2016年02月23日

【動画】二代天皇 綏靖天皇


第二代綏靖天皇は、初代神武天皇の第三皇子であらせられました。
こちらでふれた末子相続の典型かもしれません。


読み上げソフトをつかったあまりにも聞き苦しい動画ですが。
記紀の本文も長いものではないですから、現代語訳でもいいので目を通してみてくださいというところ。

神武天皇によって立太子された第三皇子神渟名川耳尊(綏靖天皇)ですが、これを不服とした異母兄・手研耳命が弟たちの殺害を企図。
母后の急報で事前にこれを察知した神渟名川耳尊は同母兄・神八井耳命とともに、手研耳命を討ち取ります。

このとき、神八井耳命は手足が震えて矢を射ることができず、実際に手研耳命を射ったのは神渟名川耳尊(綏靖天皇)。
この「実績」をもって、弟皇子は晴れて皇位につかれ、兄皇子は臣下にくだり、神祇を司ることになった、というお話。

こちらで述べた通り、弟が兄に譲る場合は長幼の順という「観念」が理由となりますが、兄が弟に譲る場合、現実的な「能力」や「実績」が理由となるのが、記紀の通例です。
記紀の即位にまつわる「物語」の多くは、そのために書かれているとも言えるかもしれません。

だからといってデッチアゲだの作り話だの偽書だのと決めつける根拠はありませんし、まして天皇の実在を否定する根拠などどこにもありません。

記紀には、上の手研耳命をはじめとする数々の謀反や、近親間の殺害など、皇室にとって都合の悪い事実もいくらでも書かれています。
天皇の年齢云々といったところで、解釈はいくつも提出されていますし、そもそも、現代の私たちに疑問に思われる点は、古代の史書をまとめた編者たちにとっても、すでに疑問だったでしょう。
しかし、史料を尊重し、後世の研究にゆだねるために、主観を排して史料を整理したのだとすれば、古代の編者たちのほうが現代の左翼売国奴よりよほど客観的・学問的な姿勢を貫いたといえるはずです。
歴史捏造が当然の伝統である外国の史書に記された不確かな伝聞ばかりをありがたがり、肝心の日本の正史を偽書扱いする戦後日本の似非歴史学こそ、曲学阿世の政治的偏見に満ち満ちていると言わざるをえません。

綏靖天皇から開化天皇までの天皇を「欠史八代」と称して貶める似非歴史家はあとを絶ちませんが、現在では放射性同位元素測定など、考古学資料から科学的に年代を測定する技術も確立されています。
唐古・鍵遺跡、纏向遺跡など、2000年以上前に高度な文明、広範囲の交易などが行われていた事実は否定のしようもありませんし、そのような平和な繁栄を享受していた国に、優れた「大君」がいまさなかったと考える方が無理があるでしょう。
半島の古代史書の記述が記紀の記述と多くの点で符号することも(反日勢力が抹消・歪曲・捏造の努力をつづけていますが)知られています。

九州北部の吉野ケ里遺跡からは、矢じりによって傷ついた人骨などが出土し、戦乱があったことが推測されています。
一方、奈良の唐古・鍵遺跡からは、そのような戦乱の跡は出土せず、平和な時代・地域だったのではないかと言われていますが……この唐古・鍵遺跡から出土した木棺は、放射性炭素年代測定で2100年前のものと判明、これを皇紀をあてはめれば、ちょうど「欠史八代」開化天皇の御代にあたるそうです。

大きな「事件」や災厄は、記録が残りやすいものです。が、平和に栄えた時代には、記録すべき事件(むしろ記録しようという動機を持つ人々)が少なくなるのは、自然でしょう。この時代に正史の記述が乏しい、ことには、そのような事情もかかわっているのかもしれません。
もしもそうだとすれば、それは、戦乱に満ち溢れた血沸き肉躍る(?)波乱万丈の歴史より、日本人にとって、はるかに誇らしいことのようにも思います。
日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
現代語古事記: 決定版
歴代天皇で読む 日本の正史
posted by 蘇芳 at 15:48| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする