ所以なり。故れ能く世玄功を闡め、時に至德を流く。今、朕、大運を奉承りて、黎元を愛み育ふ。何當皇祖の跡に聿べ遵へて、永く窮無き祚を保たむ。其れ群卿百僚、爾の忠貞を竭して、共に天下を安にせむこと亦可からずや。
群卿百僚に賜ふの詔(人神司牧の詔)

歴代天皇で読む 日本の正史
御歴代天皇の詔勅謹解
三輪山の大物主神さま
日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
現代語古事記: 決定版
posted by 蘇芳 at 01:42| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする