2016年03月02日

【動画】欧米の日本叩き(日露戦争~大東亜戦争)


こちらで確認した通り、共産主義者の常套手段は、他者の戦争に寄生して漁夫の利を得る弱者の戦略です。
それを卑怯ともこざかしいとも言うことは容易でしょう。
しかし大東亜戦争においてその卑怯な邪悪なこざかしい罠に、日米はじめ各国がまんまとはめられたことは否定のしようもない事実ではないでしょうか。
なぜ、そうなったのか?
日本や米国の側に、共産主義詐欺につけこまれる隙があったのではないか、と、問うてみることは必要であるように思います。



動画概要:
2010/02/18 にアップロード
◯ラルフ・タウンゼント(元駐カナダ/駐上海・米国副領事)
 対ドイツ敵愾心沸騰の原因の一部をなしたものは、ドイツの法律がユダヤ人と非ユダヤ人­との結婚を禁止した、とのニュースであった。
 アメリカの或る地方にはそれと同様の法律(例えばフィリピン人等とアメリカ人との結婚­を禁止されている)が存していながら、それに対して大袈裟な戦慄的反感を煽り得たのは­何故か。それはこの厳然たる事実について全く言及を避けたからに他ならない。
 我がアメリカ各地に於ける黒人に対する禁令の厳しさは(例えば駅の待合室等を白人と区­別してあること等)ドイツがユダヤ人に課しているもの以上である。アメリカの西部諸州­では、支那人或は日本人の血統を引いた人間には、住宅の購入を禁じている。日本人に関­するカリフォルニア州の土地法は、ユダヤ人に関するドイツのそれよりもさらに制限的で­ある。ドイツの町々では、ユダヤ人は可成りの広さに上る地所や家屋を、未だに所有して­いるのである。
 米国連邦政府は人種的差別を認めていない、と記者、政治家が叫んでいるのは、もとより­全くの宣伝的欺瞞である。それは1924年の移民法その他を読めば忽ち分明する。
 異民族の相融和し難き点に就き、ヒトラー政権の言ったことと、アメリカの有力な記者、­政治家たちが、1924年日本人排斥の法律を制定せんとして言ったこととは、実質的に­何等異なっていない。
 ヒトラーの人種差別的法律は、アメリカ財界の有力者たるユダヤ人に関するものであった­が、我が人種差別的法律は、アメリカの財界に対して重きをなして居らず、新聞やラジオ­の有力なる広告依頼者でもない日本人支那人フィリピン人黒人等に関するものであった。­故に我が人種差別的法律は、記者や放送者の一大痛恨を惹起するに至らなかったのである­。(1938年)
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◆1904(明治37)年
 2月8日 日露戦争開戦
◆1905(明治38)年
 5月7日 サンフランシスコで日本人排斥大会が開かれ「日本人排斥同盟」が結成される
◆1906(明治39)年
 3月7日 カリフォルニア州が日本人移民の制限を決議
 4月1日 サンフランシスコ市学務局が、市内小学校に通う日本人学童を退学させ隔離学校へ収容す­ることを決議
◆1907(明治40)年
 1月22日 日本人労働者200人が米国サンフランシスコで上陸を拒否される
 3月14日 学童隔離命令の廃止と引き換えにハワイ、メキシコ、カナダからの日本人移民の米国本土­入国が禁止
◆1908(明治41)年
 2月18日 「日米紳士協定」により日本人移民の米国入国が禁止(すでに移民した日本人の家族は入­国可)
◆1911(明治44)年
 3月23日 カリフォルニア州上院が日本人の土地所有禁止法案を可決(日本人の土地所有及び3年以­上の賃借禁止)
 5月18日 アリゾナ州で日本人の土地所有禁止法案が制定される
◆1913(大正2)年
 1月12日 ワシントン州で外国人土地法案の提出
 1月17日 ワシントン州上院で白色人種と有色人種の結婚禁止法案が提出される
◆1919(大正8)年
 1月18日 パリ講和会議で日本代表団が国連規約に『人種差別撤廃条項』を加えるよう提議 → 賛成11反対5であったが議長ウィルソン米大統領が否決
◆1920(大正9)年
 3月1日 日本人移民による写真や手紙での見合い結婚が禁止される
 11月2日 米国カリフォルニア州議会が排日土地法を改正(日本人移民の借地及び子供名義の土地購­入禁止)
◆1922(大正11)年
 11月13日 米国最高裁判所が日本人の帰化権を否認
◆1923(大正12)年
 9月1日 関東大震災
◆1924(大正13)年
 7月1日 米国連邦議会において「排日移民法」が成立(あらゆる日本人の米国入国が完全禁止)

■保次郎一家の移民生活
http://abetomo.net/yasujiro/hainichi....

■強制収容された日系人が砂漠の真ん中で生み出した驚異の芸術作品展『The Art of Gaman』
http://americanart.si.edu/exhibitions...

明治維新のそもそものルーツが尊皇攘夷運動だったことは銘記しておくべきでしょう。
西洋帝国主義による植民地化の危機の前に、どう対処すべきか。
すべての外国を排撃せよ、と、過激なことを言う志士が後を絶ちませんでした。
一対一なら、そこそこの戦いができた可能性もなくはないかもしれません(薩英戦争などは、あらためて考えてみると「大英帝国VS鹿児島県」です。それでもそこそこの戦いをくりひろげ、かえって英国に一目置かれる結果になっています)。
しかし、日本を狙っていたのは一国だけではありません。左翼捏造史観では黒船≒米国だけのインパクトがむやみに強調されますが、ロシアもフランスもイギリスもその他その他、日本を狙っていました。
そのすべてを相手に戦争するなど愚の骨頂です。
それゆえに、幕府は開国によって、欧米に対抗できるだけの力をつけ、彼らと対等に渡り合い、独立を維持するという方針(これを「大攘夷」とも言うそうです)を取りました。
そこでゴネて条約勅許問題を持ちだし攘夷攘夷と騒ぎ立てたのが薩長でしたが……討幕、維新の後、結局、その薩長新政府こそが開国だ文明開化だとやりだしたのは周知の事実でしょう。
和魂洋才で世界の一等国になり、日本の実力を認めさせ、不平等条約を改正、欧米と対等に渡り合う、という明治政府の方針こそ、かつて幕府が考えた「大攘夷」の後追いでした。

だから公武合体のほうがよかったなどと言うつもりはありませんが……
近代日本の急速な発展の根底にある情念が、この「大攘夷」であった可能性は、その後の日本の歩みを見るときに見落としてはならないように思います。

日本は日清戦争に勝ち、当時の覇権国・英国の「同盟国(≒対等のパートナー)」となり、やがて日露戦争によって、白人国家を実力で打ち破った近代初の有色人種国家となります。
まさしく、「日本の実力を認めさせ」「欧米と対等に渡り合う」という、「大攘夷」の実現です。

それは確かに、全世界に激震を走らせる、歴史的偉業でした。
ただし、良くも、悪くも、です。

こちらで述べた通り、日露戦争の勝利は、アジア・アフリカの有色人種各国を鼓舞すると同時に、白人たちの人種差別意識と、その差別に基づく植民地支配という彼らの経済的基盤にとっては、大きな危険以外の何物でもありませんでした。
動画の冒頭でヴィルヘルム二世の発言が引用されていますが、四国協商に包囲されることになったドイツにとって、この人種対立を煽ることは、戦略的にも価値のあることだったでしょう。
協商側の各国は、そうした離間策に乗せられず、自制するべきだったはずですし、もちろん、表面上・外交的には取りつくろった態度で臨んでいたでしょう。

しかしながら、ハワイを盗り、フィリピンを獲り、支那大陸への進出を目論んでいた米国(四国協商にも直接参加していません)にとっては、どうでしょうか?
日本を悪者に仕立てあげるヴィルヘルム二世の「黄禍論」は、ある種の米国人にとって、まさに福音だったのではないでしょうか。
日露戦争~第一次大戦にいたる期間、米国が、肝心のドイツそっちのけで、日本侵略計画の策定にうつつを抜かし、しかも大義名分を発見できずに困ったあげく、まさにその黄禍論をこそ開戦の大義としていた、というのは、こちらで読んだ「日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇―東京裁判史観からの脱却を、今こそ!」の主張するところでした。
その後、大東亜戦争にいたるまで、米国における日本人差別がどのようなものだったかは、動画に見る通りです。
また、こちらで見た通り、英国や豪州も、本音は似たようなものでした。

なお、この動画ではあまり明確ではありませんが、セオドア・ルーズベルトによるホワイト艦隊の派遣は、ちょうどカリフォルニア排日移民法と同時期で、欧米のマスコミは「日米戦争」勃発の可能性を盛んに取りざたしていたといいます。
二次情報で恐縮ですが、この排日移民法関連の動きによる日米関係の悪化について、すべての責任は一方的に米国のみにあることを、ルーズベルトは自覚していたと聞きます。
ゆえに、彼の日記には、日本と戦争になる可能性について、「戦争自体はかまわない、が、米国が悪者になることは耐えられない」というずいぶんと身勝手な述懐が見られるのだとか。
そこで、ルーズベルトが日米戦争の危機を回避するために採った選択は、何だったでしょうか?
排日移民法を廃絶でもさせたでしょうか? 日本の名誉のために熱弁の一つも振るったでしょうか?
そんなわけはありません。
彼の選択、それこそはホワイト艦隊の日本寄港≒軍事力の誇示、でした。

このような欧米各国の人種差別に対して、唯々諾々と辞を低くし続けろ、と、光輝ある日本に命じるのは、土台、無理というものでしょう。
日露戦争以来、有色人種の希望の星として、「盟主」として起つことさえ期待されていれば、なおさらです。
有色人種国家との提携をとなえるアジア主義が、日本で力を得ていったとしても、それは仕方のないことだったのではないでしょうか。

こちらで述べた通り、アジア主義の「理想」は、他者の戦争に寄生する共産主義の「野望」にまんまと利用された観があります。
実際、「天皇制社会主義」のごとき思想で昭和の青年将校に大きな影響を与えた北一輝は、
我々は日本そのものの為の改造又は革命を以て足れりとするものではない。吾人は実に人類解放戦の大使徒としての日本民族の運命を信ずるが故に先づ日本自らの解放に着手せんと欲する
と呼号しています。
「人類解放戦」とは、現代の偽装右翼が言う大東亜戦争の「聖戦」の側面のようでもあり……
同時に、レーニンの怒号する世界共産主義革命のようではないでしょうか。

共産主義に寄生され、大東亜戦争へと至る遠因となった、日本の「隙」とは、民族主義・アジア主義の素朴な空想的理想主義にあったのかもしれません。
が、日本をそのような立場に追いやったものこそ、昭和初期の農村の窮乏をもたらした欧米発の世界恐慌や、縷々見てきた欧米の人種差別とそれに基づく植民地主義だったとすれば……より罪深いのは、やはり、彼らだと言うべきではないでしょうか。
何となれば、動画冒頭で、ヴィルヘルム二世は、「日本による支那大陸の統一」を恐れよというアジテーションをくりひろげていますが、その着想こそこちらで見た山縣有朋の「黄色人種連合」をまさに先取りするアイディアではないでしょうか?
アジア主義が黄禍論を生んだのでしょうか? むしろ黄禍論こそが日本にアジア主義を教えたのではないでしょうか?

とすれば……

大東亜戦争がスターリンと、その手足となって働いた各国の共産主義売国奴によって引き起こされた、世界共産革命のための戦争だったとしても、その真実に気づき、日米両国が同盟を結ぶためには、大前提として、この人種偏見を乗り越える必要があったように思います。
それは、大戦を経ず、平和裏に達成することが、可能だったでしょうか?
大隈重信や加藤高明など、第一次大戦当時の英米協調主義者は、可能だと信じようとしたのかもしれません。
しかし、その後のなりゆきを知る私たちは、はたして、そこまで楽観することができるでしょうか?
結局のところ、欧米白人国家を、多少なりとも、その人種差別の迷妄から覚まさせるためには、「力」による一撃によるほかは、なかったのかもしれません。
(大東亜戦争を経てさえなお、彼らがどれほどマシになったか、まだまだ疑わしいとしか言いようのない面もあるくらいですから、なおさらです)

大東亜戦争をただひたすら「聖戦」と持ちあげることのみに終始することは危険ですが、「聖戦」としての一側面を無かったことにすることもまた、許されてはならないのではないでしょうか。
憎むべきは、聖戦を信じて命をかけ、日本を守り抜き、アジア諸国の独立の端緒を開いた、数多の英霊たちでは決してなく、その聖戦を歪め、穢し、漁夫の利を得た・得つづけている、寄生虫たる反日勢力以外の何物でもないはずだと思えるのです。
散華された無数の英霊に報いる道は、今度こそ、それら敗戦利得者たる寄生勢力を排除し、「日本」を取り戻すことにほかならないのではないでしょうか。その意味で「聖戦」は、今もなお、終わってはいないのかもしれません。
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posted by 蘇芳 at 02:30|  L 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする